増殖し書き換えられる世界。存在は消えても記憶は残る。

増殖し書き換えられる世界。存在は消えても記憶は残る。

 第五回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。この欄で前回とりあげた津久井五月『コルヌトピア』と同時受賞だが、選考委員の選評を読むかぎりでは『構造素子』のほうがじゃっかん高く評価されているようだ。選考委員四人のうち東浩紀、小川一水、神林長平の三氏は小説家—-それもロジックを積みあげるような作品を得意とする—-であり、この作品の内容や構成により踏みこめたのだろう。

 小説を書くとはそれ自体が世界を作りだすことであり、そこで人々は複数の人生を生きる。その設定のもとで綴られた父と子の、また人類と人工知能のあいだの物語。メタフィクションであり、SFとして読めばシンギュラリティものの変種でもある。(略)全体が「生まれなかった子の物語」であり、一種の小説論とも読める。(東)

 冒頭に示された「A = ‘A = false and A = true’」は多義的な解釈ができる論理学の命題だが、ここでは恐らく「この話は偽である」と言っている。すなわち創作する人物を創作するという形で、創作という営為そのものの加工性をしめしたものだと思われる。(小川)

 小説を生み出すマシンの構造説明書を小説仕立てにして表現したような印象をもった。いわば小説家が一つの小説を書こうとしているときの試行錯誤、その様子を逐次断章にして、それらを組み上げた、というような作品。(神林)

 ずいぶんと難しそうだが、文芸的にはとりたてて斬新なことではない。ボルヘスが「円環の廃墟」で鮮やかに示した、「誰かを夢見ている人物はまた、誰かに夢見られているのだ」というウロボロス的トポロジーである。ボルヘスは「夢想」として描いたことを、『構造素子』は「記述」に置き換えている。記述する対象と記述する主体が円環する構造はジョン・バースや円城塔もよくやっているが、この作品はそれを伝統的SFのタームやロジックに寄せているのがポイントで、そのぶん見た目は武張っているが、筋道はむしろわかりやすくなっている。文章も素直だ。

 主人公(作品前半部では「あなた」と二人称で記述される)エドガー・ロパティンは亡父が残した原稿を読んでいく。父ダニエル・ロパティンはダブリン出身の売れないSF作家だった。ポーやウエルズに耽溺し、イギリスへ渡って1970年代末から小説を書きはじめるが、いくつかの短篇が雑誌に載っただけで、サイバーパンク全盛のころにはすっかり埋もれてしまった泡沫作家。エドガーはそんな父の人生を思い返す。微かな感傷が立ちのぼり、その情緒性をたどっていくと読みやすい。

 序盤で披露される「宇宙の階層構造モデル」は先鋭的なハードSFの意匠だが、物語の行き先は物理宇宙の話ではなく、父ダニエル・ロパティンの残した原稿の中身である。これは改変歴史で、そのなかでダニエルは1920年代生まれの研究者だ。そして、妻であり、やはり研究家のラブレスとともに、言語によって意識をプログラミングすることに成功する。ふたりのあいだに子どもはできなかったが、その代わりに物語コードによってエドガー001を作りあげる。

 エドガー・シリーズと呼ばれる二回目の人類たちは物語コードによって記述され、ポリモーフィズムによって自らを生成し複製し、自らを繰り返し生成し続け複製し続ける。彼らは終わりのない生成と複製の過程で自らのデータパターンを絶え間なく書き換え続ける。
 彼らは増え続け、彼らは変わり続ける。  そして彼らと同様に、彼らの世界もまた、物語コードによって記述されるポリモーフィック型構造素子の集合であり、彼らは物語コードを操作することで、彼らの世界もまた、彼らと同様に書き換えることができる。

 引用文中に「二回目の人類」とあるのは、人類が一度滅びているからだ。そんな大規模なドラマも、たかだかひとつのエピソードとして組みこんでしまうほど、『構造素子』全体の器は大きい。オラフ・ステープルドン『スターメイカー』ばりである。

 分岐世界のなかには、ダニエル・ロパティンとラブレスのあいだに生身の子どもが生まれた世界もある。子どもはエドガーと名づけられた。こうやって、物語が再帰的につながってもいる。

 もちろん、生誕もあれば死もある。あらゆる分岐世界において、ひとは死ぬ。あるいは「死んだ」と記述すれば、物語コードによって存在は消える。そこでは「私」は特権性を持ちえず、物語コードは私を造作もなく否定しえる。しかし、存在は消えても、記述そのものは残る。

 父が死んでも、記憶が残るように。ダニエルの原稿を、エドガーが読むように。

 エレガントな「円環の廃墟」にくらべ、『構造素子』はあまりに多くの物語が詰まっている。消えてしまった存在、あるいは消えてしまう存在のたくさんの記憶が、残響のように作品を満たしている。

(牧眞司)

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