狂気が漂う異様な作品ばかりの短篇集
一部の読書家のあいだでひっそりと語りつがれてきた飛びきりの異色作品を掘りおこす叢書《ドーキー・アーカイヴ》のうちでも、刊行前からとくに楽しみにしていたのが、このジョン・メトカーフの短篇集である。それまでアンソロジーに収録された作品をポツポツ読み、物語の底に狂気を湛えた、いつまでも覚めやらぬ悪夢のような読後感に、いったいどんな作家なのかと気になっていたからだ。この作者の作品は、正面から狂気をテーマにしているとはかぎらないが、作品空間にうっすらと漂う狂気の気配がある。気配なので形はなく、この部分が狂気だと示すことができない。
たとえば、「ブレナーの息子」という作品で、主人公の退役軍人ウィンターは、ポーツマスからハヴァントへ向かう列車のなかで、かつての上官ブレナー提督と再会する。ウィンターはもともとブレナーには悪印象しか持っていないが、もう過ぎたことだと敬意をもって接し、ブレナーも礼儀良く応対する。ブレナーは「サトレジ号でたぶん一八九八年だった」と、ふたりが同じ配属だったころにふれる。
「サトレジ号で一八九八年」は、その後も何度も言及されるのだが、その船でいったい何があったか、それがいまにどう関係するのか、あるいは関係しないのか、まったく明かされない。ただ、頭の中にふいに浮かび、振りはらおうとしても振りはらえずに繰り返される歌のようにつきまとう。
ブレナーは幼い息子を連れていて、この少年が父の言葉を鸚鵡返しして「サトレジ号でたぶん一八九八年だった」と言う。たったそれだけのことだが、空気が重くなる。作中での記述はこうだ。
あの子供が父親の口真似をしているにすぎない。恥辱の灰色の帳が降りてきて、ふたりの男を隔てた。提督の顔は蒼白となった。地獄のようにひどいガキはしたい放題のようだった。ウィンターは目をそらせた。
このあたりの理屈がよくわからない。「地獄のように」とまで言われるようなことかとも思うのだが、ともかく読者の脳裡には、ブレナーの息子の印象が刷りこまれる。そこに薄く上塗りを重ねるように、その後のエピソードが展開していく。
また、不思議なことに「後になって、この邂逅の細部が思い出せなくて彼[ウィンター]はひどく頭を悩ませた」とも述べられている。
災難がはじまるのは、これからしばらくのち、ブレナーの息子が予告もなしにウィンターの家を訪ねてきてからだ。この子どもの傍若無人なふるまいに、ウィンターも家族も振りまわされる。ウィンターが殴りつけて言うことを聞かせようとしても、のれんに腕押しなのだ。
作中で起こっているできごとに、非現実的な要素はまったくない。しかし、読んでいる印象は、まちがいなく幻想小説なのだ。どこか辻褄があっていない、正気の理屈では説明しつくせない、世界が歪むような感覚。
これがジョン・メトカーフの小説だ。
世界の歪みは尻上がりに程度を増し、ついには実際に起こっていることと妄想との区別がつかなくなる。一気になだれ落ちる結末が凄まじい。
巻末の解説で横山茂雄さんが「脳髄をじかに浸蝕されるかのごとき危険な眩惑感」と形容する、異貌の作品ばかり全八篇を収録。
(牧眞司)
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