ロングインタビュー:アキラ100%の熱い演技で号泣必至の映画『こはく』 監督が投げかける“本当の家族の優しさ”とは
幼いころ借金を残して突然姿を消した父親。その後を継いでガラス細工の工場を立て直す弟(35)と、別れた父に根深い恨みを持ったまま大人になり、定職にも就かず母親と同居している兄。そんな兄弟がお互いに複雑な感情を抱きながら父を探し歩く──。
7月6日より全国で公開される映画『こはく』は、慟哭のラストシーンとともに“家族の優しさ”とは何かを投げかける。原案を作り、監督を務めたのは、長編映画2作目となる横尾初喜氏。そして、感情の起伏が激しく気難しい兄役に抜擢されたのは、“裸芸”でブレイク中のお笑い芸人、アキラ100%こと大橋彰だ。
2人にとって「家族」とはどんな存在なのか。撮影の裏話も含めて、たっぷり語り合ってもらった。
横尾監督「哀愁とユーモラスな一面を併せ持つ役柄に“どハマリ”だった」
──兄の広永章一は、弟の亮太(井浦新)よりも父に対する恨みの感情が強いことや、仕事もろくにせず虚言癖もある難しい役どころ。監督はなぜ大橋さんに声をかけたのですか?
横尾:僕が監督をした前作の映画『ゆらり』は舞台が原作なのですが、その舞台に大橋さんも出られていたので、もう4、5年前からお名前は知っていました。大橋さんは少し哀愁の漂う役柄で、かつユーモラスな一面もある難しい役を見事に演じていました。僕はコメディーも好きなので、素敵な役者さんだなと思っていました。
大橋:『ゆらり』は、僕の所属事務所のネタ見せをしてくれている作家さんが書いた本なんです。当時、僕はピン芸人でお芝居コントみたいなこともやっていたので、「出てみない?」って誘われて。
横尾:そんな大橋さんが突然、お盆を持って裸でテレビに出てきたときにはビックリしましたよ。「あの大橋さんが“アキラ100%”さん?」って(笑)。
──もともと大橋さんは俳優志望で、高校時代から演劇部に入っていたそうですね。
大橋:そうなんです。高校の時から役者の道に進みたいと思っていました。ちょうど“第三舞台”や“キャラメルボックス”といった劇団が人気で、面白いけど最後はグッと感動を呼び起こすような演劇に僕も魅せられ、本気でお客さんを笑わせるコメディー俳優にも憧れていました。
──大橋さんから見た、横尾監督の第一印象は?
大橋:『ゆらり』の映画化のときは、少ししか出番がなかったので、あまり監督とじっくりとお話しする機会はありませんでした。それよりも、洋服を着て、しかも映画に出ること自体が初めてだったので、緊張と胸のドキドキで撮影の間じゅう汗が止まらなくなってしまって……。リハーサルの度にメイクさんに汗を拭いてもらっていたら、最終的に「焦ってばかり」という性格の役柄に変わっていて(笑)。
横尾:その役も大橋さんのユーモラスな特徴が光って、とても良かったです。
大橋彰(アキラ100%)「誰かと間違えてるんじゃないか」と確認した(笑)
──監督は今回の『こはく』でも、大橋さんに出演依頼をしようと思った理由は何ですか?
横尾:先に井浦新さんにオファーして快諾をいただいていましたが、その兄でストーリー上とても大切になる役柄を誰にお願いしようかとなったとき、井浦さんとは違う表現で化学反応が起きるような役者さんが絶対に面白いだろうなと考えました。そこで直感的に「大橋さんしかいない!」と。舞台出身の俳優さんは「その場に生きている」表現をあらゆるアプローチで演じることができるんです。
──大橋さんは重要な役どころのオファーがきて、どう思いましたか?
大橋:横尾監督がまた映画を撮るので出演オファーが来ているとマネージャーから聞いたとき、台本を見る前から絶対に出るつもりでいました。
最初、兄の章一役と聞いて、イメージではワンシーン、ツーシーン出るぐらいの感じで台本を読んでみたら、「あれ?」と。登場シーンがめちゃくちゃ多くて、何枚ページをめくっても章一が出てくる。読み終わってからマネージャーに、「誰かと配役を間違えてるんじゃない?」と確認したほどです(笑)。正直、これは大変なことになったと思いましたね。
──そこからクランクインまで、兄役をどう演じようと思いましたか?
大橋:兄の設定については、台本上では特に説明がなかったので、監督の思いを実際に聞いたのは、撮影前に現場に入ってからです。長崎が舞台の映画で、すべて方言のセリフだったので、それまでは方言のニュアンスを覚えることでパニック状態になっていました。
弟役・井浦新らと話し合いながら作り上げていった“家族”の旅
──では、役づくりを詰めていったのも、撮影直前だったということですか?
大橋:僕としては、弟の亮太を支え、寄り添いながら父を探していくイメージでいました。でも、いざ現場に入ってみると、「兄弟の関係性をより密に作っていきたい」という監督の要望もあって、撮影に入る2日前の晩に宿泊先のホテルロビーに監督と井浦さん、撮影監督さんと僕の4人が集合して、ガッツリと話し合いを。
横尾:そのとき、井浦さんが「この物語は“兄の旅”ですね」と言ったんです。もちろん兄弟で一緒に父を探す旅なのですが、父のことをはっきり覚えているのも、長年父に抱いていた思いを昇華するのも兄。弟はそれを見つめながら、自分も父になっていくというストーリー。むしろ寄り添うのは弟のほうなんじゃないかと。
大橋:確かに父のことをより覚えているのは兄貴だし、そんな監督と井浦さんの意見を聞きながらも、僕は内心「これはヤバいぞ」と思っていました(笑)。現場に入ってからのほうが、物語の中での兄役の重要性がより増していましたし、自分が撮影前に思っていたよりも、もっと強く父に対する感情を持たないといけない役なんだと、心して撮影に挑みました。
──監督ご自身も3歳のときに両親が離婚し、母子家庭で育ったそうですね。この映画は監督の半生をもとに作られた自伝的な要素が詰まった作品だと知りました。
横尾:はい。たまたま僕の兄と父親の話をする機会があって、兄が父のことを「恨んでいるし、忘れない」と言ったことがこの作品をつくる出発点となっています。
でも、身内とはいえ兄の気持ちを勝手にほじくり返して映画にするのはどうかと、最初は覚悟ができていませんでした。撮影現場でも兄役の心情を突き詰めていくことから少し逃げようとしていたのですが、井浦さんにいろいろと指摘され、そこは避けて通れない、と。もちろん、映画を作るにあたって、僕の兄にも母にも実際に父のことをどう思っているのか、たくさん取材はしました。
──撮影が進んでいくにつれ、監督の気持ちにも変化はありましたか?
横尾:今回は僕自身も一緒にお父さんへの思いを探していく旅をしたような感覚でしたので、とにかく井浦さんと大橋さんと3人で話し合いながら撮影を進めていきました。一緒に作り上げていった感覚で、それがラストのシーンで爆発したのかなと。
クライマックスは「一発勝負のドキュメンタリー」だった
──お父さん役の鶴見辰吾さんとは、直前まで顔合わせをしなかったとか。
横尾:クライマックスで父と息子たちが再会するシーンは、この作品におけるカタルシスになるのは間違いない方向でした。父を探し回って再会するシーン撮影は、それだけで丸1日とっていましたが、その日の大橋さんの集中力や気迫は近寄りがたいほど。その大橋さんの様子を見て、鶴見さんとの撮影テストもやめて、一発勝負のドキュメンタリーとして撮ることにしたんです。
──試写を見た人たちも、ラストシーンはみな泣いていました。
横尾:僕もモニターを見ながら号泣しました。観客の心を動かすエンターテインメントをどうやって作るべきかを考えたとき、僕も自分の子どもから教えられることが多いのですが、何の計算もない笑顔や全力の泣き顔に、大人も一瞬にして心を動かされる。テクニック云々ではなく、まっすぐな“熱量”をどう映像に出していくのかが自分の仕事です。そういう意味では、あのシーンは大橋さんの熱量がちゃんと映像に残った結果なんだと思いました。
大橋:そう言っていただけると本当に嬉しいです。もちろん、あのラストシーンの重要性は理解していましたが、自分にそれがうまく表現できるか、とにかく不安で仕方がないという数日間を過ごしていました。
普段から感情の起伏をすぐに表現できるようにトレーニングしているわけではないので、事前に気持ちをパンパンに溜めておかないと本番で出せないと思いました。コップに入った表面張力の水のように気持ちを口切一杯溜めて、ちょっとでもこぼれたら終わりという状態で、あの日の現場に入りました。
僕も章一と同じように定職につかず、20代後半の頃は役者を目指しながらもニートみたいな状態の時期がありました。いつも家にこもって、月に何回か思い立ったように日雇いのバイトに行って……。そんな鬱々とした日常も撮影をしながら思い返していました。そんな自分なりの気持ちも少しずつコップに注ぎながら、ラストシーンの撮影に持っていった感じです。
横尾:僕は、大橋さんならやってくれるだろうと疑っていなかった。2週間という短い撮影期間でしたが、終始、仲間と作っていくという空気感でやれたのが良かったんだと思います。
撮影するなかで、「優しさの多様性」を突きつけられた
──『こはく』を見た人たちに、家族の在り方をどう感じてほしいですか?
横尾:最初は「悲しみを知っている人間は優しくなれる」というのがひとつのテーマでした。優しさを通じて家族の在り方を模索しようと走り始めたのですが、次第に優しさの多様性みたいなものを突き付けられた気がして……。
覚悟を持った強さがないと、優しさが人に大きな傷を与えてしまうこともある。この作品を通じて、自分もそのことを教えられました。結局、家族の“愛の強さ”を皆さんに感じてもらえたら嬉しいです。
──大橋さんにとって、家族とはどういうものですか?
大橋:僕の父親は病気で亡くなっていますが、未婚の兄貴とお袋は実家に住んでいるので、この映画の登場人物と似た家庭環境にあります。
僕は結婚して外に出ているのですが、たまに実家に帰るとお袋がとても小さくなったように見えるんです。また、子どもの頃には気づかなかったけれど、離れて暮らしているからこそ客観的に親や兄弟の気持ちを推し量ることができるようになった気がします。
きっと、この物語の兄は、父のいない家族を支えていくうえで意地を張ったり、時にはウソをついてでも虚勢を張らなければならない辛さがあったのだと思います。それは弟では決して気付けなかったこと。父に対する恨みも愛情の裏返しで、大好きだった父との思い出を忘れていないという複雑な気持ちも出そうと、ラストシーンを演じたつもりです。
──映画には横尾監督の妻である遠藤久美子さんも亮太の妻役で出演しています。遠藤さんと結婚されてから、監督の生活リズムや仕事に対する向き合い方は変わりましたか?
横尾:久美と結婚して子どもができてから、生活の価値観は完全に変わりましたね。それまではとにかく仕事優先で、常に「自分にできないことはない」と楽観的に前ばかりを向いて生きてきましたが、役者の彼女は僕とは真逆のスタイル。生活の中から役づくりに反映させられることもあるという素晴らしい生き方を間近で見させてもらっています。
そのため、今では家族と公園に出掛けるのも楽しくて仕事の息抜きになっていますし、そこでたくさん仕事に還元できる発見もしています。昔は仕事で煮詰まったときには、たばこを吸う本数ばかりが増えていたのですが、子供ができてからは、外でも加熱式たばこにしてみたり(笑)。
──大橋さんは今後、役者の仕事も増えそうですね。
大橋:僕も根が楽観的なので、「なんとかなるさ」と思って希望だけは捨てないで生きていました。そうでなければ、40歳までアルバイトをしながら売れないお笑いを続けられなかったでしょうね(笑)。
これからも好きなお笑いの世界は続けていきたいですし、もちろん服を着た役者の仕事もいただけるなら、どんな役でも挑戦したいと思っています。
●よこお・はつき/1979年生まれ、長崎県佐世保出身。横浜国立大学在学中からミュージックビデオの制作などに携わり、その後2008年にFoolenlarge合同会社を設立し、副代表に就任。TVドラマやミュージックビデオ、短編映画の監督を手掛ける。2017年に舞台劇『ゆらり』(西条みつとし作)の映画化で長編映画デビュー。2作目となる『こはく』は7月6日より東京・渋谷のユーロスペースほかにて全国順次公開予定。
●おおはし・あきら/1974年埼玉県生まれ。高校時代より俳優を目指して演劇に没頭。2005年に大学時代の同級生とお笑いコンビ「タンバリン」を結成。2010年に解散後、現在のアキラ100%の芸名でピン芸人としての活動を開始。2016年「R-1グランプリ」で準優勝、2017年には優勝を果たす。映画出演は横尾初喜監督の前作『ゆらり』に続き『こはく』が2作目となる。
(撮影:長谷英史)
映画『こはく』
長崎先行公開中
7/6(土)よりユーロスペース、シネマート新宿ほか全国順次公開写真コピーライト
(C)2018「こはく」製作委員会公式サイト
kohaku-movie.com出演:井浦新 大橋彰(アキラ100%)
遠藤久美子 嶋田久作 塩田みう 寿大聡 鶴田真由 石倉三郎 鶴見辰吾 木内みどり原案・監督:横尾初喜
主題歌:「こはく」Laika Came Back
音楽:車谷浩司
エグゼクティブプロデューサー:相羽浩行
プロデューサー: 小関道幸/兼田仁/森田篤
脚本:守口悠介
撮影:根岸憲一
照明:本間光平
録音:根本飛鳥
美術:小栗綾介
スタイリスト:チバヤスヒロ
メイク:堀奈津子
編集:松山圭介
助監督:加藤毅
スチール:北島元郎
ラインプロデューサー:杉浦美奈子
グラフィックデザイン:おかもとゆりこ協力:(一社)長崎県観光連盟/長崎県フィルムコミッション(JFC)/長崎県立大学 映画研究会
後援:長崎市/佐世保市/大村市
特別協賛:ハウステンボス/メモリード・ライフ
制作プロダクション:FOOLENLARGE
製作:株式会社メモリード/アイティーアイグループ/株式会社プレナス/フーリンラージ株式会社/株式会社堀内組/NIB長崎国際テレビ配給:SDP
宣伝:マジックアワー2019/日本/104分/デジタル/1:1.85/カラー/5.1ch
映画『こはく』予告編(YouTube)
https://youtu.be/EKlBX3bxRnY
ウェブサイト: https://getnews.jp/
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