背中がぞわぞわする『ピクニック・アット・ハンギングロック』

背中がぞわぞわする『ピクニック・アット・ハンギングロック』

 あけましておめでとうございます。

 新しい年の門出だからめでたい気分になれる小説が読みたい、などと病膏肓に入ったミステリー・ファンは言わないだろうと思われる。周囲が新春気分だからこそ、背中がぞわぞわするような本が読みたいんだよ、と主張するだろう。

 わかりました、ではこの一冊を。ジョーン・リンジー『ピクニック・アット・ハンギングロック』(創元推理文庫)である。1975年にピーター・ウィアー監督で映画化され、その11年後の1986年に日本では公開された。カルトムービーとして今なお絶大な支持者がいる作品の、これが本邦初訳である。作者のリンジーは今から約半世紀前の1967年にこの小説を書いた。元になったのは70歳のときに彼女が見た、不思議な夢であったという。一週間にわたる続きものの夢だ。彼女はそれをタイプライターに打ち込み、一月足らずで小説の形に完成させた。

 物語は1900年の夏、オーストラリアヴィクトリア州のマセドン町に近い奥地(ブッシュ)にあるとされるアップルヤード学院で始まる。英国で教育ビジネスを学んだアップルヤード校長は、この地で将来の淑女を養成するための理想的な寄宿学校を始めた。アップルヤードの生徒たちにとって年に一度のお楽しみとは、近くのハンギングロックへのピクニックだ。エアーズロックを初め、オーストラリアには巨大な奇岩を観賞できる景勝地が存在する。首吊り岩なる不気味な名を持つハンギングロックもその一つだ。

 冒頭で描かれるのはピクニックの前の華やいだ雰囲気である。その日はバレンタインデーでもあり、カードの贈り合いをした生徒たちの心は浮き立っていたのである。普段はお高くとまっている先生までが、贈られたカードを自慢げに見せつける。しかしアップルヤードの小淑女たちは、そんな日といえども羽目を外すまでには至らない。オーストラリアの2月は真夏だから、耐えがたいほどに馬車の中は暑くなる。町の外に出たら手袋を取っていいが、崩してもいいのはそこまで。「帽子も脱いでいいですか?」というアーマ・レオポルドの問いに、引率のマクロウ先生は答えた。「もちろん、いけません。私たちは学校の外にいるのです。ならず者の集団だと思われたらどうするんです」と。

 しつけの行き届いた少女たちの微笑ましい行楽のはずであった。しかし、思いがけない変事が起きてしまう。アーマたち4人の生徒がハンギングロック見物のために山に近づき、唯一の下級生だったイーディス・ホートンを除く3人がそのまま戻ってこなかったのだ。しかも、数学教師のマクロウ先生までが姿を消してしまう。引率の教師たちと馬車を提供したベン・ハッシーら大人たちはぎりぎりまで捜索を続けたが、夜が訪れたために引き返さざるをえなかった。失踪者たちはオーストラリアの原野の中に取り残される。

 小説を読んでいると、思わず居住まいを正したくなる瞬間が訪れることがある。本書のそれは、アーマたちの失踪場面である。ある瞬間から物語は現実を離れ、どこともいえない世界へと向けて浮遊を始める。ピクニック一行の持つ時計がすべて昼の12時をさしたまま止まってしまっていることがわかる場面がその予兆であり、何事かが起こるということが読者に示されるのである。アーマたち4人がハンギングロックに引き寄せられるようにして歩いていく場面に作者は二人の傍観者を登場させ、暑気の中に浮かび上がった蜃気楼のような美しい幻影として少女たちを描く。そこから原生林に入ったところで彼女たちが見るものは、人間ではなく昆虫が主役となっている森の生態諸相であり、時間が止まったかに見える巨大な沈黙である。この箇所は文章自体が巨大な重石となって読者の頭上にのしかかってくるようであり、異界への入口が目の前に開けたかのような感覚が味わえる。

 小説の主題は滅びであろう。物語の冒頭で、あれほど完璧に整い、幸せそうに見えていたアップルヤード学院が、ピクニックを機に変貌していくことになる。失踪事件以外にもさまざまな不幸な出来事が起きてしまうのである。

—-この日以来、日課の散歩でベンディゴ通りにやってくる学院の少女たちは、夏の制服と不格好な麦わら帽子を身につけ、ふたり一組で手をつなぎ、言いつけどおりに固く口をつぐんで、女囚のように歩くようになった。

 一度崩壊に向かい始めた流れを止めることは誰にもできない。ボタンはかけ違い、布は綻び、壁に入ったひびが次第に亀裂を広げていく。うまくいきそうになると突然破局が訪れる、という展開は入眠時の悪夢でおなじみのものだが、本書が夢を元にしていることからくるのだろうか。残酷な展開がたびたび訪れるが、読者はそれをなすすべなく見守るしかないのである。喜びに満ちていた冒頭と読み比べれば、中盤以降の変わり様に驚かざるをえない。さながら滝壺に落ちていく瀑布のようであり、登場人物たちは不可避の結末へ向けてあっという間に押し流されていく。不幸の波に侵された学院は、まるで忌まわしい禁忌の地のようである。

—-しばらくすると、弱い月明かりに照らされた鉛板葺きの屋根の上を、数匹のポッサムが跳ねはじめた。キイキイ鳴きながら、わが物顔で走りまわる。ポッサムたちの真ん中では、屋根の上から突きでた不格好な小塔の影が、濃紺の空を背にして黒々と浮かびあがっていた。

 心の中に波が立つ状況が好きだ。広がる波が自分の内部にある何かを刺激し、世界を見る目を改めさせる。不安に衝き動かされて立つとき、目の前に開ける眺めは暗く、救いのないものに見えるが、それを堪えてじっと目をこらす。それで初めて見えてくるものがあるのである。『ピクニック・アット・ハンギングロック』もそういう小説だ。迫りくる嵐を見つめろ。

(杉江松恋)

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