複雑な私たちを描く短編集〜朝井リョウ『どうしても生きてる』
初期の作品から読んできた作家が飛躍するさまを目の当たりにするのは、読者としても大きな喜びである。いや、飛躍という表現は適切ではないかもしれない。その作家、朝井リョウはずっと高く飛び続けてきた才能の持ち主だったのだから。
実際朝井さんは、大学在学中に上梓されたデビュー作『桐島、部活やめるってよ』からほぼ完成された作家だったといっていいだろう。バレー部を退部した桐島を中心に据えた群像劇で、それぞれのキャラクターの心情を鮮やかに描き出すことに成功していた。しかし、『どうしても生きてる』を読んでから思い返してみれば、『桐島、』は新人作家らしい小説だった。大学生が書く文章としては、登場人物たちの造形もしっかりしているし、文章のうまさや物語の運びも見事だったといえよう。ただ、どのキャラクターの心の内についても誰もがよく理解できるというところがあった(例えば、自分が学生時代に所属していたようなグループ以外の子たちの気持ちであっても)。
わかりやすくていけないということはもちろんない。しかし、そこで本書である。いやもう、ほんとうに驚いた。本書は短編集なのだが、いずれの主人公も複雑な内面を抱えている。共感できる読者もいるだろうけれども、そうでない人もいるだろうなと思わせる、難しい状況下にいる者たちだ。現代人はこんなにも追い詰められ、閉塞感を抱えて生きなければならないのだろうか、という現実を突きつけられる思いがする。
6つの短編の中で、最も心に残ったのは「流転」。「流転」は少年ジャンプに連載されていた『バクマン。』の主人公たちを連想させる、漫画原作者と作画担当のふたりの出会いから始まる物語だ。中年のサラリーマン・豊川が、人生においてどれだけのものを手放してきたかが淡々と描かれる。まだまだ若手、作家としてもピークが続いているようにしか見えない朝井さんが、人生も半ばを超えたような豊川の気持ちをどうしてこんなに克明に描けるのだろうか。とりわけうまいと唸らされたのが、豊川と妻・奈央子の夫婦の描き方だ。もはや恋愛期の熱い思いなどとは縁遠くなってしまったふたりでも、家族としての体裁は保っている。今年「ONE TEAM」という言葉が流行語大賞に選ばれたが、もはや恋心や相手への欲望はなくても、家族としてやっていくことはできる。朝井リョウという作家はなぜそれを知っているのか。
最後に収録された「籤」も素晴らしい。女性であるというだけでそもそも同じスタートラインに立つことさえ許されなかった経験を、一度もしなかった女性はいったいどれくらいいるだろう。一方、そのことに気づいている男性のどれだけ少ないことだろう。にもかかわらず、朝井さんはそのジレンマを圧倒的な説得力をもって描いてみせた。再び思う、朝井リョウという作家はなぜそれを知っているのか。男女間の完全な平等性というものが存在し得ないことはわかっている。子どもを産めるのは女性だけだとか、どんなにがんばってみても基本的には女性より男性の方が力が強いとかの違いはどうしようもない。そうとわかっていても、女性としては少しでもそれをイーブンに近づけたいのだ。そのときに、その平等性の不在に意識的である男性の存在がどれだけ心強いことか。
何十年生きていても、理想の家族の形を周囲から押し付けられることや性別格差や雇用格差というものの軋みに気づかない人間もいる。そんな矛盾に満ちた私たちを否定することなく、しかし明らかに断絶は存在しており、それでも希望はなくはないのだということを、朝井さんは小説という形で示してくれている。
(松井ゆかり)
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