アスリートの活躍を支援したい!サッカー元日本代表・鈴木啓太さんが追うセカンドキャリア
日本中を熱狂させたラグビーワールドカップの大成功は記憶に新しい。2020年には東京五輪も控えて、スポーツの世界はますます盛り上がりを見せそうだ。そしてそれは、“スポーツをとりまく業界”で働いている人たちも同じだ。
元サッカー日本代表であり、浦和レッズで活躍。引退後、起業家となり「腸内環境」の視点からアスリートに関わっている鈴木啓太さんに、スポーツ領域で働くやりがいや醍醐味、セカンドキャリアの考え方について伺った。
AuB株式会社 代表取締役 鈴木啓太さん
アスリートの便を集め、腸内細菌を研究する
浦和レッドダイヤモンズを退団したのは、2015年シーズン、34歳のときだった。サッカー選手としての経歴は非常に輝かしい。J1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯の国内3大タイトルを獲得。AFCチャンピオンズリーグ優勝。3年間主将も務め、レッズ一筋16年の現役の間に、日本代表として通算28試合に出場している。
そんな鈴木さんがセカンドキャリアとして選んだのは、起業家の道だった。退団の年に、AuB株式会社を設立。翌年、代表取締役に就任。事業内容は、アスリートの腸の研究だ。アスリートの便を集め、腸内細菌を研究するスタートアップ企業なのだ。
「ヘルスケア領域は、これからの成長産業だと思っていました。アスリートともつながる部分がありますしね。ただ、単にモノを売るような会社ではなく、もっと大きな概念で事業を作っていきたいと考えてきました」
すでにアスリートやその競技ごとの特有の腸内環境を発見。東京・日本橋に研究拠点を設け、腸内細菌の特許ビジネスに乗り出そうとしている。また、腸内細菌のデータをもとにした、フードテック事業に参入。29種類の菌を配合した「アスリート・ビオ・ミックス」を開発、この“菌ミックス”をベースにした商品の事業化が進んでいる。
なぜ「便」だったのか。そしてなぜ起業だったのか。実は過去を振り返ったとき、そこにさまざまなつながりがあることが次第にわかっていったという。
浦和レッズ入団当初から、引退後のことを考えていた
生まれは静岡県清水市。多くのサッカー選手を輩出してきた街だ。となれば、当たり前のようにサッカーを始めたのかと思いきや、違うという。
「サッカーをやってみれば、と母に言われても、遠慮するような子どもだったんです。すごくシャイで、ドアの隙間から外を見て、誰かに見つかると閉めちゃうような(笑)」
細くて色白でおかっぱ頭の少年だったというが、漫画『キャプテン翼』にハマり、アルゼンチンの英雄・マラドーナを見てサッカー熱に火が付き、自分の意思でサッカーを始めた。4歳のときである。
「母はちょっと驚いていましたね。よくやる気になったな、と。始めてもつまらなかったら辞めていたと思いますが、見つけてきてくれたクラブの指導者が面白い人で、足で蹴るだけがサッカーじゃないよ、と教えてくれて」
その瞬間はしばらくして訪れた。ゴールを決めることができたとき、振り返って姿を見つけた母親が満面の笑みで喜んでくれたのだ。やったね!と。
「この瞬間、将来はサッカー選手になると決めたんです。ちょうどJリーグが始まったころ。今の事業もそうなんですが、やると決めたら、絶対やるタイプなんです(笑)。頑固ですからとにかく何も考えずに、絶対サッカー選手になるんだと、小中高と必死で練習し続けて」
高校卒業後に浦和レッズに入団。実は当初から引退後のことは頭にあったという。
「サッカー選手は、やれてもせいぜい30歳ぐらいまで。それ以降は、トップ中のトップしかやれない。それが当時の現実でしたから。30歳までなら12年しかない。だから、次のキャリアに関しては、貪欲に探そうと考えていました。興味を持って、いろんなものを見るようにしていました」
機会をもらえたら、たくさんの人に会いに行って、話を聞いた。オフに海外に出かけるときには、今どんなふうに世界のビジネスが回っているか、能動的に知ろうとした。監督、コーチ、フロントなどサッカーに関わるものに携わる道もあるが、将来はサッカー以外の世界に挑んでみたいと思うようになった。
「いろいろな人の話を聞くたびに、こんな世界があるんだ、ビジネスって面白そうだな、と思いました。何より、サッカーしかしてこなかったから、余計に」
母親に「便を見なさい」と言われて育った
ただ、起業することは考えていなかったという。転機になったのは、引退する年の夏、あるトレーナーから面白い人がいる、と聞いたことだった。
「便を調べている人がいる、と。直感的に面白そうだと思って、すぐに会いに行きました。話が盛り上がって意気投合し、その場で一緒に会社を作ることを決めてしまったんです」
現役時代、身体のコンディションづくりで重視していたのが「腸」だった。幼少の頃から、調理師だった母親に「人間は腸が一番大事」「便を見なさい」と言われて育った。高校生の頃から腸内細菌のサプリを携行するなど、常に腸を意識していた。
「プロになってからも、コンディション確認は何よりも便を見ることでした」
アテネ五輪アジア最終予選のUAEラウンドで、その大切さを痛感する。代表選手23人中18人が下痢を訴え、試合直前までトイレに籠もってしまった。だが、鈴木さんは腸を整えていたので、問題はなかった。
「それ以外でも、遠征には梅干しと緑茶を持っていきましたし、年齢が高くなってからはお腹にお灸をして温めたりもしました。するするといい便が出ると、よし身体は最高だ、ということになるじゃないですか。逆に下痢や便秘だと、何か異変が起きていることがわかる。そのセンサーが敏感だったので、お腹でコンディションを作っていたんです」
こんな経験があっただけに、アスリートの便を調べたら面白いのではないか、というアイディアがすぐに浮かんだ。これは絶対に社会の役に立つ研究になる、と確信し、複数のメンバーで会社設立に踏み切った。
だが、起業は必ずしもスムーズに行ったわけではなかった。会社設立から早々に、サプリメントを出そうという話がメンバーから出た。だが、首を縦に振らなかった。
「ただサプリを売る会社になりたいわけではなかったですから。まだ研究成果がないのに、それはおかしいでしょう、と。とにかく、まずは便を研究し、アスリートの便はどうなっているのか、どう違うのか、領域ごとに違いはあるのか。それが分かれば、選手のコンディションづくりにも役に立てることができます」
そしてもうひとつ、課題となったのが、アスリートからどうやって便を集めるか、だ。しかも、たくさんの、である。
「会って話をして『うんち、ちょうだい』と切り出したら、普通は『は?』、となりますよね(笑)。最近でこそ腸活という言葉もできたし、僕の活動もわかってくれている人が増えてきましたけど、当初はやっぱりほとんどが『は?』という反応でした(笑)」
最初に便を提供してくれたのは、日本中が盛り上がったラグビーワールドカップで活躍した松島幸太朗選手だった。最近ではアスリートの側から、便を見てほしいとオファーがかかることもあるという。
「スポーツチームに話を持っていったときは、トレーナーから興味深い反応がありました。同じ食事をしていても、太りやすい人もいれば、痩せてしまう人もいる。便から何かがわかるんじゃないか、と思ってもらえたんですね」
提携する研究機関はすぐに見つかった。アスリートの便をたくさん集めてこられる会社など、AuB以外にまずないからだ。同じような研究をしているアメリカのハーバード大学発のベンチャーからは、「どうやっているのか」と悔しがられたという。
何をやるか、ではなく、何のためにやるか
▲共同研究する香川大学に、アスリートの検体が冷凍保管されている
起業から4年は苦しい日々が続いた。研究成果が出るまでには、時間がかかる。その間は売り上げが立たない。クラウドファンディングや投資家から出資を受け、さらには大きな自己資金も投じたが、運転資金があと2カ月で尽きそうになった時期があった。もはやこれまでか、とも思ったという。
「自分の不器用さゆえ、でした。ただ、単純にモノを売るようなビジネスには興味がなかったんです。経済的に価値のあることではなく、生きていく上で意味のあることをしたかった」
資金的にギリギリのところでも、信念を曲げなかった。それは、「目指すもの」が自分の中にはっきりと見えていたからだ。
「どうしてサッカーを始めたのか。プロになろうと思ったのか。結局は、小さいころに母がゴールを喜んでくれたこと。それに尽きたんですよね。サッカーって、人をこんなにも喜ばせることができるんだ、と。それで好きになった。だから1日に3時間も4時間も練習をして、帰ったらバタンと寝ちゃうような毎日に、子どもの頃から耐えられたんです」
セカンドキャリアを進んでいくとき、何を大事にするべきなのか。このことに気づいて、はっきりと見えた。多くの人に喜んでもらうこと、喜ぶ人たちの顔に出会えることだ。
「お世話になったスポーツ界、手伝ってくれたアスリート、応援してくれた先輩や後輩、たくさんのファンやサポーター。この人たちを喜ばせることこそが、僕にとっては一番大事。何をやるか、ではなく、何のためにやるか、です。自分の過去のストーリーと、これからの将来を見据えたときに、ああ、これだとだんだんとわかっていったんです」
そのためにこの苦しい4年はあった。逆に、だからこそ苦しい時代を乗り越えられた。
「僕の場合は、これしかないですから。白旗を自分で上げたら、その時点で会社は終わりでした。でも、試合終了のホイッスルはまだ鳴っていなかった。僕は運がいいんです。サッカーのときもそうでしたが、必ず誰かが助けてくれる。それは、こういう世界を作りたいと、一貫して同じことをずっと僕が言っていたからだと思います」
起死回生で、複数の投資家からの出資を受けることができ、会社は息を吹き返した。4年間かけ、500人を超えるアスリートの便がすでに集まっている。研究を通じて、アスリートの腸内環境に競技特性があることがわかってきた。
そして今も「うんち、ちょうだい」の働きかけは続いている。
サッカーも仕事も、ほぼ同じだということ
セカンドキャリアも5年目になり、わかったことがある。
「サッカーも仕事も、ほぼ同じだということです。人を喜ばせる手段がちょっと違うだけ。でも、以前はまったく違うものだと思っていたんですよね。ビジネスの世界は初心者だから、と。実際、専門知識や組織論は新たに勉強しましたが、明確な目標を持ち、それを目指すという意味では、本質はほぼ同じ。だから、同じように仕事をしていけばよかった。そこにようやく気づけました」
サッカー選手時代に意識していたのは、将来こんな選手になりたいという目標をまずは作ることだった。そして現時点での立ち位置を知り、チーム状況、どんな選手がいるかを常に見て、足りないものをトレーニングしていった。
「プロの世界は結果がすべて。自分に必要なものをどこまで突き詰めることができるか。だから、どこに行きたいか、をはっきりさせることが大事でした」
選手を選ぶのは、監督である。選ばれないなら、自分に力がないだけだ。ただ、監督は勝つためにチームを作る。うまい下手ではなく、やろうとしているサッカーのために人選する。
「だから、監督の言っていることを理解しないといけない。チームメートの組み合わせを意識しておかないといけない。個人の武器を、どうチームに活かすか、というのがサッカーですから」
この本質は、まさにセカンドキャリアの仕事も同じだった。ただし、時間軸が違う。サッカーは試合のスケジュールもあり、1週間ごとに結果も出る。調整もできる。やり方を変えられる。
「でも、仕事はマラソンみたいなものですよね。ただ、ポイント、ポイントで結果が出てくる。それを自分でつかんで、PDCAを回していく必要がある。研究開発型ですから、どうしてもPDCAが遅くなるんです。それもまた、反省点のひとつです」
ここにきて、研究成果が目に見える形で出て、事業化も見えてきたことで、一気に仕事が動き出した。他企業との協業の話も出てきている。
「頑固に順序を守って良かった、と今では思っています。しっかりブランドを作っておくことで信頼が生まれる。単にビジネスになるというだけではなく、いかに信頼を伝えていけるか。これからもストーリーを大事にしていきたいと思っています」
まずは、スポーツ関係者、さらにはヘルスケアに興味のある人たちがターゲットになるが、ビジネスパーソンにもぜひ興味を持ってもらいたいという。
「パフォーマンスが求められるのは、アスリートもビジネスパーソンも同じです。コンディションが整わない限り、パフォーマンスが出せるはずがない。もっともっと身体のコンディションを意識してもらえたらと思います」
一方で改めてスポーツ領域に関わる醍醐味も実感している。
「アスリートは国の代表、象徴でもあるわけです。アイコン的存在なんですよね。そんなアスリートたちをサポートできることは、とてもうれしい。また、スポーツのライブエンターテインメント性が、これからますます評価されると考えています」
アスリートに関わるビジネスは、もっともっと大きくなるということだ。そして、鈴木さんは、さらに先の未来も描いている。会社を軌道に乗せた後、何らかの形でまたサッカーの世界に戻ってきたいと考えているという。
「人生、何でもできる。僕はそう思っているんです。そのためにも、ガンガン失敗したほうがいい。最初から自転車に乗れる子どもはいない。転んでうまくなるんです。失敗するから、成功がある。そのためにも、どんどんチャレンジし続けたいと思っています」
誰かのためになっているなら、きっと報われる。そう強く感じている。
文:上阪 徹
写真:八木虎造
編集:伊藤理子
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