かつて夢と希望の地だった「団地」はいまや高齢者と外国人労働者ばかりに…!?
「団地」という響きから皆さんは何を想像するでしょうか。日本に団地が誕生したのは、終戦から10年が経過した1955年に日本住宅公団が設立された翌年のこと。大阪府堺市の公団団地「金岡団地」が第一号だったそうです。入居者の多くは大阪市内へ通勤するサラリーマン家庭でしたが、銭湯通いが当たり前だった時代に風呂付き住宅であったり、食卓と寝室が分かれた洋風であったりなど、庶民にとっては「夢と希望の地」だったといいます。
それが今や、団地の居住者の大半を占めるのは高齢者と外国人労働者。「都会と至近距離にありながら、限界集落の雰囲気を感じさせる」と記すのは、本書『団地と移民』の著者である安田浩一さんです。
自身も子どものころに団地暮らしだった経験を持つ安田さんは1964年生まれ。『週刊宝石』『サンデー毎日』の記者を経て2001年、フリーに。外国人労働者がかかえるさまざまな問題を長きにわたって追いかける中で、多国籍化する団地の存在には当然のごとく注目してきたといいます。排外主義的なナショナリズムに世代間の軋轢、都市のスラム化、そして外国人居住者との共存共栄……。本書は安田さんがさまざまな団地や団地に暮らす(暮らした)人々を実際に取材し、その現状を浮き彫りにした渾身のルポタージュとなっています。
たとえば最後の第6章で取り上げられているのは、愛知県豊田市にある保見団地。ここは1975年に入居が始まった大型団地ですが、入管法改正によって日系ブラジル人の無期限就労が可能となった1990年から日系ブラジル人住民が一気に急増したという歴史があります。今では全住民8000人の約半数がブラジル人などの日系南米人で占められており、「小さなブラジル」といった様相を呈しているとか。その中で、この団地の住民である藤田パウロさんが20年間毎朝欠かさずおこなっているのが「ごみ置き場の掃除」です。完全なボランティアなのになぜおこなうのか? 「ごみステーションが汚れていると、日本人はすぐにブラジル人のせいにするでしょ? ブラジル人が汚していなくてもブラジル人のせいにされる。だからどんなときでもきれいにしておかないと」とパウロさんは語ります。これまでも子どもが「ガイジン」と学校でいじめを受けたり、些細なトラブルから保見団地抗争と呼ばれる大事件に発展したりと、90年以降の保見団地の歴史は日本人とブラジル人の対立の歴史でもあったといいます。これにくわえて、近年は日本人住民の高齢化が進み、現在は国籍や民族の壁というよりも世代間のギャップが存在し、日本人同士であっても相互理解が困難だという状況があるようです。
外国人排斥に、押し寄せる高齢化の波……そこにあるのは、団地の、ひいては現代の日本社会全体の縮図といってもよいかもしれません。ではこの先、将来を悲観するしかないのでしょうか? けっしてそんなことはなく、保見団地においても国籍の壁を超え、手を取り合って防犯パトロールや地域の祭りなどに協力し合う動きも出ています。考えようによっては、もしかしたら、「団地」こそが増え続ける移民の受け皿となり、若い外国人労働者たちと孤立する高齢者たちとのかけはし的存在として機能していく可能性も考えられます。現在、全国の団地で共生に向けたさまざまな取組みが行われている中で、団地の将来はどのようになっていくのか。本書を読んで想像してみるのも面白いかもしれません。
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