「夢中になれるものが見つからない」と悩む人たちへの小説家のメッセージ

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「夢中になれるものが見つからない」と悩む人たちへの小説家のメッセージ

東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻、博士課程修了の経歴を持ち、『ルカの方舟』や『コンタミ 科学汚染』『博物館のファントム』など、科学や理系的世界をモチーフにしたミステリの書き手として知られる伊与原新さん。

その最新作となる『月まで三キロ』(新潮社刊)は、これまでのイメージを一新するような人間ドラマが描かれた短編集となっている。

何もかもを失い、死に場所を探してタクシーに乗った男、ある事件から幸せを諦めかけているアラフォー女性、優秀な兄や個性的な伯父と対照的にフツーで何者にもなれずに悩むフリーター…。そんな主人公たちの心に空いた隙間を埋めていくものとは?

書店を中心に話題を呼んでいるこの短編集について、伊与原さんにお話をうかがうインタビュー。その後編では、作家としての伊与原さんにフォーカスしていく。

インタビュー前編はこちらから

(取材・文:金井元貴)

■研究者から小説家に転身。「研究に対して未練はあったけど…」

――伊与原さんは小説を書く際に「科学」をベースに書くことに対してどのようなこだわりがあるんですか?

伊与原:実はもともと科学をベースにするつもりはありませんでした。実際、デビュー作は、科学的要素はほとんど出てきません。ただ、やはり小説のインスピレーションが科学から来ることが多いんですよね。

「科学」というだけで難しそうと思われたり、読者を選んでしまうのではないかと考えて、科学から離れたいと思うこともあったのですが、いざ離れて考えると全く思い浮かばなくて…。科学の雑誌だったり本を読んだりしながら、「これは小説になりそう」という作り方じゃないとなかなか書けないというか。

――「科学から離れたいと思うこともある」とおっしゃいましたけど、それ以外のテーマで書くとしたら何か書いてみたいことはありますか?

伊与原:今はもう完全に離れて書くというのは考えていなくて、仮に離れても少しは科学や研究者というテーマが関わってくるようなものが自分にとっては良いのかなと思います。

これはある方に言われたのですが、「自分のインスピレーションの源が科学であれば、そのテーマで書いた方がいいし、無理をして万人受けするように取り組もうと思っても、5年後、10年後厳しくなるだけじゃないですか」と。本当にそうだと思いますし、自分が無理せずに書ける題材に科学を少しエッセンスとして入れてみるような形で書いていこうかなと思っています。

本作もあまり理系と思われずに読んでもらえる小説を書こうと思っていました。帯で北上次郎さんにもコメントをいただきましたが、ドラマを中心に据えようと。

――もともとは研究者だった伊与原さんですが、小説を書こうとされたきっかけは?

伊与原:当時大学に勤めていたのですが、研究も上手くいかず、あまりやる気もなくて(苦笑)、そんなときに小説のプロットをふと思いついたんですね。もともとミステリ小説を読むのが好きだったのですが、トリックを思いついて「これはミステリ小説の題材にできそうだ」と思って、書き始めたのがきっかけです。

――ふと思いついたプロットを使って小説を書いた。

伊与原:そうです。そのプロットは「二度目の満月」という作品で使って、江戸川乱歩賞の候補作になりました。

――もともとミステリが好きだった、ということで影響を受けた作家さんはいらっしゃるんですか?

伊与原:影響と言われると特に名前はあがらないのですが、当時から読んでいて好きだった作家さんで言うと、東野圭吾さん。あとは綾辻行人さん、島田荘司さん、京極夏彦さんも好きですね。

――デビューをして、研究者と小説家という二足のわらじを履くわけですが、作家として自分はやっていけると思った瞬間はいつでしたか?

伊与原:作家としてやっていけていると思ったことはないです(笑)。ただ、その質問が「作品をこれからも書き続けていける」という意味だったら…うーん、それもないかな。一作一作書き終え続けて今に至るという感じなので、確固たる自信を持ったことはないですね。

――勤めていた大学をやめたのは?

伊与原:小説家としてデビューして、幸い何社かから執筆のお話をいただけたのですが、やはり二足のわらじは難しかったんです。デビューから1年くらいは大学にいて、昼は大学で授業や研究をして、夜に帰って小説を書くという生活をしていたんですけど、身体的にもきつくて、これはどっちかに絞らないとダメだ、と。それで小説家を取りました。

――大学をやめる決断はすんなりできたのですか?

伊与原:そうですね。研究に対して未練はありましたけれど、すでに職場としての大学に対してはまったく未練がなかったので。

――科学の研究ってどんどんアップデートされていきますよね。普段は最新情報をどのように収集されているのですか?

伊与原:ずっと読み続けてきた科学雑誌が何冊かあるのと、あとはツイッターですね。ツイッターで科学クラスタをフォローしていると、最新の面白い情報が流れてくるんです。あとは研究成果だけでなくて、疑似科学に関してもチェックしています。僕自身はツイートをしていないんですけど、科学クラスタをフォローすることは大事かなと思います。

――ネット上でたびたび問題になるのが、「科学」と「科学っぽいもの」の違いの見分け方です。その中で「科学」よりも「科学っぽいもの」が信じられてしまうことも多いのですが、これは私たちの情報との向き合い方の問題なのか、それとももっと違うところに問題にあるのか。伊与原さんはどのようにお考えですか?

伊与原:違うところの問題だと思います。「これは間違いだよ。正しいのはこっち」と言っても信じてもらえない状況は確実にあって、それが科学の情報を発信している人たちが感じている無力さにつながっています。

それに対して昔は怒りを感じていたけれど、最近は「人は信じたいものを信じて生きるしかない」と考えるようになっていて、もうしょうがないことと捉えています。ただ、そのことで情報弱者の人たち、社会的弱者の人たちが不利益を被る状況が生まれているならば、それは絶対に許してはいけない。そこはまだ怒りを覚えますし、いかに止めるかを考えなくてはいけません。

藁にもすがる想いで情報を集めている人たちにつけ込むことは許せないですよね。医学で起きている「ニセ医学」の問題は正にそういうことなのだと思うのですが。

■「夢中になっているものがある人がいることが、希望になるのではないか」

――本作には自分が夢中になれるものを持っている人が出てきます。すごく羨ましいと思ってしまうのですが、夢中になれるものが見つからないと悩んでいる人たちにアドバイスを送るとしたらどんな言葉をかけますか?

伊与原:うーん…僕自身はみんながみんな夢中になれるものを見つけることは難しいと思っています。

むしろ、夢中になれるものを見つけられた人がいるということが大事で、そういう人たちが強いこだわりを持って、周囲の人たちが世俗的なことに捉われている間に、そこから離れて夢中になるものを追いかけ続けて、科学や技術の発展に大きく貢献している。それが学者であり、発明家であり、オタクと呼ばれる人たちなのではないかと思います。

実際、今のITの基盤をつくった人たちも、地位や名誉、お金とは無縁の好奇心だけでプログラムやコンピューターを開発してきた側面が強いですよね。もちろん、みんながそうなるのは難しいけれど、人の視線も気にせずに夢中になれるものがある人がいるということ自体が大切なんじゃないかと。

――「星六花」の奥平はまさにオタクというか、自分の持っている知識をあますことなく教えますよね。本当に好きなんだということが伝わる。

伊与原:教えたがりですよね。研究者もそういう人は多いですよ。研究成果を誰に頼まれなくても伝えたいという人はいますし、一部の分野を除いて秘密にしたがる人はほとんどいません。

――本書は「科学」が通底していますが、それ以外にも人生を委ねられるものはあるなと思います。本作でいうなら、「天王寺ハイエイタス」の哲おっちゃんは音楽ですし。

伊与原:「天王寺ハイエイタス」の主人公は、自分が何者でもないことに悩んでいますけど、そういう人にとってみても、周囲に夢中になっているものがある人がいるということがささやかな希望になるのではないかと思うんですね。それが伝わるといいなと思います。

――では、読者の皆様にメッセージをお願いします。

伊与原:誰が読んでも「自分の話かな」と思える部分があると思いますので、ぜひ読んでみてほしいです。

(了)

■新潮社ウェブサイトにて、本書収録の「月まで三キロ」「星六花」を1月31日まで無料公開中。

https://www.shinchosha.co.jp/tsukimade3kiro/info.html

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