第66回 アメコミ界のレジェンド、スタン・リー氏追悼
アメコミ界のレジェンド、スタン・リーさんが天に召されました。スパイダーマン、アベンジャーズ、X−MEN等のマーベル・コミックのヒーローやヴィラン(悪役)たちの生みの親。アメコミの場合、お話を作る人と絵を描く人が分かれているのが主流なのでスタン・リーさんは物語作りの担当。そしてマーベル・コミックの編集長もつとめていました。
スタン・リー氏が偉大な人物と称えられるのは多くの人気ヒーローを生み出しただけではなく、コミックというものの価値、社会的地位をあげた方だからです。彼がマーベルで多くのヒーローを生み出すのは1960年代からですが、この時アメコミの地位というのもは決して高くなかったそうです。”子ども向けのスーパーヒーロー物ばかり”という風に見られていたから。しかしスタン・リー氏はこのジャンルに革命を起こします。
それはヒーロー物に”等身大の人間ドラマ”を盛り込むことでした。
そのいい例がスパイダーマンでしょう。スパイダーマンは蜘蛛の力を持つ超人ですが、その正体はピーター・パーカーという若者。お金がなくて困っていたり、いつもヒーローとしての出番と私生活のドタバタの板挟みでてんやわんや。しかも良かれと思ってやったことが裏目に出てしまう。実はスパイダーマンというのは、アメコミ界のシンボルであったスーパーマンのアンチテーゼを狙った作品ではないかと思うのです。
というのも綴りがSPIDER−MANとSUPERMANでとてもよく似ている。
そして両者ともカラリングは赤と青です。
しかしスーパーマンは日頃は一流新聞の記者であり、(そもそも宇宙人でもあるので)生活の心配はないわけですが、ピーター・パーカーは生活が安定しないタブロイド紙のフリーのカメラマンです。
みんなからリスペクトされる、そして堂々と素顔をさらしたくましい肉体のスーパーマンに対し、一部からバッシングを受け、マスクで顔を隠しきゃしゃな体つきのスパイダーマン。まるでスーパーマンの設定を反転させたかのようなキャラです。
一番大きな違いはスーパーマンは立派な成人男子ですが、スパイダーマンは若僧なのです。まるでスーパーマンの設定を反転させたかのようなキャラです。そうスタン・リー氏は、スーパーマンに代表される”憧れの存在”だったヒーローたちを”共感できる”キャラに変えていったのです。
さらに興味深いのはスタン・リー氏がこうしたマーベルのヒーローたちを生み出すきっかけとなったのがファンタスティック・フォーという作品であり、それが発表されたのが1961年だったということです。
まずファンタスティック・フォーというのは、超人4人組の活躍を描く集団ヒーロー物ですが、この4人は家族であり、身内ならではの内輪もめも起こります。スーパーヒーロー×ファミリー・ドラマと言われる作品です。
そして、彼らがデビューした1961年というのは、映画史において『ウエストサイド物語』が公開された年。それまでの”楽しいミュージカル”とは一線を画す”ミュージカルという手法を使って重みのあるドラマを描く”ことに成功した画期的な作品でした。
そう1961年は”夢物語”を描くのに適していたアメコミ・ヒーローとミュージカルというジャンルで、共感性の高い、リアルな人間ドラマを描いた作品が相次いで登場した記念すべき年になったのです。
スタン・リー氏はこのあとマーベルで様々なヒーロー物×人間ドラマを発表していき、ハリウッドでは、リアルな若者たちの心情を綴った”ニューシネマ”(これは日本のみの言い方だそうで、New Hollywoodとか”American New Wave”と “The Hollywood Renaissance”言うそうです)ブームが起こるのです。
スタン・リー氏は”アメコミ・ヒーロー物が優れた人間ドラマになれる”ことを証明したのかもしれません。こうしてアメコミの地位は向上し、他の文化にも大きな影響を与え、ポップカルチャーの中心的役割を果たすようになるのです。
スタン・リー氏は確かにヒーロー物の中に、等身大の人間ドラマを盛り込みました。
だからといってヒーロー物をアンハッピーでカタルシスのないお話にしたわけではありません。
確かに登場人物たちは欠点も多く、悩み傷つきますが、それでも立ち上がります。
人間の善良さを信じ、この世界はきっとよくなると信じて。
これぞヒーロー物のカタルシスです。
ヒーローは自分たちに近い存在と描くことで、誰だってヒーローになれる、ということを伝えたかったのでしょう。
スタン・リー氏の好きなコトバ、彼自身の決めゼリフは
Excelsior!(向上せよ!)でした。
それは自分の中にある強さや優しさを呼び起せ、という風に聞こえます。
スタン・リー氏がヒーローたちを生み出したのは50年以上も前ですが、
それは時代を超え愛され続け、いまは映画にもなって、より多くの若者たちに夢と勇気を与えています。
Excelsior!(向上せよ!)の精神は不滅です。
わたしごとですが、僕は悩み多き中学生の時に、スタン・リー氏仕掛けのマーベル(の翻訳)に出会い、スパイダーマンやキャプテン・アメリカに心を救われました。
本当に単純ですが、ヒーローたちも自分と同じように悩んでいる、と知って心が軽くなったのです。
そしてヒーローたちは様々なヴィラン(悪役)と終わりなき戦いをくりひろげますが、
ヴィランとは、ただの”悪”ではなく、”自分とは意見や価値観が違う相手”のメタファーであり、だから社会に出て、誰かと対立しても自分がヒーローである以上、相手はヴィラン(相手から見ればこっちがヴィラン)と思うと、そういう状況をなんか許せるようになりました(笑)
スタン・リー氏は僕にとって心の恩人であり、
その偉業、精神をこれからも語り続けていきたいと思います。
ミスター・スタン・リー、本当にありがとうございました!
これからもよろしくお願いします!
Excelsior!
(文/杉山すぴ豊)
■関連記事
第65回 DCヴィランの魅力が詰まったゲーム『レゴ(R) DC スーパーヴィランズ』
第64回 あのプレデターがスクリーンに帰ってくる!『ザ・プレデター』
第63回 サンディエゴ・コミコン(SDCC)レポート!
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。