逆境、どう乗り切る?苦難を「チカラ」に変える王者の生き様――初代日本女子プロボクシングバンタム級王者・吉田実代の仕事論
吉田実代(よしだ・みよ)
EBISU K’s BOX所属のプロボクサー。1988年、鹿児島市生まれ。20歳の時、ハワイに格闘技留学。帰国後、キックボクシング、総合格闘技、シュートボクシングなどに参戦し、2014年ボクシングに転向。デビュー戦後に妊娠、結婚。出産のブランクを経て、2016年復帰。2017 10月6日、新設された日本女子王座のバンタム級タイトルマッチで高野人母美と対戦。3-0の判定で勝利、初代日本女子プロボクシングバンタム級王者に輝いた。ボクシングでの戦績は9戦8勝1敗。東洋太平洋スーパーフライ級1位。日本バンタム級チャンピオン。育児、仕事、ボクシングの“三足のわらじ”を履く戦うシングルマザーとして注目を集めている。
幼子を抱えながらの練習、仕事
──1年半のブランクがあって、練習はきつくなかったですか?
すごくきつかったですね。体重が増えてたし、筋力もスタミナも落ちていたので、もう一回プロボクサーとしての体づくりからやり直さなきゃいけなかったので。単にボクシングの練習をするのと、試合のために練習するのとではわけが違いますからね。
でもいいこともありました。1年半、何にもしなかったおかげで、キックボクサー時代のアップライトの癖がけっこう抜けていたので。といってもまだまだ残っていたので、とにかく上体を低く、ボクサーとしての戦い方を徹底的に練習しました。
──収入を得るための仕事はどうしていたのですか?
復帰したのと同じ時期に、知り合いのキックボクシングのジムの会長さんからインストラクターをやらないかと声をかけていただきました。自分の好きなことで稼げるので2つ返事で引き受けました。それから別のジムからも依頼がきて、2つのジムで週に4回、レディースクラスで教えるようになったんです。
──当時はまだ娘さんも小さいし、子育てと仕事と練習の両立は難しかったんじゃないですか?
そうですね。当時は娘がまだ赤ちゃんで夜泣きもあったので。仕事と子育てで現役、独身時代よりも練習にかける時間が大幅に減ったので、練習内容を会長やトレーナーと一緒に全部見直して、限られた短い時間でいかにボクシングの技術を上げられるか、すごく考えて工夫しました。とにかくいろんなメニューをやって、練習の密度を濃く、短時間でより集中して、それこそぶっ倒れるまで練習しました。最初は毎日こなすだけで必死でしたね。
仕事や練習の間、子どもは認可外の保育園に預けていたのですが、月に7、8万もかかっていたので大変でした。しかも、当時は住んでいた家とインストラクターとして教えていたジムや練習に通っていたジムが離れていたので、毎朝通勤ラッシュの時間帯に娘を連れて保育園に送り迎えしなきゃいけなくて。しかも埼京線だったので混み具合がすごくて。そんな中娘を抱いて必死で電車に乗ると、乗客から「こんな時間に子ども連れて乗ってくんなよ」みたいな視線が一斉に注がれて毎日いたたまれなかったのを覚えてますね。でも好きなボクシングをまたやれるようになったので、耐えられました。
別居・離婚
──練習以外でも大変だったんですね。
私生活でも苦しかったです。実は、娘が8ヶ月の頃、復帰戦が決まった頃に当時の夫と別居したんです。いろんなことが重なって毎日ケンカばかりになっちゃって……。この別居も想定外だったので、精神的にも正直きつかったです。
でも、きついとかつらいなんて言ってられませんでしたね。そういう状況って全部自分のせいだし、全部わかった上で、自分が好きで、やりたくてやってること。しかも本来はやれる状況じゃないのに、会長や皆さんのおかげでやらせてもらってるわけなので、どんなにつらくても弱音なんて絶対に吐けない、吐いちゃいけない、やるしかないと思っていました。出産から1年足らずでの復帰戦
──復帰戦は出産から1年足らず、前回の試合からは約2年の2016年3月。どういう気持ちで臨んだのですか?
この一戦にボクサーとして再スタートできるか否がかかっているし、これまで支えてくれた会長やトレーナー、ジムの皆さんのためにも絶対勝たないといけないと思っていました。
尊敬する藤岡菜穂子さん(世界4階級制覇の女子プロボクサー)にもこのくらいで負けてるようじゃ先はないよと言われてましたしね。いろんなプレッシャーはありましたが、これで負けたら辞めようと覚悟を決めていました。
リングに上がってライトを浴びた時は、本当に帰ってくることができたんだなと感慨深かったです。試合開始のゴングがなる前、「いろいろあったけどここに戻ってきたんだよ。今度こそチャンピオンになるんだよ」と言ってくれた時、私のことをずっと思ってくれてたんだなと思って胸が熱くなりました。
会長とジムに恩返しするためにも絶対勝たなきゃという思いで戦ったので、勝てた時はホッとしましたね。ようやくまたスタートラインに立てたとも思いました。
──3月の復帰戦以降、5月、7月、9月、11月、2017年も3月、5月とプロボクシングとしては異常なハイペースで試合をしていますね。
私が出産のブランクで弱くなってるはずだから今なら勝てるだろうと試合の申込みが殺到したんですよ。当時は順番待ちしてました(笑)。
──この異常なハイペースはきつくなかったですか?
きつかったですね。しかもその時ちょうど離婚調停の真っ最中で、子どもの親権で争っていたんです。離婚調停しながら育児、練習、試合をしなきゃいけなかったので大変でした。しかも別居中って養育費など一切もらえないので、生活も苦しかったですね。
──そんな大変な状況の中、復帰後は先日のタイトルマッチまで7戦6勝とすごい勝率ですね。
会長やトレーナー、会員さんたち周りの皆さんがすごく応援して協力してくれたからこそです。感謝しかないですね。私自身は今度こそ何が何でも勝ち続けてチャンピオンになって皆さんに恩返しするんだという思いで戦ってました。
唯一負けた試合も、微妙な判定だったんですよ。私たちは勝ったと思っていたのですがポイントの読み間違いで負けたのです。その試合はいろんな人に「負けか勝ちか微妙。有効打を取るか手数を取るかで別れるね」と言われた試合でした。
いい勉強になりましたけどね。でもすごく悔しくてこのままじゃ終われないという気持ちが強くなって、同じ相手に挑みました。リベンジ戦です。リベンジ戦はまた負けたらどうしようという独特のプレッシャーがあるんです。試合前は「私の限界はここなのかな」とか「負けたらとても上にはいけないな」などと弱気の虫が頭をもたげます。でも「やっぱり負けたままは嫌だな」「こんなところで終わるのは嫌だな」「こんな思いは二度としたくないな」と自分を奮い立たせて戦いに臨みました。結果勝ってリベンジを果たせたのでよかったです。歴史的タイトルマッチ
──先日(10月6日)の高野人母美選手とのタイトルマッチが決まった時はどういう気持ちでしたか?
今回の日本女子プロボクシングのバンタム級タイトルは新しく創設されたもので、対戦相手の高野人母美さんはモデルボクサーで知名度も実績もあるので、普通の試合よりも注目してもらえてありがたいと思っていました。だからこそ絶対に勝たないといけない、そのために覚悟をもって全力を出し切って戦うだけだと思っていました。
──対戦相手の高野選手といえば毎回計量時のパフォーマンスで有名ですが、今回も背中全面に竜が黒豹を踏みつけている入れ墨のシールを貼って話題になりましたね。その時、吉田さんをヤンキーだとしたら高野さんは極道。極道の方がヤンキーより強いから自分が勝つ。竜がヤンキーで黒豹が極道のイメージだとコメントしていました。
あれにはびっくりしましたね。一瞬イラっとしたんですが、挑発されてることはわかったので、ただ自分は自分の役割を果たすだけだと冷静さを保てました。だから記者さんからも、「高野選手のあのタトゥーを見てどう思いましたか?」と聞かれた時もその意味はわかってはいたんですが「これは一本取られましたね、ははは」と笑い飛ばしたんです。でも試合では絶対勝ってやるとますます燃えてきましたね。
──試合について感想を聞かせてください。元々高野選手は一回級上の選手で、身長差16センチ、リーチ差も10センチ以上もあります。そんな相手に対して1ラウンドから最終ラウンドまで自分から果敢に飛び込んで、インファイトを仕掛けていきました。高野選手はほぼ防戦一方というかクリンチしている時間の方が長かった。作戦勝ちだと思ったんですが、やはりああいう作戦で行こうと決めていたのですか?
そうです。作戦通りでしたね。1ラウンド開始30秒くらいでこれでいけると思いました。でも私は元々インファイターではなく、中間距離のボクサータイプだったので慣れるまで苦労しました。
──長年キックで染み付いたファイトスタイルを変えるのはすごく大変だと思うのですが、どうやって変えたのですか?
本当に大変でした。しかも試合が決まった日から試合当日まで1ヶ月半しかなかったので。インファイターは相手の懐に飛び込むため、足の踏み込みのスピードが早くなければダメなので、まず足を徹底的にいじめ抜きました。短距離のダッシュから長距離のランニングまでとにかく走り込みをやりました。
それと、高野選手を想定して、私と同じジム所属の、高野選手と同じ身長の男性ボクサーやワタナベボクシングジム所属の2階級上の東洋太平洋女子スーパーバンタム級王者の後藤あゆみ選手と毎週4、5回スパーリングをやりました。
こっちから攻めるんですが、全然追いつけず、逃げられてパンチを何発も被弾して。しかもキックボクシングは蹴りがあるので、基本的に上体を上げ気味にするアップライトの姿勢で戦うので、それでよくパンチをボコボコもらっていました。ボクシングの防御技術であるウイービングやダッキングもうまくできなかったし。
最初の方はあまりのキツさと、なかなかうまく相手の懐に入れないのと、アップライトのクセをなかなか直せなかったので本当につらかったです。特に男性のパンチは重いので、それをボコボコもらうと後ですごく頭が痛くなるんですよ。だから基本的に練習大好きなのに、もう練習行きたくないなとすら思うくらいでした。当時はトレーナーに「無理です、できない!」とよく弱音を吐いていました(笑)。
それでも我慢して練習を続けているうちに徐々に後藤選手を捕まえられるようになりました。そして相手のパンチもだいぶよけられるようになり、私のパンチも当たるようになってので、試合直前にはかなり自信もつきました。▲リーチ差、身長差をものともせず、果敢に攻め続けた吉田選手
──試合本番では身長差、リーチ差はやりにくくはなかったですか?
確かにやりにくかったですが、思った以上ではなかったですね。高野選手の実力を高く想定していたので、強い選手とスパーリングを重ねたのがよかったのだと思います。踏み込みのスピードも早くなっていたので、簡単に飛び込めたし。
──試合ではその成果が見事に出ましたね。
相手はカウンター狙いだったのがわかっていたので、いかに相手のパンチを避けながら懐に入ってこちらのパンチを当てるかがポイントでした。そのために踏み込む前に高野選手にしかわからないように細かいフェイントを入れてました。それに全部引っかかってくれたのでやりやすかったです。
正直、練習の方が全然きつかったです。いつも対戦相手をあえて高く設定して自分を追い込んで練習するので、それが今回も奏功しました。このスパーリングが今回勝てた大きな要因になったので、後藤選手と同じジムの男性会員の方にはすごく感謝しています。1ヶ月半で人って変われるのかなと思っていたけど、やってみたら案外できるもんですね(笑)。
──最初から最後まで自分から攻めていったのがよかったと思います。終始飛び込んで、相手のクリンチに捕まってもみ合い、という展開でしたがそれはやりにくくはなかったですか?
それも想定内だったのでやりにくくはなかったですね。飛び込んでからのショートのパンチもずっと練習してたし。それが何発もすごく強く入って高野選手が嫌がってたのがわかりました。想像以上に何もできなくてラッキーでしたね。徐々に焦ってるのもわかったのでこれで引き続きどんどん行こうと思っていました。でももうちょっと空間を作って細かく打てばよかったなとか、まだまだ課題はありますね。でも勝ちに徹するならばあの戦法しかなかったかなと。
──では苦しい場面も特になく?
高野選手はパンチ力はあるとは感じましたが、効いたなと思うパンチはもらいませんでした。楽な試合ではなかったですが、ヤバいという場面は一回もなかったです。最後の方は相手がスタミナもなくなってるのもわかってたから、手応えは感じてましたね。
──では最終ラウンドが終わった後は勝ったと思いましたか?
自分でも勝ったとは思ったしセコンドも絶対勝ったと言ってくれたましたが、ボクシングは最後のレフェリーの採点結果を聞くまではわからないので、ドキドキでした。▲試合後、愛娘の実衣菜ちゃんと一緒に
やるからには世界チャンピオンに
──今後の目標は?
やるからには世界チャンピオンを目指します。日本チャンピオンにはなれたので、次は東洋太平洋とステップアップして行きたいです。
──今後、チャンピオンになるための課題は?
キックボクシング時代はダウンもよく取ってたんですが、ボクシングではいいパンチは入るんですがなかなか倒せないんですよね。だから今後はもっと倒すことを意識して、相手の脳を揺らすためにあごの先端とかテンプルをしっかり狙って打つ練習もしなきゃと思ってます。
──今、吉田さんは29歳ですが、この先もボクシングはできるだけ長くやりたいという感じですか?
以前は長くできるかなと思っていたのですが、やっぱり上に行けば行くほど練習もきつくなって、1戦終わると疲労もものすごいので、そんなに長くはできないかもって思ってます。具体的にはあと2、3年かなと。モチベーションが高いうちに、集中して頑張って、世界チャンピオンまで全力で駆け上がりたいです。
──若手ビジネスマンへのメッセージをお願いします。
私はこれまでの人生、失敗の連続だったので、とても他人に何かを言えるような立場にはありませんが、これまでの人生を振り返った時、鹿児島で一生を過ごすのも人生だったと思うけど、20歳の時に未経験で格闘技をやりに1人でハワイに行ったり、キックボクシングをやったり総合格闘技に挑戦したり、ボクシングに転向したり。私生活でも結婚、妊娠、離婚、出産などいろんな失敗もしました。その失敗があったからこそ成長できたし、今の自分があると思っています。また、いろいろあったけど、すべて自分が好きなようにやってきたので、これまでの道のりも振り返れば楽しかったと思います。
だから私が他人に何かを言えるとしたら、やりたいことがあるなら失敗を恐れずに挑戦した方がいいということですね。失敗も糧になるし、人生1回しかないですからね。
文・撮影(試合):山下久猛 撮影:守谷美峰 協力:EBISU K’s BOX
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