ミルハウザーの新しい試み、しかし変わりのない魔法の言葉

ミルハウザーの新しい試み、しかし変わりのない魔法の言葉

 スティーヴン・ミルハウザーの言葉は、ささやかな、しかし鮮やかな魔法のように、読み手の世界を変えていく。『イン・ザ・ペニー・アーケード』『バーナム博物館』『ナイフ投げ師』『十三の物語』といった短篇集に収められた諸篇を読むとき、ぼくの脳裡に浮かぶのは、十八世紀スイスの時計職人が生みだした精妙な機械細工だ。小さな空間に驚異と憧憬が詰まっている。

 しかし、こんかい邦訳された『私たち異者は』は、そうしたミルハウザーのイメージを少し変えるものだった。言葉を自在に操る手つきはまちがいなくミルハウザーだが、扱う題材や手法においてこれまでと違ったことを試み、作品の手ざわりも一篇一篇違ったものになっている。全般的にいえるのは、日常的な匂いが強くなっていることだ。もちろん、ミルハウザーには、平凡な日常などというものはない。アンバランスな何か、気がかりな何かを胚胎している。

 個々の作品にふれる前に、この短篇集のなりたちを説明しておこう。元となったWe Others: New and Selected Storiesは2011年の出版で、既刊の短篇集—-この書評の冒頭にあげた四冊—-に収められた旧作と新しい作品とを取り混ぜ、全二十一篇を収録している。『私たち異者は』は、そこから新しい七篇だけを邦訳したものだ。

 では、以下、収録順に。

「平手打ち」は、比較的裕福な住民が暮らす郊外の町で、通り魔的な平手打ち事件が連続する。犯人の正体とその狙いは? いくつかの事実が明らかになるものの、物語はミステリ小説的な事件解明には進まず、むしろ新しい謎すら生まれる。町に潜在していた不協和音が徐々に高まっていくが、決定的な破局に至るわけでもない。それも含めて、この町の日常なのだ。奇妙な味の傑作。

「闇と未知の物語集、第十四巻「白い手袋」」は、高校生の僕と仲の良いエミリー・ホーンの物語。抑制の効いた青春小説として幕をあけるが、エミリーが左手に白い手袋をするようになって、不穏な空気が混じるようになる。エミリーはなんでもないと言い、彼女の母親は「ただの湿疹よ」と説明するが、どうも様子がおかしい。クライマックスでは、閃光のごとき戦慄が走り、その点では怪奇小説なのだが、そこで終わらずに違和を孕んだまま世界がつづいていくのがミルハウザーだ。

「刻一刻」は、九歳の少年のある一日を、カメラのごとき克明な視線と独特のナレーションで描いた実験小説。ミルハウザー流にアップデートしたブラッドベリとでもいうか。

「大気圏外空間からの侵入」は、『危険なビジョン』に掲載されていてもおかしくないアンチSF。ここでいうアンチとは否定ではなく、SFが暗黙の常識と考えてきた書法を相対化するアプローチのことだ。

「書物の民」は、若き学徒へ贈るメッセージの体裁で、自分たちは創造主が最初の言葉を吹きつけた十二の書字板(タブレット)の末裔であると語る。ボルヘス的メタフィジックスが煌めく一篇。

「The Next Thing」は、町の外れ、モールの隣にできた商業施設が、しだいにひとびとの暮らしを変えていく。都市空間が人間精神を囲繞する風変わりなディストピア小説で、J・G・バラードを髣髴とさせる。

「私たち異者は」は、いわば幽霊の視点で描かれたゴーストストーリー。ただし、作中で幽霊やゴーストという言いかたはされず、ただ「異者」と名乗っている。元は人間だったが、いまや精神だけの存在となった語り手は、あなたたち(人間)とは違うと強調する。それでいて、私は生きた誰かを必要とし、モーリーンというひとり暮らしの女性の家に居着く。モーリーンは私の気配を察知し、奇妙な共同生活がはじまるが……。

 以上、七篇。

 先ほど「ミルハウザーのイメージを少し変える」短篇集という言いかたをしたが、それはあくまで意匠的な部分であって、作品の根底に流れているものは変わってはいない。ミルハウザーの作品は、だれもが心の内に秘めている、しかし普段は気づくことはない、まだ名前がついていない感情にふれていく。

(牧眞司)

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