“世界一優秀な探偵”コール&パイク登場『指名手配』

“世界一優秀な探偵”コール&パイク登場『指名手配』

 あなたの世界にかぎ裂きができてしまい、涙にくれているとする。
 大事なものが全部こぼれていきそうで、心細くてしかたないだろう。
 そんなとき。
 どれ、貸してごらん。この世に繕えない破れ目なんてないんだぜ。
 横から手を出して、そんな風に励ましてくれるのがエルヴィス・コールという男だ。

 自称〈世界一優秀な探偵〉が、無口だが頼れる相棒のジョー・パイクと共に連続強盗事件に取り組む。ロバート・クレイス『指名手配』は、1980年代から続いているにもかかわらず、いまだに信じられないほどの質を維持しているシリーズの、第17長篇にあたる作品だ。

 ええっ、17番目だって、と尻込みする必要はない。他の優れた連作の例に漏れず、本書はもちろん単独で楽しむことができる。たしかに前作までの登場人物に関する言及が随所にあるが、そんなことは気にしなくてけっこう。小説を読む上で、知っておくべきことはほとんどない。強いて言えばこんな感じか。

 エルヴィス・コールは猫を飼っている。私立探偵で、テコンドーとあれこれを混ぜた自己流の武道を習得している。強い。

 ジョー・パイクは無口。私立探偵というより軍事請負人で、物事を解決する危険な手段をいろいろ知っている。強い。

 二人ともすごく頼りになる。本書の依頼人はデヴォン・コナーという女性で、17歳になるひとり息子のタイソンが、何かまずい秘密を抱えているらしい、ということで相談に来た。妙に金回りがいいし、部屋からは時価4万ドルもしようという腕時計が出てきたのだ。

 途方にくれ、「わたしの選択肢はあなただけ」とすがってきた女性にエルヴィスは言う。「奇跡を起こすのがわたしの商売です」と。

 以上のことからも容易に想像がつくはずだが、タイソンはまずいことに巻き込まれている。本書のプロローグには、謎めいた二人組、ハーヴェイとステムズがセレブ御用達のクラブに乗り込み、ある青年から荒っぽいやり方で情報を引き出す場面が描かれる。1足す1が2であるのと同じように自明で、タイソンはこの二人が関わっている犯罪に関係しているのだ。デヴォンの依頼を受けたエルヴィスは、彼女の息子をなんとか警察に自首させようとして動きだすが、途中で刑事を名乗る二人組の暗躍に気づき、彼らからタイソンを守ることを最優先事項に切り替える。何しろ二人の仕業と思われる死体がすでに複数転がっているのである。

 重要な登場人物であるハーヴェイとステムズは、図体がでかい以外は俳優組合から仕出しで回されてきた三流役者のような特徴のない外見だ。だから刑事を自称しても疑われないのだが、プロローグを始めとする章で彼ら視点での叙述を経ている読者は、二人の違いを知らされている。

 ステムズが二十四時間営業の〈オリジナル・パントリー〉で頼むのは、ツナ・サンドイッチとコールスローだけ。そして、強い。

 同じ店でハーヴェイはカントリー・フライド・ステーキのグレイヴィーソースがけとハッシュブラウン、半熟両面焼きの卵二個にサワードゥ・ブレッドのトースト、サルサの大盛りを注文し、ブラックコーヒーとバニラ・アイスクリームをデザートに平らげる。ついでに、タイソンの部屋を家探ししているときに見つけたADHDの治療薬も。こいつも強い。

 こんな感じである。中盤までそれほど出番がないが、ロサンゼルス市警のカセット刑事も、エルヴィスの事務所に不法侵入して待ち伏せをしたりするところを見ると、彼女も侮れず強そうだ。タイソンを追って私立探偵と悪党、市警の刑事が三つ巴になって競争するという話の構造がわかるまでの流れるような展開、そして中盤以降の少しも無駄がなくスリルが高まる一方の追跡劇が実に素晴らしい。その合間にエルヴィスがちょっとずつおしゃべりをして、無敵の中年男ここにあり、を読者に印象づける。私立探偵の愛猫は飼い主が美味しく調理したチキンを食べて、毛玉とともに吐き出す。人間に媚を売るような猫ではないのだ。

 そんな猫を見ながらエルヴィスが、もしかすると義理の息子になるはずだった少年、ベンのことを思い出しつつ、もしも自分が父親だったら、と想像する場面がいい。実は、エルヴィスには父親の顔を知らずに育ったという過去があるのだ。少年捜索の背景には、不在の父の物語が重ねられている。自分が父親だったらああだったろう、こうだったろうと思いを馳せつつ、猫が食べなかったチキンの代わりに彼は仔牛肉を焼く。本来はつきあっている女性のために準備したものだったが、来られなくなったのだ。

 —-猫がそばに来て、横にすわった。
 肉を少し切り分けて、さらに細切れにし、ひとかけら差しだした。猫は鼻をくっつけ、ひとなめしてから、キスをするようにそっとわたしの指先から肉をくわえた。
 わたしには子供がいない。猫が一匹いる。

 オールドファンの中にはコリン・ウィルコックス『父親は銃を抱いて眠る』(文春文庫)やロバート・B・パーカー『初秋』(ハヤカワ・ミステリ文庫)のような父子関係を描いた先行作を期待する方がいるかもしれない。エルヴィス・コールは軽口を叩くわりにはつつましい性格だし、なんといっても追いかけるのがいい加減大人に近づいたティーンエイジャーでもあるので、そこまであからさまな話にはなっていない。しかし、このさりげなさがいい、という読者も多いはずだ。そんな方はぜひ本書を最後までお読みいただきたい。世界の破れ目を繕う探偵、世界一優秀な探偵が大好きになるはずだ。

 ロバート・クレイスの日本初紹介作は本国で1987年に刊行された『モンキーズ・レインコート』(新潮文庫)で、松尾芭蕉「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」にちなんだ題名ということで話題になった。これがエルヴィスのデビュー作でもある。シリーズには彼ではなくジョー・パイクが主役を務めるものもあり、『天使の護衛』(RHブックスプラス)が翻訳されている。シリーズ外の長篇『容疑者』(創元推理文庫)はスコット・ジェイムズ巡査とシェパードの警察犬マギーを主人公にした単独作で、第6回翻訳ミステリー大賞の最終候補作にも選ばれた。その続編である『約束』(創元推理文庫)にはコール&パイクのコンビも登場し、シリーズと合流したのである。こうして書いてみると無茶苦茶おもしろそうなのだが、実はクレイスには未訳作品が多い。不愛想な猫を飼っている私立探偵の物語、もっと読みたいんだけどな。

(杉江松恋)

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