モデル、学生、銭湯絵師。「三足のわらじ」で奮闘する勝海麻衣が目指すもの
近年、銭湯ブームが起きているといわれているが、銭湯は数十年前から減少の一途をたどっている。それにともない銭湯の壁に絵を描く職人“銭湯絵師”の数も激減。現在では3人しか存在しない。
そんな状況の中、4人目の銭湯絵師を目指して修行に励む若き美女がいる。勝海麻衣、24歳。東京藝術大学大学院で学ぶ学生であり、現役のファッションモデルでもある。才色兼備を地でいく勝海さんはなぜ厳しい道を選んだのか。また、銭湯絵師の第一人者である師匠の丸山清人さんは勝海さんをどう見ているのか。お二人に話を聞いた。
プロフィール
勝海 麻衣(かつみ・まい)
1994年、東京都出身。医師の家庭に育ち、幼稚園から高校まで東京の名門・ 四谷隻葉に通う。小学2年生の時に見た銭湯絵で銭湯絵師を志す。高校卒業後、武蔵野美術大学に入学。在学中に空間演出デザインの勉強と平行してモデル活動開始。2018年には卒業後は東京藝術大学大学院へ(現在1年生)。2017年9月、銭湯絵師の第一人者・丸山清人氏に弟子入り。銭湯絵の技術を身につけるべく修行中。
丸山 清人(まるやま・きよと)
1935年、東京都出身。日本に現存する3人の銭湯絵師の中で最高齢。繊細な画風が特色。18歳の時に叔父に弟子入りし、背景画を学ぶ。25歳で独立。銭湯の背景画はもちろん、個人宅・店舗・病院・老人ホーム、個展開催、CMや映画、空港・区役所やホテル等の様々なイベント、大学の講演会、小学校の銭湯プロジェクトへの参加など、多岐にわたって活動中。今までに描いた作品数は1万枚を超える。
小学2年生の時に見た“銭湯絵”に感動
──勝海さんが“銭湯絵師”を志した最初のきっかけは?
勝海麻衣さん(以下、勝海) 小学校2年生の時に家族で伊豆に旅行に出掛けたことがあったのですが、その帰りに銭湯に立ち寄ったんですね。その時に広い壁いっぱいに描かれた富士山の絵を見て、こんな大きくてダイナミックで自由な絵があるのかとすごく感動したんです。また、見ず知らずの、たまたまその銭湯に居合わせたさまざまな世代、年齢の人たちと一緒に湯船に浸かって、同じ絵を見て癒やされる。そんな空間って日本にしかない特殊な文化で、それを作り出している銭湯絵にすごく魅力を感じたんです。それで、絵は小さい頃から好きでよく描いていたのですが、私も大きくなったら銭湯絵を描いてみたいと思った。それが最初のきっかけです。
──中学、高校時代も銭湯絵師になりたいと思っていたのですか?
勝海 はい。最初、銭湯絵は画家が描いてると思っていたのですが、中学生の時にテレビで銭湯絵師を見て、初めて職人さんが描いているということを知り、銭湯絵師という職業があるんだ! と驚きました。これが将来の職業として銭湯絵師を意識した最初の体験だったと思います。それまでは画家になりたいと思っていました。そのテレビに出ていたのが、現在の師匠である丸山清人さんで、その姿を見て憧れていました。インターネットで検索して丸山さんのホームページを発見して、しょっちゅう作品を拝見して素晴らしいと思っていました。
──高校卒業後の進路選択の時期はどんなことを考えていたのですか?
勝海 高校卒業後、丸山さんに弟子にしてくださいとお願いに行こうとも考えたのですが、当時の私はまともに絵を描いたことがないド素人。そんな何も知らない私が日本最高齢の銭湯絵師で銭湯絵界の第一人者である丸山さんにいきなり弟子にしてくださいというのはあまりにも図々しいし、職人さんに対して失礼です。なので、まずは大きな絵を描くための基礎を学ぶべきだと思って、美術大学へ進学することにしたんです。それで高校1年生の頃から美大受験のための予備校に入って、絵の勉強を始めました。
──大学時代はどんな勉強をしたのですか?
勝海 武蔵野美術大学の空間演出デザイン学科に入学して、大きな絵を描くための技術が学べるセノグラフィのコースを選択。舞台の背景画を描くことを通じてペンキの扱い方やはしごに登って巨大な絵を描くことを体験しました。高所恐怖症だったので、最初のうちは高いはしごの上で描くのが恐かったのですが、やっていくうちに克服しました(笑)。
銭湯絵の第一人者に弟子入り
──丸山さんに弟子入りした経緯は? 丸山さんの他にも銭湯絵師は2人いるそうですが、なぜ丸山さんを選んだのですか?
勝海 丸山さんとお会いする前は、銭湯絵師の技術を身につけたい一心でしたので、大学で絵の基礎を勉強し、丸山さんを含めた銭湯絵師の方のどなたかの下につかせていただければと思っていました。そんな時に、知人から紹介していただいたある歴史研究家の方に銭湯絵師になりたいことを話すと、「勝海さんには丸山さんが合うんじゃないか」と言ってくださって。それで去年の9月に丸山さんの個展に、これまで描いた作品を持ってうかがって、「丸山さんの描く様子をおそばで見させてください」とお願いしたんです。
──「弟子入りさせてください」とは言わなかったんですね。なぜですか?
勝海 もしそう言ったら、丸山さんは寛大な方なので許可してくださることはわかっていました。それで弟子になったとしても、正式な弟子ではないと思ったので、言わなかったんです。修行する過程でご本人の口から「君は僕の弟子だ」という言葉をいただけるのを待とうと。
──丸山さんはどう答えたのですか?
丸山清人さん(以下、丸山) 私、これまで弟子を取ったことがないんだよ。知り合いの歴史研究家の方に「銭湯絵師になりたいという子がいるからぜひお願いしたい」と頼まれて。で、会ってみたら礼儀正しくて熱心でね。一番最初に「銭湯はこの先もどんどん減るし、銭湯絵の仕事も減っていくだろう。それでも銭湯絵をやる気はあるの?」と意思を聞いたの。そしたら、「それでも本気でやりたいです」と答えた。これで本気で銭湯絵師になりたいという気持ちが伝わってきて、「ああ、この子だったら大丈夫だな」と思ったから弟子に取ったわけ。
──晴れて子供の頃からの夢だった銭湯絵師になれたわけですね。その時の気持は?
勝海 職人の世界は敷居が高いというか、そもそも女が入っていい世界なのか不安でしたし、私みたいな小娘が入れてくださいと言って簡単に入れてもらえる世界ではないと思っていただけに、ものすごくうれしかったです。
悩み・葛藤を乗り越えて
──これまで、銭湯絵師になりたいという気持がブレたことはないのですか?
勝海 正直、悩んだこともありました。銭湯絵師になりたいと言うと、周りの人から「銭湯絵師で生活していけるわけないだろう」と反対されたし、私自身、不安に思っていました。大学を卒業する時、就職していくほとんどの同級生を見て、私も職人になりたいとか言ってないで、まっとうな、もっと安定的な道に行った方がいいのかなという迷いはありました。特に兄弟がみんな安定した道に進んでいるので、私だけ自由にしてていいのかなとも思いました。でも散々悩んだ結果、人生一度きりなので、本当にやりたいことをやろうと銭湯絵師の道を選んだんです。もちろん、この仕事で食べていけるかという不安は今でもありますが、全力で取り組んでいれば何とかなるんじゃないかなと思ってます。
──どんな感じで修行をしているのですか?
勝海 丸山さんが銭湯で絵を描く際や、イベントでライブドローイングをする際に同行してお手伝いをしています。弟子といっても最初はゲストのような感じで、丸山さんのそばでメモ帳をもって見ているだけでした。とにかく最初は見て盗もうと思って。そのうちちょっとずつやらせてもらえることが増えて、本当にちょっとしたことなんですがそれがすごくうれしかったですね。今は森や空の一部を描かせてもらっています。頻度は月によってまちまちで、1件もない月もあれば、5、6件ある月もあります。銭湯絵を描く時は、銭湯の定休日に1日かけて描きます。
丸山 なにしろ熱心で礼儀正しくてね。最初は俺の後をくっついてさ、一所懸命メモを取ってた。これだけ熱心だったら教えてやろうという気になるよね。
自分の選択は間違っていなかった
──実際に丸山さんの元で修行をやってみてどうですか?
勝海 いろいろ不安はありましたが、今年1年間やってみて、私の選択は間違っていなかったなと確信しています。丸山さんに弟子入りする時は、銭湯絵の技術を学ぶことが一番の目的だったのですが、技術はもちろんのこと、それ以上に人柄が素晴らしいんですよ。ファンの方がたくさんいらっしゃるんですが、私も弟子ですが、丸山さんに魅了されたファンの一人です。その尊敬できる人柄や銭湯絵に対する姿勢をそばで拝見して、この方のすべてを吸収しないと銭湯絵師になれないと思いました。その魅力のすべてをそばで見られるのはとても幸せなことです。
それと、最近、友達に「武士っぽくなったね」とよく言われるんです。喋り方とかが変わったみたいで。それであだ名が「武士」になりました(笑)。
──確かに受け答えや立ち居振る舞いなど、武士っぽいというか体育会系ですね。しかし武士というあだ名のモデルもしている24歳の女子って多分日本で勝海さんだけでしょうね(笑)。丸山さんの人柄に関して、具体的にどのようなところがすごいと思うのですか?
勝海 ひと言で言うと大らかということでしょうか。誰にでも分け隔てなく接してくださるんです。優しいという言葉では表現しきれません。私が若い女だということで特別に何か言われたこともないですし、孫くらい年齢が離れていることも関係なく、銭湯絵師になりたいという気持ちを汲んで、一人の人間、表現者として接してくださっているんです。こんな聖人みたいな人が現実にいるのかと驚きました。それと、最高齢の銭湯絵師なのに謙虚で、常に向上心をもっていらっしゃる点もすごいと思います。おそばにつかせていただいて、本当に光栄だと思ってます。
──丸山さんの指導はどんな感じなんですか?
勝海 入る前は厳しいだろうなと想像していたのですが、私、丸山さんに怒られたことがなくて。今となっては愚かな考えだったと思うんですが、早く怒られたいなと思ってたんですよ。怒られないのは期待されてないのかなと思っていたので。でもそうではなくて、丸山さんはもっと寛大な心で私のことを見守ってくださっているということが最近ようやくわかって。それもすごくうれしいですよね。でもはしごを登る時は気をつけてねと言われます。一度、銭湯で描いている時に足場から湯船に落ちたことがあって。お湯が張ってあったからよかったのですが、ずぶ濡れになっちゃって。真冬だったんですが、そのまま帰りました。寒かったです(笑)。
──着替えは? いつも仕事着で現場に行って仕事をしてそのまま電車に乗って帰るんですか?
勝海 はい。このペンキで汚れたTシャツとジャージという服装が「これから仕事をしに行くぞ!」って気合いが入るので好きなんですよね。
弟子と認められて涙
──弟子入りしてからの1年間でうれしかったことは?
勝海 まず、2ヶ月経った頃に、丸山さんに刷毛を渡されて「描いてみて」と言われた時。一番うれしかったのは同じ頃にイベントで私を紹介する時に、「この子は僕の弟子だから」と観客の前で言ってくださったことです。弟子と認めていただけたんだと思うとものすごくうれしくて、帰り道に泣きました。
──丸山さんから見て勝海さんはどうですか?
丸山 なにしろ覚えるのが早い。普通はこんなに早くないんだよ。
──では勝海さんは銭湯絵師としての才能はあると思いますか?
丸山 あるある。やっぱり絵描きとしての下地があるのが大きいね。普通の人なら(今の勝海さんのレベルになるまで)4、5年はかかるけどね。それだけやっぱり銭湯絵って難しいの。普通の絵と銭湯絵とは全然違って、銭湯絵はより明るく描かなきゃいけない。あと色と構図、グラデーションが難しい。だからね、普通はそんなに急にはできないんだよ。
──では2ヶ月で刷毛を渡したというのは相当早いんですか?
丸山 早い。昔、私の助手を募集した時、多摩美の絵画科出身の絵描きが来たの。絵じゃ食えないからって。私より4つばかり年上でさ。でもその人も一人前になるまで4年くらいかかったよ。多摩美の絵画科を出ててもね。そのくらい銭湯絵って難しいの。
──勝海さんが職人として実際に制作に関わるようになって感じる銭湯絵の魅力は?
勝海 銭湯絵って、湯気や人なども含めた銭湯という場があって初めて一つの絵として完成するというもの。空間の中で融合している絵がすごく好きなんだなと思います。
──今一番苦労している点は?
勝海 私の知識が足りないということが一番ですね。まだ職人としての実力がないのに、見た目のインパクトだけで注目されるようになって、メディアの取材依頼がものすごく増えたのですが、銭湯絵の歴史などを聞かれた時にうまく答えられないので、もっと勉強しなきゃと思います。でも私が目指しているのはあくまでも絵師なので、メディアは慎重に選んでいます。取材依頼をいただくのはありがたいのですが、私がチャラチャラしてはいけないと思ってます。でも取り上げられた方が銭湯絵の可能性が広がるんだとしたら、頑なになってはいけないなと。ここがすごく難しくて悩んでいます。
モデルとしても活躍
──勝海さんが注目された一つの要素が現役のファッションモデルでもあるということだと思うのですが、モデルを始めた経緯は?
勝海 大学時代、学科内でファッションブランドを立ち上げている先生や将来ファッションデザイナーを目指す学生たちと知り合いました。そのうちの1人から、「今度ファッションショーをやるからモデルとして出演してほしい」と言われて出演したのが最初のきっかけです。大学2年生の時でした。それ以降、ファッションショーやカタログ制作のモデルの依頼が増えたので、フリーランスのモデルとして活動を始めました。知人からフリーで活動していると危険なこともあると言われたので、始めて2年くらい経ってからモデル事務所に所属しました。
──モデルをやってみてどう感じましたか?
勝海 デザイナーやカメラマンのようなクリエイティブな方たちと一緒に「作品」を作ることができるので、すごく刺激をもらってます。私自身の芸術の糧になっていると感じます。
──去年の6月にはパリコレにも出演したそうですね。
勝海 コシノジュンコさんのショーだったんですが、すごく楽しかったです。コシノさんは私が通っている東京藝大の教授でもあるので、その繋がりで出演できました。いろんなことを教えていただいていて、何か一緒にプロジェクトをやろうと声を掛けてもらっているので、今後も楽しみです。とはいえ、私の最終目標はあくまでも絵師で、それは所属しているモデル事務所にも最初に伝えています。
──現在、東京藝術大学大学院生でもあるということですが、なぜ藝大に?
勝海 銭湯絵を学ぶための素地として日本の文化や芸術を学びたいと思ったからです。現在はデザイン科描画研究室の1年生で、生活に寄り添う絵画を研究しています。
──まさに銭湯絵ですね。
勝海 そうなんです。大学院では机上の学びというよりも、実践がメインなので、自分の銭湯絵師としての活動を先生に報告して、ご教授いただいています。学びそのものももちろんなのですが、大学院には幅広い考え方をもつ方がいらっしゃるので、彼らと話す機会が多いことが入学してよかったと思う点です。例えば、「こんな場所を描けばいいんじゃない?」とか、「海外に行けばいいじゃん。もっと英語勉強した方がいいよ」とか、自分では想像もしなかったことを言われたりするのですごくありがたいです。そこからまた新しい未来への可能性が生まれるかもしれないので。実は丸山さんからも海外で活躍するような銭湯絵師になってほしいと言われているんです。なのでもっと英語を頑張りたいです!
──銭湯絵師、学生、モデルと三足のわらじを履いていますが、すべて両立するのは難しくないですか?
勝海 いえ、それぞれ忙しい波があって、全部かぶることはまずないので、問題なくやっていけてます。モデルの仕事も自分でコントロールできるし、大学院も比較的授業が少なく、課題も自分のペースでこなせるので、それほど大変ではないですね。モデルとしての活動も大学院での学びも、良質な芸術の肥やしになっています。
ただ、丸山さんには近年銭湯がどんどんなくなっていて、これからは銭湯絵師だけでは食べていけないから、別にもう1つ職を持って、両立しながらやるのがいいと言われています。私のことを思ってそうおっしゃってくれているので、とてもありがたいです。絵描きになりたいという気持ちは変わらないので、それに関連した別の何かができればと思っています。例えば、大学院で一般的な技法の絵を描いているので、個展を開いたり画家としてやっていければと思ってます。また、モデル活動も真摯に取り組んでいるので1つの可能性として、できる限り続けたいと考えています。
人としての内面も磨きたい
──将来的にはどのような銭湯絵師になりたいですか?
勝海 現在、日本には銭湯絵師が3人いらっしゃるのですが、それぞれ個性を確立しているんですね。画風が全く違っていて、絵を見れば誰が描いたかすぐわかるんです。みなさん、確固たる意思をもって描いてらっしゃると感じます。自分も丸山さんの元で修行しているのですが、いつかは師匠の元から巣立ち、自分ならではの富士山を描けるようにならなければならないと思っています。そのためにはまずは自分も技術だけじゃなくて、人としての内面を磨いて、自分ならではの魅力を身につけなければ。これも丸山さんの描き様、生き様を身近で見させていただいて、初めて実感させられたんです。丸山さんの弟子として恥ずかしくないように、誇りをもってやっていこうと思っています。
24歳という年齢ながら、ハキハキとした受け答え、言葉に込められた強い意思など、まさに「武士」というあだ名がぴったりという感じだった勝海さん。今はメディアに出るよりも修行に集中したいという状況の中、無理を言って取材にご協力いただきました。葛藤や悩みを経た上で、将来の目標をしっかりと定め、三足のわらじを履きつつそのすべてに真摯に取り組む勝海さんの姿から、ビジネスパーソンの方も学べることは多いのではないでしょうか。
取材・文:山下久猛 撮影:守谷美峰関連記事リンク(外部サイト)
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