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リーダーの役割は部下のハートに火をともすこと【三井不動産北原副社長】――「うまくいく人の20代」

リーダーの役割は部下のハートに火をともすこと【三井不動産北原副社長】――「うまくいく人の20代」

「うまくいく人たちは20代にどんなことを考えていたのか?」ビジネスで成功する人たちの若い頃について、インタビューを試みた第5回。どうやって天職に出会ったか。仕事とどんなふうに向き合ったのか。どんなことを頑張ったから、今があると思うのか。成長する人とそうでない人との違いとは……。今回ご登場いただくのは、三井不動産の北原義一副社長だ。「社名から、不動産を外したほうがいい」などとも語る異色の大企業役員だ。

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北原義一(きたはら よしかず)三井不動産株式会社 代表取締役副社長執行役員

1957年東京都生まれ。80年早稲田大学政治経済学部卒業、三井不動産入社。2004年ビルディング事業企画部長、07年執行役員、08年常務執行役員、11年ビルディング本部長、13年取締役専務執行役員。2017年より代表取締役副社長執行役員(現職)

三井不動産という会社を知らなかった

東京・日本橋で大規模な再開発事業が進められている。続々と新しいオフィスビルやマンションが誕生、話題になっている。2019年秋に商業施設「COREDO室町テラス」がグランドオープンする超高層ビル「日本橋室町三井タワー」は、すでにオフィスフロアはほぼ満床だという。

手がけているのは、日本を代表する大手不動産会社・三井不動産。北原義一副社長は、このビルディング事業を管轄するが、同時に20年以上前からベンチャー支援に関わってきた。また、「三井不動産という社名から、不動産の名前がついていることが妨げになる時代がくる」などとも語っている異色の大企業役員だ。彼はどんな20代を過ごしたのか。

実はもともと、別の業界に入ることを考えていたのだという。

「高校が附属校で大学受験がありませんでしたから、時間的にも精神的にもゆとりがあって、社会課題を意識するようになったんです。それで、メディアに入って世の中に影響を与えるような仕事がしたいと思っていました」。

ところが就職活動が始まると、高校時代の野球部の先輩から連絡が入った。三井不動産を受けてみないかという誘いだった。

「不動産の事業に興味があったわけでもありませんし、三井不動産という会社も知りませんでした。でも、受けたら受かってしまった。それで入ることにしたんです」。

その型破りな性格は、新入社員時代から発揮されていた。入社した最初の夏、上司も想像しなかった大胆な行動に出てしまうのだ。

「悪い意味で、学生気分が抜けていなかったんです。大学は2カ月くらい夏休みがありましたが、会社に入ると制度上の休みは短い。でも、有給休暇をくっつければ、3週間近く休めるな、と思ったんですね」。

実際、格闘技好きだった北原氏はタイにムエタイを見に行こうと、長い夏休みを取った。今でこそワークライフバランスがささやかれる時代だが、40年ほども前の話。しかも、新入社員である。上司や周囲が仰天したのは、言うまでもない。

「びっくりされましたよね(笑)。かなり厳しい評価をつけられてもおかしくないですね」。

不動産の仕事のなんたるか、は入社後に知った。もともと東京生まれ、東京育ち。東京の街をどう作り替えていくか、それを担える仕事だとわかって関心を高めた。

「ただ、致命的なことが2つありましてね。私は極度の方向音痴なんです(笑)。これは不動産の仕事をやるにはかなりハンディキャップで。いったい何度、道に迷ったことか。また、極度の高所恐怖症でもあるんです(笑)。後にビルの仕事をすることになって、建設中の高層ビルにシースルーのエレベーターで上がったりしたときは、恐怖そのものでした」。

東京の再開発に関心を深めたが、最初に配属されたのは、茨城県の宅地開発だった。仕事は、ニュータウンを作るための田畑山林の買収。そして6年目に、営業所長と営業部員の2人拠点だった岡山に異動。さらに翌年、広島で埋め立てのプロジェクトに携わることになり、30歳半ばまで漁師や養殖業者などへの漁業補償交渉を担当した。

「東京から、どんどん離れていきました(笑)。周囲からは、何かしでかしたんじゃないか、とかまで言われて(笑)」。

仕事と上司によって、鍛えられた20代

茨城の宅地開発プロジェクトでは農家、広島の埋め立てプロジェクトでは漁業関係者と、交渉相手は一次産業の従事者だった。プロジェクトに理解をしてもらい、了承してもらわないといけないが、これが簡単な仕事ではなかった。

「後にビル事業に移ってネクタイをした相手との交渉をすることになって改めて気づいたんですが、会社員というのは極めてわかりやすいんです。どんな会社のどんな会社員でも、考えていることが大きく違うことは滅多にないんです。だから、交渉はしやすい」。

しかし、一次産業の従事者はそうではなかった。いろんな考えの人たちがいて、説得の方法は一つではなかった。しかも、経済合理性だけではない部分でも真価を問われた。

「全人格的なお付き合いが必要になるんです。会社からのお願いでやってきました、なんて気持ちでやっているうちは、まったくうまくいきませんでした。会社名の三井不動産から始まるんじゃなくて、名前の北原から始まらないといけない。それで初めて、まともな交渉テーブルにつけるんです」。

簡単にうまくいくハウツーはない。人として認めてもらうには、どうすればいいか。20代の当時の自分を全身でぶつけていった。中には4、5年かかった交渉もあったという。

「それでも頑張れたのは、意義に気づけていたからでしょうね。広島のプロジェクトは、副都心を作るためでした。交渉がうまくいかなければ、広島に副都心が完成しない。社会的使命感というのかな。やらねば、という気持ちをかき立てられていましたね」。

苦しい日々だったというが、もうひとつ北原氏が悩んでいたことがあった。上司の存在だ。

「上司に恵まれたというか、恵まれなかったというか(笑)。社内でも、名前を聞いたら誰でも知っていたような厳しい上司に連続して付くことになったんです。個性的な上司でしたね」。

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