「極楽浄土で必ずまた会いましょう」不思議な夢の真実を告げ旅立った父…… 孫が可愛いくてたまらない紫の上&明石の上の共同戦線 ~ツッコみたくなる源氏物語の残念な男女~
故郷から久しぶりに届いた長い手紙に衝撃
源氏の一人娘・明石の女御(ちい姫)が無事に皇子を出産したというニュースは、故郷の明石にも伝わりました。祖父の入道はこれを喜び、ある決意を込めて、娘の明石の上に宛てて長い手紙を書きました。
手紙が到着した時、明石の上は女御と寝殿にいて不在でした。皇子の祖母という立場になったので、そう簡単に自分の冬の御殿に帰ってこられないのです。
代わりに手紙を受け取った母の尼君は、その内容と使いの僧侶の言葉に衝撃を受け「すぐに戻ってほしい」と、急きょ娘を呼び戻します。
初めて知る真実!父の不思議な夢の知らせ
明石の上が戻ると、母はたいそう悲しそうに座り込んでいます。急いで手紙を開けてみると、のっけから「仮名文字を書くのは時間がかかり、仏道へも差し障るので、特別な時以外には便りをする気がなかった」と、頑固な父らしい一文です。
入道は女御の出産のお祝いを述べた上で「一介の僧侶が世の栄華を願うものではない」と前置きし、明石の君がまだ尼君のお腹の中にいたときに見たという、不思議な夢の話を続けます。
「私は須弥山(仏教の世界観での『この世の中心』を表す)を右手に掲げていた。山の左右から太陽と月が出て明るく輝く。しかし、私自身は山の陰に入ってしまい光が当たらない。そのうちに私は山を広い海に浮かべ、小さな船に乗って西の方角へ漕いでいった。」
入道はこの夢に大きな意味を感じたものの、具体的にどのような出来事が起こるのか判然としない。そのうちに明石の上が誕生し、一気にその謎が解けたと言います。
「さまざまな文献を調べた結果、須弥山を持っていた右手は女子を表し、太陽と月は帝と皇后の象徴。つまり、夢は私の娘から帝と皇后が誕生することを暗示していたのです。
私は夢を確信し、あなたの教育に最善をつくすため、京での生活を捨てて播磨守となりました。……その後のことはあなたも知っての通りだ。」
入道が明石の上をまるで皇女さまのように大切に育て上げ、源氏との縁組を半ばゴリ押しのように勧めましたが、それもすべては夢のお告げというわけ。父の高望みに振り回されてばかりと感じていた明石の上も、理由を知って納得します。
「そして今、ついに若宮さまが誕生された。ちい姫が中宮(皇后)となられた際はどうか、住吉大社にお礼参りをして下さい。すべてが夢のとおりなら、私が西の方角……西方浄土へ生まれ変わることも間違いないでしょう。これから水や草木の清らかな山奥へ入り、仏様のお迎えにいらっしゃる日を待とうと思います。」
更に、入道はたとえ自分が死んだと聞いても喪服を着る必要はない、ただ冥福を祈ってくれるだけで結構と説くのですが、その理由がすごい。「あなたはこの私の子ではなく、神仏の生まれ変わりとでも思え」というのです。なるほど明石の上の人間離れしたデキの良さは生まれつき、納得です。
最後に「極楽浄土で、必ずまた会いましょう。私の念願が叶う時が近づいたようなので、今はじめてこの夢の話をしました」。
このように、娘への手紙はかなり長いものでしたが、逆に妻の尼君への手紙はごくごくシンプル。「この14日に家を離れて山へ入り、我が身は熊や狼に施そうと思います。あなたは長生きして、子孫の栄達を見届けてください。極楽浄土でまた会おう」。
使いの僧侶曰く、入道はこの手紙を書き終えた3日後に、誰も入ったことのない山奥へ。事前に邸やお堂はすべて弟子たちに分配し、最後に琴と琵琶を仏前で演奏して、別れの儀式としたとのこと。残された弟子たちは、毎日空っぽのお堂を見ては悲しみに暮れていると語るのでした。
「もうお父さんに会えない」突然の別れに泣く母子
尼君はしみじみと「昔から変わり者で、世の中とは折り合いのつかない人だった。それでも私たちは生まれ変わっても夫婦でいようと誓いあった仲でした。こうして便りも出来る近さにいながら、どうしてあの人は手の届かない場所に行ってしまったの。
あなたのお陰で思いがけぬ幸運に恵まれた一方で、また限りなく悲しい目にも遭わなければならないのね」。
明石の上も「この世の栄華なんて嬉しくないわ。身分がら堂々と皇子の祖母を名乗れるわけでもないのに。こんな風に父上と別れて、その後もわからないなんて悲しすぎます」。
しかし自分が生まれてきたのも、源氏と結ばれ、ちい姫を授かったこともすべては大きな運命の手の内のこと。その影に父の犠牲が払われたのもまた宿命で、仕方がないのだろうけれど、やはり悲しいものは悲しい。母と娘は一晩中、入道の話をして泣きました。
「まだ実家でのんびりしたい!」出産すぐの娘の本音
涙のうちに夜が明け、明石の上は「寝殿に戻らなくては。急に抜けて来たので軽率と思われるかも。私はどうでも、女御に迷惑がかかってはいけないわ」。慌てて戻ろうとする娘に、尼君は「若宮さまはどうしていらっしゃるの。何とかしてまた拝見したいわ」と言って泣きます。
「大丈夫、すぐにお目にかかれますよ。女御もおばあさまのことをよくお話になるし、殿も是非尼君に長生きしてもらって、若宮さまの時代を見て欲しいと仰るの」。
尼君はこれを聞いて急にニコニコになり「やっぱり運命って不思議ね。もしかしたら私が、帝の曾祖母になれるかもしれないなんて」。母の機嫌が戻ったところで、明石の上は父からの手紙をもって寝殿に戻ってきました。
女御のもとには皇太子から早く宮中に戻るよう、毎日のように催促があります。紫の上は「ご無理もないこと。若宮にも早くお会いしたいでしょうし」と、用意を進めます。
が、肝心の女御は「一度宮中に戻ると、なかなか実家に帰ってこられないわ」。初めての出産は怖くてとても疲れたし、せっかくなのでもう少し羽根を伸ばしたいのが本音です。このあたり、お産を経験した人は頷けるのではないでしょうか。
明石の上は「まだ少しおやつれですから、こちらでご静養なさっては」と言いますが、源氏は「いやいや、こんな風に少しやつれ気味なのも、男の目からはかえって魅力的に見えるものだよ」。さすがは光源氏、目の付けどころが違いますね。
「まあひどい!」祖母2人の共同戦線にタジタジ
こんなやり取りをした後、紫の上が自室に戻った時を見計らい、明石の上は入道からの手紙を女御に見せました。初めて見る祖父・入道の無骨な字は何だか怖い。でも読み進めるうちに深く心に染みて、だんだん涙に湿っていく女御の横顔はとても綺麗です。
「時期尚早かとも思いましたが、私もいつまで生きているかわかりませんので、今のうちにお知らせいたします。しかるべき時にお礼参りをなさって下さい。他人には決して漏らさないように。
そして、紫の上さまのありがたいお心をどうか忘れないで。あなたをお預けした時は、まさかこれほど大切にしてくださるとは思いませんでしたが……。
あの方の愛情は真実のものです。あの方が末永くあなたを支えてくだされば、これほど安心なことはありません」。
そこへ源氏が来て「若宮はお目覚めか。少し会わなくても恋しいね」。今まで女三の宮の部屋にいましたが、孫を見たくて顔を出したのです。突然のことに、女御の前の入道の手紙は出しっぱなし。
泣き沈んでいる女御は返事ができず、明石の上が代わりに「若宮は紫の上さまがお連れになりました」と答えると「けしからん。ずっと若宮を抱っこしているから、おしっこを引っ掛けられてしょっちゅう着替えている有様なのに。
すぐに若宮を渡してはダメだ。紫の上がこちらへ来ればいい」。あらら、紫の上ともあろう人が……でも、おしっこを引っ掛けられても可愛くて仕方がないんでしょうね。
明石の上はこれに反発。「まあ、何と思いやりのないことを。皇女さまでも皇子さまでも紫の上さまがお世話下さるのが結構だと思いますのに、ご冗談でもそんな風におっしゃいますな」。祖母2人の共同戦線は強力です。
源氏もこれには苦笑して「やれやれ、孫のことは2人に任せよう。なんだか最近みんな私に冷たいな。だいたい、そんな所に隠れて私に抗議している人は誰だね」。明石の上は几帳の陰で、大きな文箱を前に上品に座っていました。
「謎の箱だ。随分立派な箱だが、昔の恋人のラブレターでも詰まっているのかな」。この冗談に明石の上は「ご自分が若返ったからって、イヤなご想像をされますね」と笑いつつも、やはりどこかしんみりした様子。「……実は、明石の父が手紙をよこしましたの」。
事情を知った源氏は「以前からも立派な人だったが、こうも潔く決断されるとは。私も身軽な身分であったらまた会って話をしたかったな。それにしても、夫婦だった尼君はどれほど悲しんでおられるだろう」。
更に入道の手紙を読むと、自分の夢のお告げと符合する部分があるのに驚きます。源氏の夢は「3人の子供のうち、ひとりは皇帝、ひとりは皇后、ひとりは大臣の位を極める」というもの。自分が須磨明石にさすらったのも、明石の上と出会ったのも、結局は皇后となる娘を授かる運命だったのだ、と。
源氏は明石の上と同様、出生の事情を知った上で、女御に紫の上の愛情を忘れるなと諭します。「血の繋がりがない間柄の愛情こそ、本当にありがたいことなんだよ。実母が付き添うようになっても、紫の上の愛情は少しも変わらず、いつもあなたの幸せだけを祈っている」。
続けて源氏は紫の上をさんざん褒め「おっとりしているのがいいとは言え、あまりにぼんやりして頼りないのは残念だ」と、暗に女三の宮を軽くディスったあと、明石の上にも褒め言葉を贈ります。
「あなたはものの道理の分かる人だから本当に助かるよ。紫の上はこの上なく女御を愛しているし、あなたも実の母親だからと威張り散らかさないので、こちらも安心してみていられる。今後も仲良く、女御の世話をしてほしい」。
明石の上は嬉しさに謙遜しながらも「やっぱり紫の上さまには敵わないわ。宮さまがお輿入れされたのは、かえってお気の毒なこと。ましてや身分の低い私なんかがお仲間入りできるはずもない」。
彼女としては、女御や若宮の将来を見守ることが仕事になった今、妻としての立場にはわりと諦めがついていました。今は何と言っても、山奥に去った父のことが悲しくてたまりません。
離れていても心は一つと、常に力を合わせてきた明石一家の強い絆と、源氏や紫の上との運命的な縁。珍しく残念なところが少なく、全体に“イイハナシダナー”的なエピソードでした。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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