犯罪小説マニアの至宝が帰ってきた!〜『ゴーストマン 消滅遊戯』

犯罪小説マニアの至宝が帰ってきた!〜『ゴーストマン 消滅遊戯』

 ──ロジャー・ホッブズ『ゴーストマン 時限紙幣』は、二十一世紀に入って書かれた犯罪小説の十指に入る傑作である。

 『ゴーストマン 時限紙幣』の文庫解説冒頭でそう書いた。「犯罪者の小説」、すなわち職業的犯罪者を主人公とする小説に限定すれば今世紀の最高傑作であろう、とも。ゴーストマンを超える犯罪者像を21世紀の作家は誰も造形できていないからである。偽の名を使い、姿形を自在に変え、架空の人格を作り上げて生きるゴーストマンは、犯罪小説史に残るべきキャラクターである。その匿名性はおそらく、リチャード・スターク(ドナルド・E・ウエストレイク)〈悪党パーカー〉シリーズから大きな影響を受けている。1960年代の強奪小説を現代に復活させた、犯罪小説マニアの至宝というべき作品が『ゴーストマン 時限紙幣』だった。

 その続篇が『ゴーストマン 消滅遊戯』だ。前作はゴーストマンが携わったものの失敗に終わった強奪計画と、その悪縁を引きずったがために背負いこむことになった危険な仕事とが並行して書かれる構成になっていた。作中で書かれなかったのが、ゴーストマンの師匠であり、唯一の親友でもある女性の現状だった。彼女はゴーストマンと一緒に失敗に終わった計画に加わり、彼の逃亡を助けた上で行方をくらましていたのだ。以降、一切の消息を絶っていたのだが、『消滅遊戯』の冒頭でジャグマーカーとして再登場する。

〈ゴーストマン〉シリーズの魅力として、作者が自分だけの犯罪者の世界を作り上げていることが挙げられる。それは用語でも徹底されており、逃走のための運転手を〈ホイールマン〉、武力鎮圧の専門家は〈ボタンマン〉といった具合に、それぞれの名称を与えられているのである。〈ジャグマーカー〉は強奪計画そのものの立案者を指す。ゴーストマン同様本名を晒すことはしない彼の師匠は、アンジェラを名乗って読者の前に姿を現す。ミャンマー産のブルーサファイア強奪が彼女の仕事だった。香港へ向かう密輸船を襲い、石を奪う。それだけの仕事だったはずだが、マカオで待つ彼女の元に届けられたのはサファイアではなく、仲間の一人の生首と不吉なメッセージだった。

「盗んだものを返せ/返せばサファイアはおまえのものだ」

 それを読んだアンジェラは2つの行動を起こした。1つは今の人格を捨て、即座に身を隠すこと。もう1つは、世界でただ1人の、彼女の味方と呼べる人間に連絡を取ることだ。すなわち、ゴーストマンである。

 冒頭でゴーストマン以外の視点からの物語が行われ、それを受け継ぐ形で主役が登場する形式は前作を踏襲している。マカオに到着したゴーストマンはさっそくアンジェラを捜し始めるのだが、そのための情報はほとんどないのである。彼女から受け取ったのは携帯電話に残された短いメッセージだけで、具体的な指示が一切含まれていなかったからだ。長い序章に先に目を通していた読者は情報面でゴーストマンに先んじており、優越的な立場で彼の行動を眺められるという利点がある。早く自分のところまでゴーストマンがやってこないか、と気を焦らせることで読者のページを繰る速度は上がることになるだろう。作者の計算通りである。

 ゴーストマンとアンジェラが合流してからが物語の本筋となる。本作の主舞台となるマカオは、2人にとって敵地なのだ。これは冒頭で明かされることなので書いてしまうが、アンジェラが命を狙われることになったのは、ブルーサファイアと共に密輸船に積まれていたある物に手を付けてしまったからだった。その厄介な積荷をどうすべきかという問題で話は進んでいく。『時限紙幣』同様、手にすることがまったくありがたくないお宝が、帰趨の鍵を握ることになるわけである。鋼の糸を使って獲物の首を落とすのが得意技という、手強い殺し屋が敵役としてゴーストマンの前に立ちはだかる。このローレンスという男のキャラクターもまた、読みどころの1つである。

 強奪計画そのものではなく、その後始末、命を失わずにどうやって逃げ延びるか、ということを書いた変型的なケイパー(強奪小説)として〈ゴーストマン〉シリーズは書かれている。主人公を窮地に追い込む状況設定やそこから脱する作戦などは、好みもあるだろうが私は前作に軍配を上げる。ローレンスとゴーストマンの対決場面もなかなか読ませるのだが、1つだけ不満な点がある。この2つには共通点があり、詰めにやや甘い部分があるのだ。しかし一般的な犯罪小説のレベルよりははるかに上であり、アンジェラとゴーストマンが巻き込まれることになる洋上の戦闘など、観るべき場面がいくつもある。文句なくお薦めできる娯楽大作だ。

 本作最大の美点はアンジェラとゴーストマンの関係だろう。窮地に陥ったヒロインを救いに来たヒーローという状況設定を作るときハンバーガーとフレンチポテトのようにセットで恋愛を絡めたがるのが並みの作家である。ホッブズはそんなことはしない。2人の間にあるのは当人たちにしかわからない感情であり、強いて言うならば同盟関係としか言いようのないものなのである。自分ではなく他人の姿で生き続けるというゴーストマンが、唯一本名を知られているのがアンジェラである、という事実がそれを示している。危地に陥ったとき、真っ先にゴーストマンに連絡をとったアンジェラも同様だ。彼らは互いに、かけがえのない同盟者として相手を見ている。本作はその紐帯の強さを描くための小説と言ってもいい。

 本書を読んで連想したのが〈悪党パーカー〉シリーズの長篇『カジノ島壊滅作戦』(角川文庫)だった。あの作品の中でパーカーの仲間であるアラン・グロフィールド(彼を主役にした〈俳優強盗〉というシリーズもある)は瀕死の重傷を負う。その彼をパーカーは放置せず、安全な場所まで連れて行き、きちんと分け前を置いていった。それはパーカーの流儀である。裏切る者は平気で殺すが、そうでなければ仕事をしただけの分け前は必ず払う。それが結局自分にとっても最適の生存法だとわかっているのだ。小説は2人の会話で終わる。

 ──グロフィールドがいった。「感謝している」
「感謝するって、なにをだ?」
「おれを置き去りにしなかった。ここまで連れてきて、分け前まで置いていってくれた」
 そんなことをグロフィールドがなぜ感謝するのか、パーカーにはわからなかった。「おれたちは、いっしょに仕事をやったんだ」彼はいった。
「そうだったな」グロフィールドはいった。「あばよ。またいつか会おう」(小鷹信光訳)

「おれたちは、いっしょに仕事をやったんだ」この台詞に痺れる人は絶対に『消滅遊戯』を読むべきだろう。アンジェラとゴーストマンの間にあるものをこれほど的確に言い表した台詞は他にない。

 一つだけ残念なニュースを。本書の作者ロジャー・ホッブズは2016年11月14日に急逝、30年に満たない短い生涯を閉じた。書き続けていれば尊敬するウエストレイクに匹敵する足跡を犯罪小説史上に刻んだであろう若い才能を惜しまずにいられない。彼の死によって〈ゴーストマン〉シリーズはわずか2作での閉幕となってしまった。『時限紙幣』と『消滅遊戯』、その2作しかもう読むことができないのだ。残念である。

(杉江松恋)

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