“引退”直前の政治評論家・三宅久之氏がニコ生に初出演 「国会の野次はユーモアのかけらもない」 全文書き起こし<前編>
今春の引退を表明している政治評論家の三宅久之氏は2012年3月28日夜、ニコニコ生放送の番組に出演した。かつて毎日新聞政治部の記者として活躍した三宅氏は、番組で、当時の政治家の”裏話”や、小説・ドラマ『運命の人』のモデルで同じく元毎日新聞政治部の記者である西山太吉氏とのエピソードなどについて、懐かしそうに笑みをこぼしながら語った。また、最近の”若い”政治家について、「(国会での)野次にユーモアのかけらもない」と苦言を呈した。
以下、番組の前半部分を全文書き起こして紹介する。
・[ニコニコ生放送]本記事の書き起こし開始部分から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv85917754?po=newsgetnews&ref=news#0:00:03
■政治評論家・三宅久之氏、ニコ生に初登場
ナレーション: 日本を代表する政治評論家三宅久之が引退を宣言。歯に衣着せぬ発言で、世代を超えて多くのファンを持ち、政界の裏の裏まで知り尽くす三宅氏。その三宅氏が今夜、そのすべてを包み隠さず明らかにするという。果たして、どんな話が飛び出すのか、これは見逃せないぞ。題して、「政治評論家・三宅久之引退直前SP!『私が言わないと誰が言う!今夜解禁!日本政治の歴史と闇!」
角谷浩一氏(以下、角谷): みなさん、こんばんは。コネクターの角谷浩一です。震災から約1年。政治は混沌として昨日(3月27日)まで8日間、民主党は消費税増税のための党会議というのを続けていました。昨日も夜中遅く過ぎ、今朝の朝早くまで会議をしていて、30日には閣議決定というところに漕ぎ着けています。ただ、これを評論家の人たちは一体どういうふうに見るのか。僕も政治記者の端くれとして、いろいろ意見を持ったり、取材をしたりしています。
ただ、その中で今VTRにもありましたように、政治評論家界の大御所である三宅久之さんが引退されるという話を聞きつけました。さあ、これは一体どういうことなのか。僕は三宅さんとは親子ほどの年の差がありますけれども、三宅さんにも聞きたいことはたくさんあるし、政治記者というのは一体どんなのか。政治ジャーナリズムとは一体どんなものなのか。三宅さんが過去の取材や体験、そしてやってこられたことの中から、今日は今まで説いてこなかった秘密のお話も含めて、いろいろ伺っていきたいというふうに思っております。
では、早速ご紹介しましょう。本日のスペシャル番組のゲストどころか、メインの方でございます。三宅久之さんです。こんばんは。よろしくお願いします。
三宅久之氏(以下、三宅): こんばんは。どうも。
角谷: 三宅さんというと、僕らが駆け出しの記者の頃から、もうすでに大御所中の大御所でした。僕が取材を始めたのは第3次中曽根内閣ぐらいの時ですね。
三宅: ああ、そうですか。私にとっては、ついこの間みたいなものなんですけどね(笑)。
角谷: そうなんですね(笑)。そう考えますと、大先輩であります。政治記者そして政治取材、それから政治評論というのは、これは世界のどこにでもある、政治がある限り、それを解説したり分析したりする仕事があるわけですね。
さて、その長らく政治の現場を見てきた三宅さん。引退されるという話で、引退というのはそもそも、この世界にはあるのかどうか、と。政治家が次の選挙に出ないという引退はありますけれども、三宅さんが引退するという話になってしまって、これまたビックリ仰天ということで、ニコニコ動画に来ていただいて、いろいろ話していただこうというのが今回の趣旨でございます。
三宅さんはニコニコ動画に出演するのは初めてなんですけれども、こうやって若い人たちから、いろいろ書き込みがあったり、それから、いろんな意見を直接生放送で、今しゃべっている人にぶつけてくるというふうなことがあるんです。そういう意味では、今までのラジオやテレビよりもスピードが早くて展開が早い。政治家もここで直接質問を受ける。
小沢さんがこのニコニコ動画によく出てくるのも、直接言ったことにモノが返ってくるのが良い、と。それから編集しない、と。その2つが良いんだということなんですけど。初出演ですけど、どうですかね?
三宅: そうですね。私も初めて出していただいて、どんなふうになるか分からないけれども。小沢さんがおそらく一般の既成のメディアじゃなくて、編集をしないというメディアを選んでいるというのは、今の小沢さんの立場からいくと分かるような気がしますね。
角谷: なるほど。つまり、メディアにとって都合の良いところばかりを編集されて流される。それは自分にとっては都合の良くないところばかりを流されるのも、あまり良い気持ちがしない、と。
三宅: ええ。佐藤栄作さんが引退の時に、記者会見で新聞記者がいると「新聞記者は出て行け」と。新聞記者が自分の悪口ばかり書いていたが、テレビは全部伝えるからということでやったことがありましたね。小沢さんも同じような心境じゃないかと私は思う。
角谷: なるほど。そういうことで、今日は全部三宅さんのお話ししたことがみんなに伝わりますから、どうぞよろしくお願いします。
三宅: どうぞ。何でも聞いてください。
■三宅氏が体験した「戦後日本の高揚期」
角谷: みなさんから三宅さんに質問もいろいろあると思います。今夜はメールを受け付けようと思っています。三宅さんに聞きたいこと、三宅さん引退についてのご意見などもお待ちしています。番組のページの下に、お便りの投稿フォームがあります。こちらを見ていただきたいというふうに思います。「今日は何でも聞いてください」と仰っていただいたので、みなさん伺いたいことをメールにしていただければと思います。コメントにいろいろと書いていただくんですけど、そこでパッと拾えない場合もありますから、ぜひメールでいただいた方が良いと思います。
では、まずは、三宅さんのプロフィールを簡単にご紹介させていただきたいと思います。
三宅さんは早稲田大学を卒業後、毎日新聞社に入りました。1954年に政治部に配属されたということです。僕が1961年生まれなものですから、私が影も形もない頃にはもう政治記者をされていた。新人記者として総理官邸のクラブに詰めて、その後、自民党、社会党、各党および各省庁の担当、いわゆる政治記者として活躍されるんですね。自民党の時には河野派を担当していた。今は引退された河野洋平さんのお父さん、河野一郎さん。
三宅: 今、河野太郎さんが暴れていますけども、彼のおじいさんですね。
角谷: つまり3代前の政治家の担当だった。その頃は、戦後、54年に政治部ですから、そういう意味では高度成長に入ろうかという時で、50年の朝鮮戦争が終わって、64年にはオリンピックが東京で行われる。まあ、なんとなく戦後が終わったみたいなところから(政治記者のキャリアは)始まったんですかね?
三宅: そうですね。まあ、私の感じでは、戦後が終わったというのは、やはり60年の池田(勇人)内閣からの感じがするんですね。それまでは、例えば岸信介さんがやった日米安保条約の改定なんて戦後処理ですよ。要するに日本の独立と引き換えに安保条約をアメリカに呑まされたわけですね。
だけど、この旧安保というのは、例えば日本で内乱が起きた時に米軍が介入するような条項まである。植民地条約ですよね。それを、(岸内閣は)多少なりとも対等にしようと思ったんだけども、当時国会を連日何十万という人が取り巻いて、「安保粉砕!」「基地を倒せ!」とやったんだけども、おそらくほとんどの人が新安保と旧安保とを見比べて読んでなかったと思いますよ。見比べれば、旧安保よりかは新安保の方が良かったと思ったと思うんですけど。
だけども、その混乱の中で岸さんが退陣をして、次の池田さんは、もともと剛直な人で、器用なことのしゃべれない人なんですね。だけども、あの人は大平正芳とか、それから経済学者の下村治とか、いわゆるブレーンが良くて、その剛直な池田さんを封じ込めて、そして内閣のスローガンは「寛容と忍耐」「あなたの月給も倍になります」と言って、政治的なムードを経済路線に切り替えて・・・。
角谷: うんうん。「所得倍増計画」というのを言い出していましたね。
三宅: それで、家庭の奥さんはみんな、念願としていたテレビや電気冷蔵庫、洗濯機を実際に手に入ったんですよ。だから非常に明るい気分で、10年経たないうちに月給が倍になったわけですから。
角谷: 「三種の神器」が買えるようになった、と。
三宅: あれが、やっぱりね。そして池田内閣のときに、戦後19年でオリンピックができたわけですね。そして高速道路が曲がりなりにもできて、新幹線も走ったわけですよ。「やっぱり戦後が終わった」と。そして、その当時はアメリカに追いつき追い越せではなくて、ヨーロッパに追いつき追い越せだったんだけど、それが射程距離に入ったという実感を国民が等しく持っていたんですね。
あの頃がいちばん、日本の国としては高揚期だったのではないか。要するに戦後から本当に脱して、新しい時代が始まったというね。
角谷: その国会を、「安保反対!」「安保粉砕!」でたくさんの人が取り囲んだ。それは労働組合だったり、大学生だったりいろいろでしょう。だけど、日本の国をこういうふうな方向にしたいという思いが、国民にも政治家にも、もちろん新聞記者たちにもあって、どちらに転ぶか分からないけれども、それを見守らなきゃいけないとか、みんなが決めたことに、この国はなっていった方がいいんじゃないかっていう雰囲気はあったんですかね?
三宅: うーん。それはちょっと疑問ですね。
角谷: そこですよね。つまり、僕らはだいたい教科書で見るような歴史になっちゃった。60年安保があって、そして70年安保と。70年安保なんて僕らなんか小学生くらいでしたけども、そんなに重大なことのような世の中ではなかった。
やっぱり、もっとその前の方が、それこそやっぱり69年から70年代もう子供たちにとっては万国博が来る頃ですから、学生運動や新宿騒乱事件みたいなものに関しては、やっぱりちょっと遠いニュースみたいなものがあったような気がしますね。多分、三宅さんがトータルでご覧になるとやっぱり多分そんな印象で、燻っていたものとメインストリームが、ちょっと2つあったような感じですかね。
■”政治記者”が見た”戦後日本の外交”
三宅: 国家経営っていうのは、なかなか難しいもんだと思いますね。政治記者をやっていて、「今の政権はけしからん」とは必ず言うわけですよね。実際、褒める方が難しい政権が続いていたわけだから。だけども今の日本で、誰が政権をとっても、日本人に夢と希望を与えるとか、日本の国家としてこういう方向が絶対だということを指し示されるかどうかというのは、なかなか難問だと思いますね。
ようやく決着がついたようですけども、民主党の「社会保障と税の一体改革」を巡る党内論議を見ていても、つくづくそう思いますよ。民主主義というものを一体、民主党の人々は何だと思っているんだろうか、と。
まあ、論議は尽くせばいいんです。かつて自民党でもそうだったけれども、何十時間か論議をすれば、あとは結局、責任者に一任をして、取りまとめをする、と。そして不満があっても討議が決まればそれに従うというのが民主的な政党運営のルールなんだけども。
角谷: 自民党はそれでやってきましたよね。
三宅: 自民党の場合もそうなんですね。自民党の場合も、例えば鈴木善幸さんなんていう総務会長で長くやってきた人、まぁ総理大臣もやりましたけどね。この人の総務会長時代などは、ともかく本当に毎日、討議をやるわけです。例えば日中国交回復に伴って、日本と台湾の航空路も切るし、あれも談合でするわけですけども。
政治家の中には、蒋介石が戦後「暴に報いるに徳を以ってする」と、(日本に対して)賠償を請求しなかったので、恩義に感じている人が多く、なかなか(議論が)まとまらない。朝から晩まで論議をする。反対派は「あなたはどうだ、あなたはどうだ」と。そのうちタネが尽きちゃうわけですよ。そうすると、「ともかくトイレでも行っていらしてください」と言って、反対派を追っ払って、満場一致で決めるということをやっていた。
まあ、鈴木善幸さんは、総理大臣としてはあまり有能な人だと思わなかったけども、そういう議事の運び方とかはなかなかのものがあって、「ああ、こういうやり方があるんだな」と。
角谷: 当時を説明すると、田中(角栄)内閣の時に、日中国交回復ということになる。それまで日中間は国交がなかった分、台湾と国交があった。台湾と仲良いのはどちらかというと当時の福田派の人たち清和会です。その流れはずっと小泉さんとか森さんの流れですね。
三宅: あなた、やっぱり詳しいね。
角谷: 何を言っているんですか(笑)。それで田中角栄さんとか二階堂進さんとか田中派は、どちらかというと中国との関係をこれから作っていくんだ、と。だからそういう意味では、中国と仲良くやっていくというのは、この後の日本の中長期的には良いんだという思いと、いやいや今までの恩義は関係で断ち切るなんて駄目だよという思いがあった。
ついこの間、震災の1周年で各国の代表団が来た時に、台湾政府に対して献花をさせず一般と同じ扱いにしたことが、今でも国会で話題になるのは、まさにこういうことです。
それを昔から「角福戦争」なんていう言葉になって説明されることがある。なんとなく今でもその火種は、いろいろ政党が変わったり、それから派閥がなくなったり変わっていっても、まだまだちょっと燻っているものはありますね。
三宅: うん。でも、本当のことを言うと、田中角栄さんが最初から日中国交回復に非常な熱意を持っていたというのは嘘ですよ。あれは、あとで作った話で、つまり(田中角栄は)総裁選挙の時に、中小派閥であった中曽根派と三木派の協力を得る必要があったわけです。
ところが中曽根派も三木派も、「それならば日中国交回復を、田中派の政策課題として明確に掲げろ」と要求をしたわけです。それで掲げたというのが本当なんです。
角谷: なるほど。じゃあ(田中角栄は)最初から積極的だったわけじゃない、と。
三宅: 鄧小平が日本に来た時に、「中国は井戸を掘った人のことを忘れない」と言って、刑事被告人だった田中角栄邸を訪問しましたね。そういうことで、(田中)真紀子さんもそれを自慢にするんだけども、日中国交回復の先達というのは、高崎達之助であるとか岡崎嘉平太であるとか、あるいは松村謙三であるとか、古井喜実であるとか、田川誠一であるとかです。こういう人たちが本当に、いわゆるニクソン訪中以前にやっていたわけですよ。
だからアメリカなんて酷い国で、台湾を擁護して北京政府を排除するため・・・。国連総会で毎年アルバニア決議案というのが出るんですよ。アルバニア決議案というのは、いわゆる北京政府を中国の国連代表にしろという要求ですよ。アメリカはそれを排除するために、重要事項指定方式といって、国連総会で「重要だから3分の2なければ入れられない」というのを出すんです。その時、必ず日本が提案国にさせられていたわけですね。
ところが、日本に何の挨拶もなしに、キッシンジャーが訪中して道を拓いて、ニクソン訪中をやったわけです。だから、佐藤内閣は本当にコケにされたようなものなんですよ。だけど、日本の外交っていうのは、ずっとアメリカの言いなりになってきたのが現実ですからね。
■「まだ早いと言う人もいるが・・・」 三宅氏の引退理由とは
角谷: ここまで、あの頃の話をパッパッパッと出てくる三宅さん、なんで引退しなきゃいけないんですか?
三宅: いや、今ここであなたと話してもお分かりになるだろうけど、私は息が切れるんですよ。ジーッとしてれば良いんですけどね。多少興奮してくると、ハーハーなるんですね。すると、番組に出て、いろいろケンカしている最中に、息が切れて「ちょっとタンマ」って、息を引いてからっていかないわけでしょう。自分でビデオを見ていても、「こんなにハーハーしていんじゃ、もうとっくに賞味期限切れだなぁ」と思った。
自分で、やっぱり決めたんです。まだ早いと言ってくださる方もあるんだけども、自分で自分のことは分かりますから。まあ、不義理もあるんだけども。しかし、この間、大阪の番組で、追悼番組みたいなものをやってくれたんだけども。田嶋陽子さんが「清々する」と言っていましたけどね。ハッハッハ(笑)。
角谷: 清々するというよりも・・・。でも、僕たちは、政治っていうのは遠いものだと思っている。できるだけ近くにしようと思っている。政治は他人事じゃなくて自分の事なんだということを分かってもらうために、できるだけ政治の難しいことを分かりやすくやろうというふうに努力しています。
そういう意味では、三宅さんは本当に分かりやすく、それで駄目なものは駄目と言うし、怒っても目先でケンカしているように、一見テレビ的な演出もあるかもしれないけれども。田嶋さんは学者で、政治のキャリアから言えば、何年か国会議員をやったりしたかもしれないけども、やっぱり政治っていうのは継続的なものがありますね。
「あの人は、こういう経緯でこうやって、だから今こういう発言があるんだ」と。「なぜこういう動きになっているかというと、実は・・・」ってことがあって、この経緯が全部切れちゃうと何があったか分からなくなる。そこはとても大事です。(三宅さんとは)親子くらい違うんですけど・・・。
三宅: いや、そんなには違いませんけどね(笑)。
■”若い”政治家には「野次にユーモアのかけらもない」
角谷: 僕は、中曽根内閣の第3次、中曽根内閣も5年続きましたから後半の部分からです。だけど今、その時に閣僚やっていた人はほとんどいませんからね。もう中曽根さんも引退されているし、現役でいる方はもうほとんどいらっしゃらない。ということになると、「そこで何が議論されて、それが今のここに繋がっているか」っていうのを伝えるのは、政治家がそれを伝えると自慢話にしかならないんですよ。
だから、やっぱり僕らが伝えなきゃいけないことがあるんじゃないか、と。それから、行儀の悪いのに、行儀が悪いと言わなきゃいけないのも、やっぱり若い人だけでやっていたら、そうはならないじゃないですか。だから、僕は三宅さんの必要性はものすごく大きいと思っています。
三宅: 私なんかの場合はもう古すぎるんで、今の政治家から見れば化石時代の人間みたいなものだけど、例えば政治家の行儀の悪さは、私たちは非常に感じますね。私が政治記者になったころは、派閥の全盛時代なんですよ。派閥の弊害も随分言われましたけど、派閥には「鬼軍曹」みたいな人が・・・。
角谷: いましたね。
三宅: いましたよね。それが新人政治家を教育するわけですよ。
角谷: (派閥の)事務総長クラスとか恐かったですよね。
三宅: なかなか恐いんですよ。そして、いろいろ「しつけ」をするんです。例えば、各派閥は木曜日に昼食会をやる。なぜ同じ日に(各派閥が昼食会を)やるかというと、派閥の掛け持ちができませんから。今、民主党が同じようなことをやろうとしているんだけども。
角谷: 民主党は幽霊部員がいっぱいいますからね。
三宅: 掛けもちができないようにしようということですね。
角谷: 金曜日は地元に帰る人が多かったんですよね。
三宅: そうそう。「金帰火来」と言ってね、金曜日に(地元へ)帰って、火曜日の朝に(東京へ)帰ってくるということが多かったんですけども。当時は、新人議員の「しつけ」も、例えば野次の仕方に至るまで行き届いていた。あまり品のない野次をやると、鬼軍曹が注意したりしたんですよ。
ところが、民主党の場合、若い人がわっと出てくると、そういう教育がないでしょ。最近は自民党もそうですけど、罵詈雑言を言っているだけで野次にユーモアのかけらもありませんよね。
角谷: (昔は)与野党がドッと湧くような野次が本会議中にありましたよね。
三宅: ええ。
角谷: 僕らの頃の野次将軍と言うと、鈴木宗男(新党大地代表・前衆院議員)や松田九郎(自民党・元衆院議員)とか。この辺からだんだん少し荒っぽくなっていく時期ですね。それまではもう少し気の利いた・・・(新聞の)「見出し」になるような野次がありましたね。
三宅: そうです。やっぱり、野次るときに、野次のタネをいろいろ考えてくるんですよね。松田九郎さんなんかは、品が良くなかった方ですね。あの辺から、だんだん声が大きいだけになってきましたけどね。
角谷: そんなことで政治家のスタイルも変わってくる。でも、女の人はミュールという踵の部分がない「突っ掛け(サンダル)」みたいな靴が夏場にありますが、今でも参議院なんかは、こういうのを履いて行ったら、「これはサンダルだ」「サンダルは履いてはいけない」と。それで秘書であろうが、(番)記者であろうが、委員会室に入れませんからね。
でも、昔なら「こんな格好じゃだめだ。突っかけで行ってどうすんだ」と政治部の先輩たちが教えたんだけど、今は衛士さんに止められるまで誰も気付かないということが起きますよ。
三宅: 参議院というのは、戦前の貴族院の名残がありますからね。貴族院時代は、新聞記者もモーニングコートを着て取材していたそうですよ。私も(実際のところは)知りませんよ。だけど、私が政治記者になったころは、まだ政治部の先輩には羽織袴で来る人もいましたよ。
角谷: コロムビア・トップ(漫才師・元参院議員)さんみたいな?
三宅: あの人、そうでしたか。
角谷: そうでしたね。
三宅: それで、ステッキをついて現れるんですよ。
角谷: 野田(佳彦)総理が、まだ総理になる前か直前ぐらい、紺のブレザーを着て下のズボンと上下が合ってない服、いわゆるアメリカン・トラッドみたいな格好をしていた。これが、「けしからん」と怒られたことがあると聞いたことがありますけどね。
やっぱり、「本会議場に入るということがどういうことなのか」ということを(教えるために)怒る先輩議員がいましたよね。それから自民党は凄いなと思ったのは、ベテランになればなるほど、会議の早い時間から議席に座っている。これはすごいなと思った。民主党の議員には、ちょっと遅れる方が格好いいと思っている人が何人もいる。これがダラダラしている感じがします。
三宅: そうですね。もう10年前かな。まだ小泉(純一郎・元首相)さんが、「70歳定年制」で老齢議員を引退させる前ですけどね。たまたま本会議場を覗いたら、何かつまらない討論をやっていましてね。
だらけている中で、ピンっと背筋を伸ばして、居眠りもせず聞いていたのが、奥野誠亮(自民党・元文相)さんと中曽根康弘(元首相)さんでした。両方とも既に80歳を超えておられたと思うけど、この2人だけはピッとしていてね。あとの若いのは、机の下で週刊誌を読んだりとか、いろんなことをやっていましたけどね。
だから、これは年寄りを辞めさせても、若いのがこんなにだらしないようじゃダメだなと記者席から思ったことがありましたけどね。
■「血の気の多い男だった」 三宅氏が語る西山太吉像
角谷: 三宅さんは、毎日新聞の政治部で、多分いろいろなエピソードがおありでしょう。毎日新聞の政治部出身で評論家になられた方って大変多いと思います。三宅さんもそうですが、三宅さんは40・・・。
三宅: 辞めたのは46歳のときです。
角谷: 46歳のときですよね。いま話題になっている『運命の人』というドラマが、この間までありましたけども、原作は山崎豊子さんで、あのベースは、西山太吉(元毎日新聞社・政治部記者)さんの「機密漏えい事件(西山事件)」だと言われています。
僕も西山さんのインタビューをしたことがありますけど、西山さんも毎日新聞で、丁度、三宅さんと西山さんとは同じころに政治部に・・・。
三宅: そうです。ただ、彼とは何年違うのかな・・・。入社時期でいうと、4~5年違うのかな。年齢はそんなに違わないと思いますけどね。私は、「西山事件」が起きた時のデスクですよ。副部長。
角谷: 政治部の?
三宅: ええ。ですから、あれで苦労させられましたけど。(西山氏は)直接の部下っていうわけじゃ・・・。政治部っていうのは朝刊番・夕刊番や、遊軍とか、いろんなことを担当していますから、デスクが5人くらいいるんですね。たまたま番になっていれば、全部、自分の統制下になりますけれども、外れれば違いますから。だから、後輩であることは間違いないけども、「直属の部下」と書いている週刊誌もあったけども、そういう関係ではありませんでした。
角谷: なるほど。僕が聞いたのは、三宅さんがデスクやっていて、西山さんが「お前、俺の原稿削ったな」というふうに言って、掴み合いになったって話を。
三宅: それは、ありましたよ。あれ(西山氏)も手の早い男でね。私は仕事する時、Yシャツ1枚でしょ。ケンカして、本当にYシャツを破られたことがありますよ。私も「こんな下手くそな原稿直して、どこが悪いんだ」と言ってね。あれ(西山氏)も「デスクだといって、肝心なところを削ったらなんになるんだ。こんなデスクなら辞めろ」なんて言って詰め寄ってきてね。血の気の多い男だったけども。そういう雰囲気はありましたね。
私らも、部下の時はずいぶん生意気な部下で。上司には盾ついて「そんなデスクなら辞めたらどうだ」なんて言ったことがあるから。私も西山にやられて、「俺も言ったことあるなぁ」って思いながらケンカしていましたけどね(笑)。
角谷: でもそのくらい、それぞれ自分の原稿に自信があり、取材先に食い込んでいた、と。西山さんの場合には、いわゆる「大平派」を確立して、大平内閣を作りたいという、いわゆる大平番という側近記者。各社とも、例えばナベツネ(渡邉恒雄・読売新聞グループ本社会長・主筆)さんが読売新聞で政治部にいて、中曽根さんを何としてでも大きくしたいと。あの頃、中曽根さんは派閥がちょっと中途半端で・・・。
三宅: まだ、(中曽根派に)なる前ですから。
角谷: ですから、そういう時期あったと思うんですけどね。
三宅: 彼(渡邉恒雄氏)はもともと、大野伴睦(元自民党副総裁)さんという人と非常に近かったんですね。中曽根さんは、正力松太郎(元読売新聞社社主)さんが初代の原子力委員長で、2代目が中曽根さんですから、正力さんから(読売新聞の)政治部に「誰が気の利いた記者を中曽根につけて、ものにするように」という社長命令があって、ナベさん(渡邉氏)がついたらしいですけどね。
■三宅氏は政治家に向いていない!?
角谷: そういう意味では、政治部の記者たちも、番記者というのは今みたいにローテーションみたいな感じではなくて、もっと覚悟を持って「世の中変えるんだ」とか。あの頃は、総理大臣の秘書官も、新聞記者がなることが多かったですよね。
三宅: ほとんどそうですね。
角谷: 番記者の側近が、そのままつくという場合があったんじゃないですかね。
三宅: そうですね。私も一番駆け出しのときは、吉田(茂)内閣ですけどね。当時は鳩山(一郎)さんが鳩山派と民主党を作って政権を取っていくんだけど。鳩山派の会合を覗くと、見知らぬ男がいるんですよ。会合を取り仕切っているんです。「あれは誰だ?」と聞いたら、「あれは朝日新聞の若宮小太郎だ」っていう。今、朝日(新聞)の主筆の若宮啓文君のお父さん。もう、派閥記者の権化みたいなもんでね(笑)。もう、派閥の領袖と一緒に「吉田派の誰々は、けしからん」とかやっていましたよ。
あの頃は、私らの時代ともちょっと違うんですが、政治家でも、新聞記者出身っていうことはたくさんありましたよ。私も河野さんに「政治家にならないか」と言われたときに、私が「まったくなる気はない」と言ったら、彼はびっくりしたような顔をして、「それなら君、なんで政治記者やっているんだ?」と言われたことありますよ。
角谷: 逆に?
三宅: 私は新聞記者が好きだしね。私の一番致命的な欠陥というのは、人に頭下げることが嫌いだし、人の名前を覚えることも苦手なんですよ。
角谷: 一番政治家をやらないほうがいい(笑)。
三宅: 角谷さん、永田町であまり大したことないと思っている政治家でも、選挙区に行って演説聴いていると、自分の個人演説会で何十人という人の名前を(そらで)呼ぶんですよ。「おい、○○。元気か。ああ、良かった」「○○の婆さん、嫁さんとまだケンカしているか」「子供が生まれたか。俺が名前付けてやる。ああ、もう付いちゃっていたか」とかね。そんな話を、講演会で延々とやるんですよ。あれを見て、「よくこんな、人の名前を覚えているもんだ」と。この(政治家の)記憶力だけでも、私は一驚したことがありますけどね。
角谷: それで、「私は政治家には向かない」ということになっちゃったわけだ(笑)。
三宅: とてもできない。
・「評論家冥利に尽きる」 ”引退”直前の三宅久之氏がニコ生で語る政治 全文書き起こし<後編>
http://news.nicovideo.jp/watch/nw228213
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(書き起こし:ハギワラマサヒト、吉川慧、山下剛、編集:山下真史)
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