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「考える」とはなんだろう

「考える」とはなんだろう

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

「考える」とはなんだろう

「夢日記の謎」2009年6月28日『メカAG』
http://mechag.asks.jp/273265.html

でちょっと述べた、夢の中の思考と、赤ん坊の思考、そして動物の思考というのは同じなのではないかと思ったりする。主体性が希薄で、基本的に次々に起きる状況に流されていく。自発的に流れを変えようとはしない。いってみれば状況に脊髄反射しているだけだ。

逆に夢の中で「ここからどうしよう?」と、能動的に考え始めると、急速に夢から覚めてしまう。

   *   *   *

夢というのは記憶の連想の積み重ねだから、関連する情報が次々に掘り起こされ勝手に状況が展開してく。一方意識は希薄でまるで映画でも見ているような主体性のなさだ。もちろん自分は夢の中でそれなりあれこれ行動しているけれど、惰性的であり、こういう場合自分はこうする(こうしてきた)というパターンの連続でしかない。つまり意外性のある行動はほとんどとらない。

醒めている時の人間は、こうするにはどうすればいいか?という思考をする。目的があって手段を考える。時間の流れでいえば未来(目的)から過去(手段)に向かう思考だ。

夢の中では「こういう状況だから、こう行動した」という過去から未来へ向かう思考しかしない。一見目的→手段の思考をしているように見えても、それは過去に行った思考なのだ。過去に「こういう時に、こうするために、こう行動した」という記憶を再実行しているに過ぎない。つまり「こういう時に(こうするために)こう行動した」となる。

   *   *   *

過去から未来へ向かう思考は自然だ。一方未来(目的)からさかのぼって過去(手段)へ向かう思考は、かなり高度な部類になる。赤ん坊や動物には難しいだろう。人間も夢の中では難しい。覚醒しているときに脳をフル回転させて初めて可能な思考なのだ。

ではその「目的から手段を考える」思考とはどういう思考なのか。

「続・記憶のリンクは片方向」2010年5月24日『メカAG』

で、人間の記憶は片方向にしかたどれないと述べた。A→Xという連想は可能なのに、X→Aという連想は単純にはできないのだ。ではX→Aの連想をするにはどうするか?

   *   *   *

おそらく人間は脳をフル回転させ記憶をしらみつぶしに探すのだろう。

  C→Z (ダメ)
  B→Y (ダメ)
  A→X (見つかった! Xに対応するのはAだ!)

つまり目的Xに対応する手段Aは、それっぽい手段C、B、Aを順に探していくしかない。X(目的)から、A(手段)を直接はたどれないのだ。

もちろん一度この組み合わせを見つけてしまえば、次からはX→Aの方向のリンクも形成されるだろう。しかし最初の1回はしらみつぶしに探さなければならない。

この作業が脳に高負荷がかかり、「考える」と「疲れる」のだ。また夢の中でこの作業をやろうとすると、脳をフル回転させることになり、結果として夢から覚めてしまうのだろう。

   *   *   *

小さな子は「おはなし」を作るのが好きだ。おそらく読んでもらった絵本を参考に、自分も真似ようとするのだろう。全体は支離滅裂なのだが、断片はつじつまが合っている。というよりも合わせようとする。これって夢の中のストーリー進行と同じではなかろうか。

次々に舞台は変わっていくし登場人物もいつの間にか入れ替わっている。話も脈絡がない。矛盾も出てくる。というよりも矛盾以前の段階。ただ気ままに思いつくストーリーの断片をつなぎあわせていく。

原始的な神話や民話もこんな感じだ。時代を下るに連れて徐々に洗練され因果応報とかストーリーが整っていくが、原型は「なんでこういう展開になるの?」という意味不明なものが少なくない。

一方プロが作る小説などは、そもそも作り方が違うのだろう。最初にどういうストーリーにするかの大枠を決め、そのためには登場人物をこうして、舞台をこうして、このシーンにたどり着くには、こういう展開にして、と決めていく。X(目的)→A(手段)の流れなのだ。

   *   *   *

では、人間はいつ頃この作業(「逆検索」と名付けよう)ができるようになるのか?多分この作業は人間は最初、頭の中だけではできない。小さな子供は、あれこれ体を動かしていろいろなことをやってみる。

ボールを投げて的に当てようとしても、最初は全然違う方向に投げてしまう。でも何度かやっているうちに、偶然的に当たる。つまりX→Aが見つかったわけだ。こう投げれば的に当たる、と。

でもそれは偶然で、もう一度投げても当たらないだろう。再びいろいろな投げ方をして、またその何回かは的に当たる。そのうちそれぞれどういう投げ方をしたかを記憶するようになり、的にあたった結果と、投げ方の記憶が結びついていく。

小さな子供は声を出さないと本が読めない。成長するに連れて黙読できるようになっていく。X→Aの検索も最初のうちは体を動かさないと試行錯誤できないだろう。しかしいつしか頭の中だけでそれをやるようになる。「こういう場合は、こういう投げ方をすればよかったんだっけ」と。

やがて物理的な体の動作以外の抽象的な事柄にも試行錯誤による「検索」が使われていく。さらにはその抽象的な検索が多段に行えるようになった時、「あれをするには、まずこうして、次にこうすれば、うまくいく」と思考するようになった時、人間は「考え」られるようになるのだ。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

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