波瀾万丈な人生のなかにの潜む”得体の知れぬ”裂け目
メキシコ出張中、急な雨を避けるために飛びこんだ古本屋。ほとんどはスペイン語の安手のペーパーバックだったが、棚の下のほうにハードカバーが何冊かある。私の目を引いたのは、とくに大判の一冊だ。英語のようだが、背文字は色褪せていてよくわからない。黴の匂いのするページを開くと、扉に『黒曜石雲』とあった。十九世紀の本のようだ。著者はRev. K. Macbaneとある。「Rev.」ということは牧師(reverend)か? 私がその本に運命的なものを感じたのは、副題に「エアシャー郡ダンケアン町の上空で起きた今も記録に残る奇怪なできごとの記述」とあったからだ。
ダンケアンは私が若いときに滞在し、忘れようのない体験をした町だ。
店番の言い値で本を購入し、ホテルで、ダンケアンですごした日々を思い起こしながら、読んでみる。書かれていたのは、異常な気象現象についての報告だった。
風の強い七月、北海から移動してきた黒い雲がダンケアンの上空に停滞した。雲の表面は黒曜石のように滑らかで、鏡のように町のすべてを逆さに映しだしているではないか。高い丘の上から見あげた詩人は、それは鏡像ではなく別の惑星の光景であり、住民たちの目はギラギラと赤く、自分を見下ろしていたと証言する。
私はこの非凡な本に好奇心を掻きたてられ調べはじめるが、そこに記述された気象現象に類似する記録はいっさい見つからない。また、本そのものについても、スコットランドの版元から出たとしか手がかりしかない(黒曜石雲現象があったエアシャー郡もスコットランド)。けっきょく、国立スコットランド文化センターの稀覯本専門の学芸員に、この奇書を託して調査してもらうことになった。
以上は、この作品の導入部分。ここから、物語は私(名前はハリー・スティーン)の過去へと遡り、トールゲートというスラム街での生いたちから、学業を修めてダンケアンへ至るまでの経緯、その町での忘れがたい経験、傷心のまま船に乗りこんだこと、到着地のアフリカで患った正体不明の病、治療の船旅(後甲板の下に本がつまった図書館があった)を経て、英語教師として南米の鉱山での勤務、そこでのカナダ人の揚水機技師ゴードン・スミスとの出会い、スミスの右腕としてカナダで仕事をするようになり、スミスの娘アリシアと結婚し、息子フランクが生まれ……と、波瀾万丈の半生が語られる。
例の『黒曜石雲』の本との出会いは、フランクが成長してのち、アリシアが亡くなって(自宅の浴槽での溺死だった)から一年後のことだった。フランクからメキシコへ行くのはよい気分転換になるよと勧められたのだ。
ここまでで物語全体の七割ほど。ハリーの伝記のように読むとリアリズム寄りだが、エピソードにはマコーマックらしい”得体の知れぬ”逸話がいくつも挿入され、妄想とも超自然ともつかぬ裂け目だらけだ。
そして、作品を貫いてふたつのモチーフが横たわっている。
ひとつは「真/偽」に対する姿勢だ。たとえば、主人公である私の妻アリシアは、「私に何かひとつ耐えられないことがあるとすれば、それは真実を話してもらえないことなのよ」と言う。彼女は自分の親や子どもの性的な事情、また夫が他の人間と肉体関係を持ったことについても躊躇なくオープンに語りあえる。しかし、嘘や隠しごとは許せないのだ。いっぽう、主人公の息子フランクは、父の作り話も許容するし、成長してからは贋作の書籍ギャラリーを営むようになる。
アリシアとフランクの対照は象徴的だが、この作品ではさまざまなかたちで、真実を希求する傾きと、虚偽を引き受けようとする傾きとが交錯する。
もうひとつのモチーフは、通常の婚姻外でできた(あるいはそうかもしれない)子どもの存在だ。主人公のハリーだけではなく、義父のスミスもそういう事情があり、それ以外にもうひとりの人物も……。こちらのモチーフは、物語の終盤の重要な展開に関わってくるので、これ以上ふれるのはやめておこう。
「真/偽」のモチーフ。
「婚姻外の子」のモチーフ。
こう並べるとまるで馴染まないようにも思えるが、この両者が『黒曜石雲』を媒介として交叉していく。
マコーマックのたくましい構成力が冴えわたる。
(牧眞司)
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