魅力的な絶望を描くデュ・モーリアの短編集『人形』
希望に満ちた物語を書くことができる作家は数多い。しかし魅力的な絶望を文章の形で表現できる作家はごく僅かである。1907年、英国ロンドン生まれの作家、ダフネ・デュ・モーリアはその稀有な人材なのだ。
デュ・モーリアの長篇における代表作『レベッカ』は、神経をざわめかせるような恐れと同時に、一度読んだら忘れられない美しさにも満ちた物語だった。このたび刊行された『人形』は、彼女の最初期の短篇を収めた作品集だ。表題作はデュ・モーリアが作家デビューする前の1928年に書かれたものである。わずか21歳で作家はこれを形にした。そう聞くと若書きのこなれてない作品を想像してしまいそうになるが、そんなことはない。どんな男にも心を開かず、自分の世界に閉じこもっている女性への狂おしい恋情を描いた内容であり、運命の女テーマの秀作といえる。ヒロインの名はレベッカ。デュ・モーリアは早い時期からこの名前に惹かれていたのだろうか。
すでに創元推理文庫からは『鳥』『いま見てはいけない』の2短篇集が刊行されている。それぞれの表題作はアルフレッド・ヒッチコック監督『鳥』、ニコラス・ローグ監督『赤い影』の原作になった短篇である。最新刊も併せて3冊揃い踏みとなったが、それぞれを通読して感じるのは、デュ・モーリアの作域の豊かさである。
『人形』の例を挙げてみる。巻頭の「東風」は、北大西洋上の孤絶した環境に存在する、セント・ヒルダ島の物語だ。人口わずか70人という島は外から訪れる者がほとんどなく、住民は時間の止まったような日々を送っている。そこにある日、船が入港してくるのである。突然の変化が島民たちの心に及ぼすものを荒々しいデッサンのようなタッチでデュ・モーリアは描いていく。すべてが終わったあとのあっけない幕切れは、いつまでも消えない残像を読者の心の眼に焼き付けていくだろう。
「東風」はある夫婦を中心にした話なのだが、端的に男女の関係を描いた作品も多い。恋文のやりとりだけで何があったかを読者に伝えてしまう「そして手紙は冷たくなった」、本心はそこにないのに口を開けば相手を傷つけてしまうカップルの話「性格の不一致」、いわゆるバカップル(をデュ・モーリアは「ふたりの頭は空っぽになり、鈍麻していた。そこに一貫した思考はまるでなかった」と書くのである。手厳しい!)が過ごした旧家旅行の顛末を描く「ウィークエンド」など、コメディタッチのものがまずある。「満たされぬ欲求」もその1つで、О・ヘンリーが書きそうな主題のデュ・モーリア版変奏といった雰囲気だ。
もう1グループは笑いよりも苦さの勝ったものである。「飼い猫」は、潔癖症の女性読者なら身震いして逃げ出したくなるような内容だ。寄宿学校を卒業した娘は、姉妹のように仲が良かった母との幸せな生活が再開されることを期待して帰郷してくる。しかし、再開した母はなぜかよそよそしかった。その原因を作り出したのが何者か、読者にはわかっているのに主人公には理解できていない、という状態がしばらく続き、もどかしい気持ちにさせられる。子供から大人の世界へと踏み出す瞬間を皮肉極まりない筆致で描いた作品である。その他、悪い環境の中で身を落とした女性の語りが哀切な感傷を誘う「ピカデリー」、静かに訪れる絶望というデュ・モーリアの主題をそのまま物語にしたような「痛みはいつか消える」など、心を鷲掴みにされる作品が並んでいる。「幸福の谷」は「人形」とは別の意味で『レベッカ』を連想させる内容だ。
ミステリーファンへのお薦めは、とある高潔な精神の持ち主の牧師を主人公にした「いざ、父なる神に」と続篇「天使ら、大天使らとともに」、そして自分はいつも不幸な役回りばかり演じることになる、と嘆く女性の物語「笠貝」である。デュ・モーリアの辛辣な視線が心地よく、短編ミステリーの味わいを満喫できる。前者の2作を読んで、私はパトリシア・ハイスミスのリプリーものを連想した。ああ、つまりそういう短篇なんですよ。
(杉江松恋)
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