第55回 <怪獣ブーム50周年企画 PART-6> 『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』
●「怪獣ブーム」とは
今から50年前の1966年1月2日、記念すべきウルトラシリーズの第1作目『ウルトラQ』が放送を開始した。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』などのアニメを見ていた子供達は、一斉に怪獣の虜となった。すでにゴジラ映画は6本を数え、前年の1965年にはガメラがデビューした。『ウルトラQ』終了後、これに拍車を掛けたのが同時期に始まった『ウルトラマン』と『マグマ大使』。見た事もない巨人が大怪獣を退治していく雄姿に、日本中の子供達のパッションがマックスで弾けた。
これに触発された東映も『キャプテンウルトラ』『ジャイアントロボ』『仮面の忍者赤影』と次々に怪獣の登場する番組を制作。大映はガメラのシリーズ化に併せて『大魔神』を発表し、日活と松竹も大手の意地を見せて参戦した。そして少年誌はこぞって怪獣特集記事を組み、怪獣関連の出版物や玩具が記録的セールスを計上した。これは「怪獣ブーム」と呼ばれる社会現象となり、『ウルトラセブン』が終了する1968年まで続いた。
ちなみに『帰ってきたウルトラマン』『仮面ライダー』が始まる1971年から1974年にかけて再ブームを起こすが、これは「第二次怪獣ブーム」(「変身ブーム」ともいう)と呼ばれ、最初のブームは「第一次怪獣ブーム」として厳密に区別されている。
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『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』
1967年・大映・87分
監督/湯浅憲明
脚本/高橋二三
出演/本郷功次郎、阿部尚之、北原義郎、上田吉二郎、笠原玲子ほか
今から50年前の春、1966年に発生した怪獣ブームは年が明けても衰えず、新学期シーズンには3月26日放送の『ウルトラマン』第37話「小さな英雄」がシリーズ歴代最高視聴率42.8%を叩き出すなどピークに達していた。ゴジラのライバルとしてガメラの人気を過去2作品で着実に築いてきた大映は、昭和怪獣映画の決定版と言うべき第3弾を3月15日に公開。ここに「ギャオス」という稀代の名悪役怪獣が産声を上げた。
地殻変動により噴火した富士山へ、火熱を食糧とするガメラが飛来する。調査団が乗る大型ヘリコプターが富士上空を旋回していると、裾野で緑色に輝く洞穴から「ピシャー」と黄色い光線が発射。ヘリの中央は羊かんのようにスパッと斬られ、機体の切断部から科学者達が「うわ~っ」と落ちて行く。1人、1テンポ遅れて自ら飛び降りようとしている者がいて場内に苦笑が伝わるが、彼らは撮影スタッフの素人役者だ。事件現場付近は高速道路の建設予定地で、補償金の吊上げを狙う金丸村長(上田吉二郎)率いる立ち退き反対運動のため工事が遅延していた。現場主任役は、前作から続投の本郷功次郎だ。
マスコミはガメラを疑い、新聞記者がヘリ墜落現場の二子山へ向かう。記者は途中で村長の孫・英一(阿部尚之)と出会い、緑色に光る洞穴に2人で入るが、地震が起き崩落が始まる。「おじちゃ~ん助けて~!」と逃げ遅れた英一を見捨てて1人で逃げる記者は、外にいた翼のある怪獣にムシャムシャと食われてしまう。怪獣が「ギャオー!」と鳴きながら巨大な手で英一を捕まえると、山中からガメラが登場! ヘリを切断した例の光線で傷を負いながらも英一を救出し、甲羅に乗せて飛び去り遊園地で降ろす。急遽、その敷地内に建つホテルにで「怪獣対策本部」が設置される(経営者側もいい迷惑)。
対策本部で英一は、動物学者・青木博士(北原義郎)らに体験を話す。英一「ギャオスの口から光が出て、ガメラの手に当たるとメスで切ったように傷が付くんだ」。軍人「坊や、さっきからあの怪獣をギャオスって呼んでいるが、その名前は?」。英一「うん、僕が付けたんだ。鳴き声がギャオーッて聞こえるもん」。苦笑する大人達。軍人「青木博士、動物学的見地からあの怪獣は……」。英一「ギャオスだよ!」。軍人、苦笑し「ギャオスは鳥類ですか、爬虫類ですか?」。青木博士、真顔で「強いて分類するなら怪獣類です」。ここはギャグではない。彼らは大真面目なのだ。ついでだが、元ヤクルトスワローズの内藤尚之投手は、マウンド上のパフォーマンスで「ギャオー!」と叫ぶため「ギャオス」という愛称が与えられ、現在「ギャオス内藤」の芸名で野球解説者やタレント活動をしている。
ここでギャオスのスペックを。ガメラの身長60メートル、体重80トン、飛行最高速度マッハ3、得意技は火炎噴射に対し、身長65メートル、体重25トン、飛行最高速度マッハ3.5、得意技は300万サイクルの超音波メス(別名・殺人音波)。二股に分かれた喉部分の背骨が音叉の原理で共鳴し、鉄も切り裂く超音波を発する。反面、二股のため首を回せないので背後からの攻撃に弱い。耳の緑色発光は空腹のサイン。夜行性。
夜の間に村中の牛や馬を全部平らげた(牧場主は発狂)ギャオスは、防衛隊の総攻撃で巣を追い出され、なぜか名古屋に襲来。超音波メスで真っ二つにされる名古屋城。ギャオスは名古屋駅直前で緊急停車する車両から逃げる乗客を5人まとめて掴み、「ボキボキ」とオニギリにしてムシャムシャ。火の海と化した名古屋市内にガメラが飛来し、避難所となった中日球場上空で再戦。中日球場は「中日対巨人」ではなく「ガメラ対ギャオス」に。やがて戦場は伊勢湾に移り、ガメラはギャオスの右足に噛み付いて海中に引き摺り込もうとする。夜が明け始めるとギャオスの頭頂部が赤く明滅(危険信号)し、超音波メスで自分の足を切断して逃げてしまう。夜行性のギャオスは、紫外線に当たると死んでしまうのだ。
ギャオスに頭を悩ます対策本部で、英一が退治方法を提案する。本部が設置されているホテルの最上階にある回転性能を備えた展望台に、人食い怪獣が好みそうな人工血液を容れた巨大な器を用意。ギャオスが飲みに来たら展望台を朝まで回転させ、目を回し朝日を浴びて弱ったところを攻撃する「回転作戦」が実行された。だが変電所が過負荷でショートして展望台の回転が止まり、作戦は失敗に終わる。この人工血液及び、ギャオスがコウモリ型で夜行性なのは、企画段階で敵怪獣が「吸血怪獣バンパイヤー」だった名残だ。
怪獣騒ぎによる高速道路のコース変更を聞きつけ「土地を売り損ねたじゃないか!」と、村長の家に押し掛けた反対同盟の村人達へ「お爺ちゃんばかり責めないで」と泣きじゃくる英一と頭を下げる姉(不本意にもマスコミに「ガメラの妹」と紹介された新人・笠原玲子)。孫達に心を動かされた村長は、英一の「山火事を起こせばガメラが来て、ギャオスをやっつけてくれるよ」という言葉に、総額2億円の損失も辞さず所有する山を燃やす決心をする。炎の森で、ガメラとギャオスの死力を振り絞った最終決戦が始まる!
昭和ガメラシリーズ全8作を演出した湯浅憲明監督(『対バルゴン』のみ特撮監督)は、前作『対バルゴン』を大人向けにしてヒットしたのはよいが、映画館が運動場と化した(飽きた子供達が館内を走り回る)のは失敗と反省し、本編の芝居を短くすることに務めた。そしてガメラのキャラを第1作の「子供好き」に戻したことが功を奏し、以降のシリーズの方向性を決定付けた。湯浅監督もガメラ同様、「子供の味方」だったのだ。
以降ギャオスは人気怪獣となり、第5作『ガメラ対大悪獣ギロン』(69年)で体色を銀色に変え、平成では『ガメラ 大怪獣空中戦』(95年)で超古代文明の遺伝子工学生物として登場する(特撮監督は『シン・ゴジラ』の樋口真嗣)。こちらもオススメだ。
(文/天野ミチヒロ)
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