悲しげな歌を歌う怪獣、全体主義に抗う《人間》

悲しげな歌を歌う怪獣、全体主義に抗う《人間》

 原著は1965年刊。邦訳は、まず67年に大光社《ソビエトS・F選集》の一冊として『怪獣17P』の題名で刊行、78年にはサンリオSF文庫で原題に即した『旅に出る時ほほえみを』として再刊、そして歳月を経たいま、こうして白水Uブックス《海外小説 永遠の本棚》に収められた。つごう三回、それぞれ傾向の異なるレーベルで、それぞれの読者層へと届けられたわけだ。それだけの力を持った名作である。

 中核にあるアイデアも物語の構造も、きわめてシンプルだ。

 ヨーロッパのある国で、私設の科学技術施設を営む研究者—-作中ではただ《人間》とだけ呼ばれている—-が、金属製の怪獣を創造する。怪獣には地中を掘り進む機能が備わっており、声がやや金属的でゆっくりではあるものの、正確に言葉を発することができた。《人間》は時間をかけて怪獣の性能テストを繰り返していく。

 いっぽう、社会情勢は急速にキナ臭さを増していた。労働者の生活は逼迫し、政治権力は弾圧的になり、じわじわと全体主義が蔓延する。

 学究の徒である《人間》も、そうした世相と無縁ではいられない。怪獣の驚異的な力に目をつけた国家首相は戦争の道具として利用しようと考え、《人間》を体制側へ取りこもうと画策をはじめたのだ。《人間》のもとで働く青年たちは国家権力によって傷つけられ、《人間》の味方である良心的知識人たちは自由な発言を封じられていく。

 ディストピア小説として読むと、抑圧的状況が複雑な社会システムによって成立しているのではなく、ひとりの独裁者に起因しているところがナイーヴにも見える。また、ロボットについてのSFとしてみると、怪獣の自意識がどのように発生するかがまったく描かれていないことが気になる。

 しかし、それら評価はあくまで一面にすぎず、どちらもこの作品の瑕疵ではない。

『旅に出る時ほほえみを』に限ったことではないが、小説は既存のジャンル規範—-たとえばSFが当然としてきた「科学ガジェットの蓋然性・整合性」のような—-で計るものではなく、作品自体に内在するダイナミクスや世界観において読まれるのだ。

 この作品は、主人公がただ《人間》と呼ばれ、そのほか多くの登場人物が固有名詞を持たず、肩書きや職業によってあらわされていることからもわかるように、現代的な寓話である。寓話といっても、描かれることがらがすべてアレゴリーやメタファーに還元されるのではなく、ある程度の具体性・自律性(「確かな手ざわり」と言ったほうがしっくりくるかもしれない)を備えており、それが独特な詩情や哀感をもたらす。

 たとえば、怪獣が口ずさむ悲しげな長い歌。そこで語られるのは、旅に出るひとりの男の姿だ。彼は失業し、恋人に裏切られ、友人たちから嘲笑されたあげく、故郷をあとにする。『旅に出る時ほほえみを』というこの作品の題名は、その歌詞の一節にちなむ。

 また、《人間》がオフィスの窓から眺める雨の町の光景。名もないひとびとがこうもり傘をさし、絶え間ない流れになって動いている。その傘の濡れたようすが、従順な羊の群れの背中のようだ。この傘のイメージは、物語の進行にしたがって、何度かあらわれる。

 こうしたさりげないディテールの積み重ねによって、物語は豊かな陰翳を獲得する。マットな背景のもと、全体主義に背を向ける《人間》の意志、彼と怪獣との穏やかで強い結びつきが、くっきりと立ちあがる。

(牧眞司)

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