和服で行こう世田谷ボロ市【歴史編】

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和服で行こう世田谷ボロ市【歴史編】

最初は計画してなかったんですがよくよく考えたら400年て凄くね?いとおかしくね?

って事で後日、歴史も調べてみました。

やってきたのは東京都中央図書館、

和服で行こう世田谷ボロ市【歴史編】

祝日のため閉館

何だよ祝日って、毎日がエブリデイ舐めんな

さらに後日、もうめんどくさいので少しでも家から近い世田谷図書館へ。

和服で行こう世田谷ボロ市【歴史編】

かなり頼り無い、けど郷土資料館がまとめた本が置いてありました。

以下にざっくりとまとめておきます。

分かりやすい位置関係\(^o^)/

和服で行こう世田谷ボロ市【歴史編】

 

この市の始まりは安土桃山時代、400年以上昔になります。

世田谷は江戸から大山への参拝道であり、小田原と江戸の行き来にも利用された大山街道の宿町としても栄えていました。

ここに南関東の政治中心であった小田原城主、四代目後北条氏政が楽市を開いたのがボロ市の始まり。

これは有名な織田信長が楽市楽座令を発した少し後の事です。

 当初の開催日時は毎月6回も行われていたとの事、これが次の天下人、豊臣秀吉の時代なると小田原に100年良政を敷いたと伝わる北条氏は敗れ、さらに江戸時代に入れば交通の主流として参勤交代に東海道が使われ、賑わいも江戸へ江戸へと流れていく、世田谷の市は12月15日一回だけの開催となってしまいます。

これが現在の年明けにも開かれるようになるのは明治時代になって暦が太陽暦に定められたことによる。

どういうことかと言うと新暦は旧暦より1ヶ月~1ヶ月半進んでおり両方の年末に市開こうぜ、って事で現在の12月と1月の15日に開かれるようになります。

さらに少し経って15日の翌日にも残り物を売る人が増えたので、じゃあ16日にも開こうって事でようやく現在の形に落ち着きます。

ボロ市と言う名前が定着したのも此の頃。

他にも大山街道(国道246号)沿いにある地域の特産物なんかが出てきますが筆者の地元も登場していました。

 

さらに資料は代官屋敷で開催されている「ぼろ市の歴史」に展示されていると思うので興味があったら立ち寄ってみてください。

生きた歴史によって昔の事がちょっと身近に感じられるかもしれません。

たまには落ちないのもいいよね( ^ω^)

しかし長かった…読んでくださった方居りましたらありがとう、お疲れ様でした!

※この記事はGAGAZINEさんよりご寄稿いただいたものです

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