苦節13年の芸能生活に終止符。身一つで徳島に移住した元俳優・榮高志が見つけた新たな生き方とは?

苦節13年の芸能生活に終止符。身一つで徳島に移住した元俳優・榮高志が見つけた新たな生き方とは?

「日本の素晴らしさを世界に発信したい!」――そんな想いを抱え、今回お話をうかがった榮高志さんは俳優業を13年間にわたり続けてきました。全2回の記事の第1回は、そんな榮さんが2015年に俳優を辞める決断をし、徳島県つるぎ町に単身移住して新たな生き方を見つけるまでの道のりを追います。

【プロフィール】

榮高志(さかえたかし)

高校卒業後、アメリカ留学を経て帰国し、13年間を俳優として都内で活動。2015年に徳島県つるぎ町に地域おこし協力隊として移住し、西阿波地区の世界農業遺産登録に向けた活動などを行った。2018年4月に現地で株式会社AWA-REを設立し、現在は観光や教育関連などの事業を手がけている。

「日本なんてクソ食らえ!」とアメリカに飛び出したけれど

――高校卒業後にアメリカ留学されたとのことですが、俳優を目指してのことだったのでしょうか?

いえ、アメリカに出た時点では、具体的な展望はありませんでした。日本を飛び出したのは、父親への強い反発心が理由でしたね。「もう日本には戻らない!」くらいの気持ちで、まさに勢いにまかせてという感じです。

父は「いい大学に行って、いい会社に就職するのが、幸せな人生だ」という考えで子供の頃からその背中を見ていましたが、子供心に、「それは本当に幸せな人生なのか?」という疑問がずっとあったんですよね。自分の選ぶべき道は、もっと違うところにあるんじゃないかな、と……。

そこで、あえて父親が考えるルートを外れたところを歩もうと考え、単身でアメリカ留学することを決めました。今となると恥ずかしい気持ちになりますが、当時はメジャーリーグやハリウッド映画などで活躍する日本人も増えていましたので、漠然とアメリカンドリームへの憧れもあったと思います。

そんな動機でアメリカのコミュニティ・カレッジという2年制の学校に通うことになったのですが、その学校では、コスメやウェイトリフティング、陶芸などバラエティ豊かな科目の中から学びたい授業を選ぶことができました。それらの授業の中で私が一番興味を持ったのがシアターアーツという舞台芸術の授業だったんです。ここで演じることの楽しさを知ったことが俳優を目指すきっかけになりました。

――それでは、当時はアメリカで俳優になることも考えられていたのですか?

それが、意外かもしれませんが、その授業がきっかけで、「帰国して日本の俳優になろう」と考えるようになったんですよね……。

ある日、その授業の課題で、クラスのみんなの前で一人芝居をするというものがあって、私は英語でセリフを覚えて本番に臨んだのですが、ひととおり演じ終えた後に、先生から、「あなたの国の言葉でお芝居をしてみて」と言われたんです。

その場には日本語を理解する人なんて誰もいなかったので、「なんで?」と思いましたが、即興でセリフを日本語訳して演じてみました。すると、先生から「言葉の意味は分からなかったけれど、あなたの本当の表現を見せてもらった」と褒められたんです。

その言葉にハッとしました。たしかに、日本語で演じたときの方が気持ちをこめられていたんですよね。演じるというのは、自分が生まれ持った言語や所作を生かすものなんだと気づきました

この気づきに加えて、アメリカの生活を通して日本の素晴らしい美点を感じることが多かったので、「俳優として日本の良さを世界に発信していきたい」と思うようになったんです。

――日本の良さを感じられたのは、どのようなときだったのでしょうか?

私がアメリカにいた1年半で、一番日本のすごさを感じたのは、アメリカを車で横断旅行したときでした。当時住んでいたLAから出発して、最終的にシカゴくらいまで行きましたが、学生の貧乏旅行でしたから、ヒゲも髪の毛も伸び放題で、車のボンネットも事故でボコボコなのに修理できない。いかにも見苦しい旅行者でした(笑)。

そんな状態で、カナダのバンクーバーまで足を伸ばすため国境のゲートを通ろうとしたころ、たくさんの人が係員と揉めていることに気がつきました。アジア人が多かったような気がしますね。私も見た目はボロボロで、係員からもジロジロ見られたので、「これはマズイな」と思いながらドキドキしていたんですが、パスポートを見せた途端に係員の態度が豹変したんです。

「日本からわざわざ来たの?」「車は大丈夫?」なんて親切に声をかけてくれて……。ゲートもすぐに通してもらえました。あのときに、「日本ってすごいんだな」と単純に思ったんです。

私は偉そうに、「日本なんて出ていってやる!」と思ってアメリカに飛び出していたわけですが、結局は日本に守られていたんですよね。変な話ですが、アメリカに行ったことで、初めて日本の良さを知った気がします

――それから2001年に帰国されたとのことですが、そこから俳優を目指して動かれたんですか?

そうですね。ひとまず大阪に住むことにしたのですが、とにかく芸能事務所に履歴書を送りまくりました(笑)。まだインターネットもそれほど整っていなかった時代ですから、芸能事務所の名鑑のようなもので調べて、聞いたことのある俳優さんがいるところには手当たり次第に履歴書を送りました。それでも、返事があるのが10件に1つあればいいくらいで、たまに返事があっても選考にはほとんど通りませんでした。

それでも諦めずに履歴書を出していると、あるとき、東京の某モデル事務所から、「うちでやってみない?」と声をかけていただき、初めて上京することになりました。そこから、13年間を東京で過ごしました

熾烈な俳優業と深夜バイトで消耗しきった13年間

――そこから、芸能生活の第一歩を踏み出したんですね。

そうですね。でも、もちろん俳優だけで食べていけるはずもなく他の仕事も掛け持ちでやっていました。レストランやホテル、船上パーティー、ITプロバイダのオフィスワーク……。トータルで20以上はアルバイトをしたと思います。

芸能の世界は華やかに見えるかもしれませんが、競争は熾烈で、金銭的にもかなり苦しかった。たまにもらえるギャラも、事務所の取り分や社会保険料などの天引きで、結局手元に残るのは半分くらい。劇団に授業料のようなものを払いながら舞台に立たせてもらうこともあったので、アルバイトをしなくては生活できなかったんです。

毎日、朝から夕方まで舞台稽古をして、深夜からアルバイトという生活。バイトの休憩時間にもセリフを練習していたので、本当に寝る暇もありません。ときどき、アルバイト中に、お客さんがいないときなどにウトウトしてしまうこともあり、店長から怒鳴られることもありましたね……。今だったら、そんな生活を10年以上も続けていたなんて我ながら信じられません。

――そんなご苦労をされてまで続けた俳優業を辞められたのは、どんな理由があったのでしょうか?

大きな転機となったのは、2011年3月の東日本大震災でした。あのとき、多くの方がボランティアなどで被災地支援をされていたと思いますが、私はそうした活動には一切加わりませんでした。というのも、「これまでこだわってきたつもりのフィクションの世界での演技は、リアルな現実の前に何の役にも立たない」と思い込んでいたんです。自分のことで精一杯でしたから……。

大きなことをしようとして俳優を続けてきたけれど、気がつくと“自分だけ”のためにしか働いていない――。そう気付いて、とても虚しく感じましたね。あのときに、「自分の生き方はこれで良いのだろうか?」という迷いが生まれました。

“俳優としての”自分を捨て去るまでの葛藤

その後、2015年に徳島移住を決めるまでの4年あまりは、人生でもっとももがき苦しんでいた時代です。「このままじゃいけないけど、どうしたらいいのか分からない」という気持ちで、コーチングや心理学など、いろいろなことに手を付けては中途半端に投げ出すという繰り返し。まずはお金を稼ごうと投資に手を出して失敗したこともありましたね……。

2014年には社会起業大学というビジネススクールに入学し、起業することも考えたのですが、当時はまだ、“俳優として”何ができるかということに因われすぎていて、結局しっくり来る起業プランを作ることはできなかったんです。

ただ、社会起業大学では、私はひとつの気づきを得ることができました。この学校のカリキュラムに、「スタディツアー」という合宿があり、私は岩手県の陸前高田を訪ねました。そこでNPOやソーシャルビジネスに関わる方々の現場を見て思い知ったのが、「自分の考えは地に足が付いていなかった」ということだったんです。

「世界に発信したい」「起業しよう」と、思いつきで漠然と考えていたけれど、そこにはリアリティがなかった。だったら、自分がまずやるべきことは、何をおいてもまずは自分の“現場”を見つけることだと思ったんです。

そこで、俳優として13年間暮らしてきた東京を離れる決断をしました。 ――後編に続く

文・写真 小林 義崇

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