収容所の少女たちの共闘と友情の物語『ローズ・アンダーファイア』

収容所の少女たちの共闘と友情の物語『ローズ・アンダーファイア』

—-いつもこんなに簡単だったらいいのに。だれにも言う必要はなく、相手がただ理解してくれたらいいのに。いつもだれかが隣にいてくれたらいいのに。

 そんな思いが心に浮かんだことがあるすべての人にエリザベス・ウェイン『ローズ・アンダーファイア』(創元推理文庫)をお薦めしたい。これは共闘と友情の物語である。

『ローズ・アンダーファイア』は手記形式で綴られる小説だ。1944年8月2日のイギリス、ハンプシャー州ハンブルで葬式に出たことを書き留める文章から物語は始まる。そして1946年12月31日、スコットランドのキャッスル・クレイグで四章から成る手記に結語を記すことで終わるのである。日付は第二次世界大戦の末期から終戦後にまたがっている。主人公のローズ・モイヤー・ジャスティスはまだ十八歳だが、故郷のアメリカを離れてイギリスにやって来ていた。ヨーロッパを侵攻するナチスと闘うためだ。幼いころから飛行機に慣れ親しんでいたローズだったが、所属したのは空軍ではなく、そのために機材の輸送などを行う補助航空部隊である。身分としては民間人だ。冒頭の手記では、彼女の目から移り行く戦況が告げられる。連合国がパリを奪還し、アントワープも取り戻して輸送船が港につけるようになり、とナチス・ドイツが後退していくさまが後方にいる人の視線で描かれていく。

 ローズが出た葬式とは同じく補助航空部隊にいた友人のためのものだった。無人飛行するナチス・ドイツの飛行爆弾を体当たりで落とすやり方があると噂されていた。ポーランド語で激突、タラン。友人の機はそれに失敗して落ちた可能性があった。

 第一部「サウサンプトン」の初めに死が描かれるものの、基本的には民間人であるローズの生活は穏やかだ。それが第二部「ラーフェンスブリュック」に入ると一変する。あることが原因で彼女がナチス・ドイツに捕まり、ラーフェンスブリュック強制収容所に入れられてしまうからである。そこでローズが出会ったのは、自分と同じ境遇の女性囚人だった。

 国籍はさまざまだが、互いに助け合って生きていこうとする彼女たちはフランス語のかしこまった二人称である「ヴ」を決して使わず、同志としての紐帯を結んでいく。くっきりと描かれる個々の肖像に読者は魅了されることだろう。収容所の母としてみんなを率いるフランス人のリセット、ロシア人で戦闘機乗りだったイリーナ、そして苛酷な人体実験を受けたウサギと呼ばれる集団の一人である、ポーランド人の少女ローザ。偶然にもローズと同じ名を持つ彼女は、ロジツカとも呼ばれる。ポーランド語で小さなローズの意味だ。時に毒を吐きまくることもあるローザだったが、そのおしゃべりが囚人たちの心を強くしもする。

「あたしたちの勝ち。ずっと前とは違う。八月に、やつらがあたしたち全員を窓の閉まったブロック32に三日間も閉じ込めて、窒息しそうになったところで懲罰棟に放りこんで、レヴィーアでなくそこであたしたちの手術をしたときとは。ねえ、リセット、どっちが悲惨かな。コチコチに凍っちゃうまで雪のなかに立ってるのと、生きたままゆっくり焼かれるのと。覚えてる? 暗くなるまで、五人で一杯の水しかなかった日のこと。リセットがみんなに手の指をつけさせて、そのしずくを吸わせて分けあったじゃない」

 文章を書くこと、それを他人に向けて発することについての小説でもある。ローズは、エドナ・ヴィンセント・ミレイの作品を暗唱し、自らも詩作することもある文学少女だった。収容所で辛い鞭打ちの刑を受けたときは、エドナの詩を数え唄のように心の中で暗唱した。あることが原因でずっと立たされ続ける罰を受けたときには「恐怖や疲労で正気を失わないことに集中する」ために頭の中で詩を作り続けた。すると故郷であるペンシルベニアの春の森が浮かび上がってきたのである。日々の辛さを分かち合い、肩の荷を軽くするために、ローズは周囲の囚人たちにもエドナや自分の作った詩を教え、架空のお話を語り続けた。寒くて真っ暗な地下室にずっと隠れていなければならないとき、それがひとときの心の安らぎを与えてくれた。

—-「暖かくて太陽の光がいっぱいの話をして。あたしたちに湖の話を聞かせて」ローザがささやいた。

 収容所生活以前のローズは、詩に重いものを載せることを拒んでいた。「物事はけっして自分の思い描いたとおりにはならないし、こういった重大なことを歯の浮くような言葉にするのは、どうも軽薄な気がしてしまう」ために、メタファーとして現実から浮き上がった言葉しか使いこなすことができなかったのだ。それが収容所生活で変わる。書くことがかけがえのない不可侵の権利であると知り、その大切さを心に刻み込むのである。そんな彼女に、収容所の仲間たちはあることを託そうとする。第三部「ニュルンベルク」はその約束を抱えたローズの物語だ。

 冒険小説としての山場は強制収容所に入れられた主人公が脱出を果たす場面でやってくるが、小説がそれで終わるわけではない。大戦後のローズは収容所で味わったのとは別種の試練に直面することになる。前述したように、本書の最後にはローズが書いた四章からなる手記が置かれている。章題を、揚力、重力、抗力、推力、つまり飛行機が受ける四つの主な力から採った飛行機乗りらしいものだ。この世に生きているからには必然的に何らかの力の支配下に置かれることになる。それを否定しても無駄で、力を使っていかに高く遠くまで飛ぶかが飛行機乗りには求められる。ローズが到達したのは、はたしてどれほどの高度と距離を持った視点だっただろうか。

 本書は昨年刊行されて話題となった冒険小説『コードネーム・ヴェリティ』の姉妹篇である。作中時間は本書のほうが後で、前作の登場人物のその後が意外な形で明かされもする。だが基本的には独立した長篇であり、二作をどちらから先に読んでも問題はない。一口で言ってしまえばミステリー的なプロットは『コードネーム・ヴェリティ』のほうが強かった。あれほどのひねりは今回はなく、場面の展開などで意外な伏線が用いられたりはするものの、基本的には驚きよりも収容所生活で主人公たちが味わった感覚を伝えることに重点が置かれた小説である。現実に接続させることで獲得した物語の強度を鑑賞すべき作品だろう。

 最初に書いたように「いつもそばにいてくれるだれか」についての小説でもある。ローズはそれを収容所という極限の地で得た。明日には隣にいる人の生命が奪われてしまうかもしれない場所。自分が記憶していなければ大事な人が初めからいなかったことにされてしまうかもしれない世界がこの世にあった。そして、いつでもまたそういう世界は復活する可能性がある。この世で最も素晴らしいものと、それが失われてしまう恐怖の二つをウェインは同時に書いたのだ。

(杉江松恋)

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