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ゲゼルシャフトとゲマインシャフト

ゲゼルシャフトとゲマインシャフト

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

ゲゼルシャフトとゲマインシャフト

ゲゼルシャフトとゲマインシャフト…この言葉を習ったのは高校だったか大学だったか…。ゲゼルシャフトというのは近代社会に見られる「人と人とのつながりが薄い」社会。機能社会。お金を出せば誰でも物が買える。良い人にも悪い人にも同じ値段で物を売る。

ゲマインシャフトというのは近代以前の農耕社会とかに見られるいわゆるムラ社会。困ったときは助け合う代わりに、共同体の価値観や秩序を乱す人間は排除される。(その共同体の価値観に照らして)良い人が優遇される社会だ。個人の行動や思想の自由は制限される。

現代社会がさまざまな価値観を認め、考え方の異なる人間も同じ社会で生きていけるのは、現代社会がゲゼルシャフトだからであり、いまさらゲマインシャフトを懐かしがるのはどうなの?という話を下記で書いた。

「人と人との繋がりが重要な社会って良い社会なのだろうか」2012年04月09日『メカAG』
http://mechag.asks.jp/461758.html

まあ何事も自由が行き過ぎると、不自由だった頃がよく見えてくることがある。「自由からの逃走」(エーリッヒ・フロム、1951年)なんて本もあるし。

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「なんでも自由にしていいです」といわれると戸惑ってしまい、むしろ「こうしなければなりません」という社会のほうが、ある種の心地よさを感じるのは否めない。自由度が少なければ、現在の自分の人生も自分の責任ではないわけだ。身分とか生まれついた家とか、個人ではどうにもならないもののせいにできる。

あいつがあんなに良い人生を送ってるのに、俺の人生はみすぼらしい。でもそれは家柄のせいであって、あいつと俺の個人の能力の差ではない…。

そもそも現代社会でも自分が決定できる人生のパラメータなんて微々たるものなわけで、それを建前として自由です!自己責任です!と、すべて個人の資質の差にされてはたまらないというのはあるだろう。

現代社会は冷たい、むかしのように貧しくても人と人との温かいつながりがある社会の方が良かった…という幻想が生まれる背景はおそらくこんなところだろう。いくらなんでも「自由は怖くて嫌です」とはいえないので、間接的に不自由だった頃の社会の利点を懐かしむわけだ。

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studygiftに絡む佐々木俊尚の主張に「個別包摂(自助)」という言葉が出てくる。行政などがおこなう社会包摂(公助)に対応する言葉らしい。人と人とが個人レベルで互いに助け合うことなのだろう。

根本的に俺と佐々木俊尚の考えの違いはこの個別包摂に否定的か肯定的かという点なのだろう。俺は上述のように個人の自由を共同体(ゲマインシャフト)が制限するムラ社会につながると考えるので、否定的だ。

一方で「現代社会は人と人とのつながりが希薄な冷たい社会だ」という1970年代からすでに言われているようなゲゼルシャフト(機能性社会)に対するアンチテーゼを、現代のネット社会に重ね合わせようとする人もいる。

1970年代は個人同士の通信手段が見発達で無理だったが、ネットが進歩した現代なら、ゲゼルシャフトとゲマインシャフトのいいとこ取りができるのではないか?という考えだと思う。繰り返しになるけど、俺は「できない」と考える派だ。

「決められたルールの中でしか戦えない日本人」2012年05月23日『メカAG』
http://mechag.asks.jp/472830.html

の後半でも書いたが、必要以上の人と人とのつながりは、社会に閉鎖性・保守性をもたらし、すでに文明や文化の進歩に悪影響を与えているように俺には感じる。

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そもそも人と人とが助け合うというのはどういうことだろう。たとえば誰かが何かの道具が足りてなくて困っている。一方自分のところには不要なほどその道具が余っている。ならば格安で譲ればお互いハッピー。いわゆるオークションサイト。

誰かがとある問題に取り組んで四苦八苦している。幸い自分はその問題の解決方法を知っている。ネットを通じて互いに必要な情報を交換できればハッピー。

なにか新しいことをやりたい。でも一人では難しい。ネットで探したら似たような考えの人間が結構いる。じゃあみんなでやってみないか?これもハッピー。

これらはそれなりに有効に機能している。しかしこれ「以上」を望むらしい。それが佐々木俊尚とかがいう個別包摂(自助)のようだ。

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上記のようにすでに成功している個人同士の協力システムは、ギブアンドテイクなんだよね。基本的にどちらも損をしない。だから安定して成り立っているわけだ。

一方で佐々木俊尚のいう個別包摂というのは、結局どういうものなのか?漠然と「みんなで助け合いましょう」みたいなイメージ以上の物が俺にはよくわからない。

で、一生懸命想像してみると、たとえば叔父が甥の学費を支援する話が出てくる。この場合叔父と甥の間の対等なギブアンドテイクではない。表面だけ見れば叔父が一方的に損をしている。損の代わりに得られるものをあえて言うなら親族という局所的な共同体全体の繁栄だろう。

つまり個別包摂の内、まだ実現していなくて、今後重要になると佐々木俊尚が考えているものというのは、個人が共同体のために尽くすというものなのだろう。

まあこれはそれはそれで悪いことではない。地域の住民が協力しあって自分の街を掃除するとか。昭和の頃はまだ下水道ではなくドブだったから、みんなで一斉にドブ掃除をするとかあったように思う。地域のイベント(祭り)なども、これに当てはまるだろう。

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ただこうしたことは結局は「政治」的な要素が多分に含まれる。地域のために何をするべきか?をみんなで話し合って、決めなければならない。町内の有力者の発言権が大きかったりする。ようするにムラ社会(ゲマインシャフト)の欠点を持っている。もちろん利点も持っているが。

叔父が甥の学費を支援する件だって、その甥とは血が繋がっていない奥さんにしてみれば、自分の子供を差し置いて甥のために我が家の金を使うなんて…と心中穏やかではないかもしれない。誰かが得をするということは、その分誰かが損をするということだ。それを押し通せるのは家庭の中で叔父が持つ政治力だろう。

縁故入学とか縁故採用とかはどうなのだろう。これも支援と言えなくもない。昭和の時代、これらは(必要悪と考える人はいても)プラスのイメージではなかった。縁故で入学した学生がいたら本来入学できたはずの学生がその分落とされたのではないか?という批判があった。

学校側はその分定員を増やしたから、割りを食った学生はいないと反論したが、それで授業に差し障りないなら、最初から定員をその数にすればいいわけで。結局誰かを支援するということは、(わかりにくいケースはあるが)他の誰かに不利益を与えることなのだ。それを一概に悪いとは言わないが、行うなら相当な妥当性が求められると思う。なんでも認めたら裏口入学も肯定することになる。フェア(公平さ)と支援の境界をどう考えるのだろう。

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こういうことを懐かしんで、ネット上に復活させようとする人というのは、そうした現代人が「わずらわしい」「前近代的だ」といって昭和の過去に捨ててきてしまったものを、本当にその長所や短所も承知のうえで、ネット上に復活させようとしてるのだろうか。

なんとなくネットというのは「ライトな人間関係」を望む傾向があると思うのだよね。studygiftからして、出した金以上のややこしい責任とかを負わないですむ、そのライト感覚が好まれたのだと思う。これをもし、定期的に会合を開いて運営方針について話し合い、基本的にその会合には全員参加です、とかやったら、多くの人は躊躇するのではなかろうか。

studygiftは「アイドルの人気投票」的な手軽さだからこそ、ウケたのだと思う。煩わしいものはネットではウケない。少なくとも一般には。いいかえるとstudygiftを健全な学生支援組織として運営しようとすればするほど、現在studygiftに魅力を感じている人にとっては、「めんどくさい」「わずらわしい」「わかりにく」「つまらない」「地味で」「不人気な」ものになっていく。多くの行政組織がそうであるようにね。大衆の人気頼みで運営できるジャンルだとは思えないのだが。

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「人と人とが個人ベースで助け合う社会」というのは、聞こえはいいが、相当に個人にとって高負担な社会だと思うのだよね。適切に運用するのも至難の業だ。だから結局近代社会(ゲゼルシャフト)ができたわけで。ネットに町内会的わずらわしさを持ち込むことに、本当に多くの人がそれを望んでいるのだろうか。

今回のstudygiftは分かりやすいほど「論外」だったけど、この手のサービスを健全に運営していく&運営されていることをチェックし続けるというのは、社会にとって(それはいいかえれば我々個人にとっても)相当な負担のはず。

そういう負担部分を見ずに、なんとなーく漠然と「人と人とが助け合う」なんて素晴らしい!というイメージだけで、幻想に酔っている人が多いのではなかろうか。

結局ネットを使ったからといってゲマインシャフトの欠点は消えないと思うのだよね。ネットオークションなどすでにネット社会で成功しているものは、ゲゼルシャフト的なものだ。あくまで等価交換であり、個人の裁量の範囲で責任のとれるものだ。それをゲマインシャフト的な方向にまで調子に乗って伸ばしても、成功するとは俺には思えない。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

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