日本語の外での3か月〜柴崎友香『公園へ行かないか?火曜日に』

日本語の外での3か月〜柴崎友香『公園へ行かないか?火曜日に』

 日本語で考えて、日本語で話す。たぶん物心つく前から、特に意識することもなく行ってきたことだ。私が幼かった頃は海外旅行すら現在ほど一般的なものではなく、帰国子女の存在も少数だったし、英語を話すという行為自体をもっと特別なこととして受けとめる人も多かったと思う。しかしいまや日本人でも、日本語で考えて日本語で話すのと同じレベルで、英語で考えて英語で話すことができるという人も少なくない。夫の仕事の関係で9.11の直前くらいまで3年間カリフォルニアに住んでいたことがあったが、どんなにがんばっても私の英語は”英語で話しかけられる→それを日本語に置き換えて理解する→相手への返事を日本語で組み立てる→それを英語に置き換えて話す”というプロセスを省略することはできなかった。

 本書は限りなく著者の実体験に近い内容と思われる小説で、主人公・トモカ(著者ご本人と同じ名前)はアイオワ大学のインターナショナル・ライティング・プログラム(IWP)に参加するため渡米した日本人の小説家。IWPは世界各国から招かれた約40名の作家たちが3か月にわたって一緒に過ごし、朗読会やパネルディスカッションに参加する企画のようだ。トモカは「三十七人いる参加者の中でいちばん英語ができない」という趣旨のことを何度か作品中で語っている。そして「アイオワにいるあいだ、わたしは周りの状況がいつもあまりよくわかっていなかった。自分が思ったことや知っていることを伝えるのも難しかった」のは、「わたしが英語を理解していないことだけが理由ではない」ということに気づいたとも述べている。

 世界と薄皮一枚で隔てられたような感覚。アメリカで英語を話す人々に囲まれているとき、私はいつもそんな風に感じていた。そこにいる人たちが親切で、楽しい場で、話されているのが比較的聴き取りやすい英語であっても。柴崎さんは謙遜されているだけで私よりずっとお上手に英語を話されるだろうけれども、同じように感じられたこともあったのではないか。そういったもどかしさに近い感情を描写するためには、エッセイのような直接的な体験としてではなく、フィクションとして距離を置いた書き方をすることに意味があったということなのかもしれない。柴崎さんが京阪神エルマガジン社のサイト内で連載されている「よう知らんけど日記」でもアイオワ生活について書かれているのだが(本書で描かれているのと同じエピソードも複数登場する)、やはりエッセイだと語り手(書き手)と事実との距離が近いという気がする。

 小説世界におけるトモカの感情は、比較的淡々と描写される。煩雑な事務手続きや意思疎通の難しさなどに対して抱くのも、激しい怒りとか大きな失望とかではなく戸惑いという言葉がぴったりくるように思われた。声高な主張でないだけによけいに、言葉の通じない土地で暮らす緊張感と寄る辺なさが胸に迫る。しかしもちろんつらいことばかりではない。IWPで設定されている課題はとてもたいへんそうだけれども、同時に興味を引かれるものばかりだし、アイオワ大学の施設や制度の充実ぶりは「こういう大学でもう一度学生やってみたいな」と(学生時代の怠惰さを棚に上げて)思わずにいられないほどだ。恐いものは苦手だけど、ホラー映画の上映後にディスカッションをするクラスなども相当におもしろそう。食べ物もジャンクだよなとは思いつつ、けっこう心ひかれるものがある。なんといっても言葉がうまく通じない者同士が、さまざまな手段を駆使してわかり合おうとするのは尊いことだ。日本語を不自由なく話す間柄であっても、話が通じないことはしばしばある。他者とコミュニケートしようとする姿勢そのものの大切さ(たとえうまくいかなかったとしても)を改めて思い知らされた本だった。これから海外へ出て行こうとされている方には特に読んでいただきたいし、「私は日本でだいじょうぶです」という方にもまた読まれるべき本ではないかと思う。

 そしてもう1点、柴崎さんが「第二次大戦に関することを小説に書きたいと思って」おられると明記されていたことが、とても興味深かった。最近は「日本とアメリカが戦争していたなんて信じられない」と考える子どもも少なくないと聞いたことがある。私自身も戦後に生まれた身ではあるが、自分が子どもの頃はまだ、戦時中の名残を折に触れて意識させられることも多かった。戦争の気配を少しも感じることなく成長した子どもたちが、終戦後もいまだ解決していないさまざまな問題を果たして自分の身近なこととして考えられるだろうか。そんな中で同世代に近い作家が戦争を題材に書こうとされる試みには、心強く思わずにはいられない。真珠湾攻撃や原爆投下に関しても、日本人とアメリカ人では捉え方が異なる。それは本書でも繰り返し触れられたように、個人の立場やバックグラウンドの違いによってものの見方は変わってくるということにも通じているに違いない。どのような形で戦争が描かれるのかはわからないが、アメリカの地で周囲の人々との関わりについて考え続けた著者のその作品を、早く読んでみたい。

 他の国の作家たちと話すときは実際には英語なわけだが、トモカの心情は大阪弁で書かれているのが笑えた。「よう知らんけど日記」はほぼ全編を通して大阪弁で書かれていて、こちらもめっぽうおもしろい。ぜひあわせて読まれることをおすすめします。

(松井ゆかり)

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