離れていても声が聞こえる。ウィリスのロマンチック・コメディ。
コニー・ウィリスの新作長篇。そう聞いただけで少々気が重くなるのは、ぼくが分厚い作品が苦手で、ウィリスの長篇といえば分厚い(それも尋常ではなく)のがあたりまえだからだ。かといって、無視するわけもいかない。なにしろウィリスの新作なのだ。面白いに決まっている。「苦手なのに面白いに決まっている」とは矛盾しているようだが、そうでもない。読者の好みを超えた圧倒的なストーリーテラーというのが世の中には存在する。
読書だから「読んでも読んでも残りのページが減らない」とストレスになるのであって、これが連続テレビドラマだったら、毎週わくわくしながら観られるところだ。
『クロストーク』はいくつもエピソードが盛りこまれているから、毎週放映されるドラマに最適。噂好きの同僚やお節介な親類に悩まされながら、秘密の社内恋愛をしているキャリア女性が主人公のロマンチック・コメディで、次々に新しい厄介事がふりかかる。恋人は野心たっぷりで万事にそつがないイケメン。それとは別にエキセントリックでオタクっぽい、しかし本当はキュートな男子も登場して、めきめきと存在感を増していく。主人公の姪は少々跳ねっ返りでマセているが、めちゃくちゃ聡明だ。ここらへんは、なんとしても良い俳優を当てたくなる。
主人公のブリディ・フラニガンが勤務しているのは、携帯電話会社コムスパン。ロマンチック・コメディだから勤務先の業種なんてなんでも良さそうだが、じつは、ここが『クロストーク』のSF的展開にとって非常に重要となる。
なにしろ中核となるアイデアがテレパシーなのだ。ブリディは、恋人であるトレントとの婚約に先だって、EEDを受けることになる。EEDというのは脳神経を強化する処置で、これによってパートナーとの感情的なつながりが高まるとされている。施術から早ければ二十四時間、通常は二日ないし五日で効果があらわれる。しかし、ブリディは麻酔から覚めてすぐに「声」が聞こえるようになった。あら、私とトレントはやっぱり相性が抜群だったのね! と喜んだのもつかの間。その声は、トレントのものではなく、コムスパンの地下のラボに閉じこもっている変人、開発技術者のC・B・シュウォーツのものだった。
CBといえば、ブリディとトレントがEEDを受けることをなぜか事前に知っていて(もっとも社内のゴシップ伝達網は諜報機関顔負けなので、秘密情報がリークしたとしても驚くことではない)、ブリディに手術を思いとどまるよう、横槍を入れてきた人物だ。ふん、余計なお世話だっつーの。
そのCBの心の「声」が聞こえるなんて心外だが、やがて、機嫌を悪くしているどころではなくなる。ブリディの獲得した能力はEED本来の「感情的つながりの強化」などという域ではなく、離れた場所にいてもCBの思考が伝わるようになる。プライバシーなんてないも同然だ。
しばらくすると、事態はいっそう悪化する。近くにいる人間の思考が無差別に頭のなかに流れこんでくるようになったのだ。これはCBとのあいだのような双方向ではなく、ブリディの思考は相手に届かない。しかし、大勢の人間が集まるところでは、あまりの騒がしさにパニックが起きるほどだ。
テレパシーを扱ったSFには、A・E・ヴァン・ヴォクト『スラン』、シオドア・スタージョン『人間以上』、アルフレッド・ベスター『破壊された男』、筒井康隆『家族八景』などの有名作があるが、ことアイデアそのものについてみれば『クロストーク』はそれら先行作から一歩も出ていない。それどころか後退している部分もある。
『クロストーク』で、ブリディやCBが聞く「声」は、ひとの思考そのものではなく、思考を言語化したテキストなのだ。言葉として成形されない思考は読めない。そして、人間の思考は、ほとんどは言葉にされない。たとえば、キレイな花を見て「キレイな花だな」と、わざわざ言葉にして考えず、心のなかに去来するのはイメージや感情だ。『クロストーク』は物語に都合よく、人間は言葉で思考するのがデフォルトのように描かれている(あるいは、ウィリスは文筆業の習いとして、感じたことを即座に言葉に変換する癖がついているのかもしれない)。
しかし、それはかならずしも瑕疵ではない。超光速航行を説明抜きに描くことが許されているように、あくまで作品内の決めごとにすぎない。テキスト化された「声」は、電話やメールと実質的に等価であり、そこにブリディの勤め先が携帯電話会社だという意味がある。
ウィリスはさりげなくミスリードを仕掛け、コムスパンの存亡がかかっている携帯電話の新機能開発と、テレパシーが引きおこす問題とが、ストーリー展開の面においてもテーマの深化においてもスムーズにつながるよう調整している。ブリディを悩ます社内のゴシップ網や親戚たちの執拗なお節介も、そこにうまく被さってくる。
また、パートナーとの感情的絆を深める処置EEDは、ミステリで言われるレッドヘリングであると同時に、物語後半において重要な役割を果たす登場人物を呼びこむ呼び水にもなっている。
このあたりの物語構成術は舌を巻くほどの巧みさであり、さすがコニー・ウィリスと改めて脱帽した。結局、読んでも読んでも終わらないと文句を言いながら、何日間もこの本を持ち歩くはめになってしまった。
(牧眞司)
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