警戒区域に近い仮設住宅の新年「少なくとも2、3年はこの生活が続く」

南相馬市の公園内に作られた仮設住宅。1世帯あたり4畳半2部屋。

 被災地の仮設住宅で新年を迎えた人たちはどのような思いでいるのだろうか。福島第1原発事故で故郷が「警戒区域」に指定されているため、福島県南相馬市原町の仮設住宅で新年を迎える男性に2011年12月30日、話を聞いた。現在70歳のこの男性は、警戒区域の指定が解除されたとしても除染には相当の時間が必要だとみている。

■「ストレスが尋常じゃない避難所よりは楽」

 南相馬市は、原発事故の影響で市の約3分の1が「警戒区域」に指定されている。男性の自宅は警戒区域内にあるため、境界線から約3kmの位置にあり同市では最も原発に近い仮設住宅で暮らす。男性は11月末まで入っていた避難所のある福島市と比べ「南相馬市は暖かい」と話し、「(多数の子供が市外に移住したため)残ったのはジジババばかりだけど、気楽でいい」と笑った。震災発生直後に入った避難所では、別の場所から避難してきた知らない人と隣あって生活するため、「ストレスが凄かった」という。一方、この仮設住宅にはおもに警戒区域内の同一地区に暮らしていた人たちが入っており、顔なじみが多い。

「ここで近所の人と再会したときの第一声は、『避難所は頭がおかしくなりそうだった』。皆も『そうそう』って同じことを言っていたよ」

と男性は話す。

警戒区域への境界線は年末年始も厳重に警備されていた

 男性らは結局、この仮設住宅で新年を迎えることとなった。政府は今年4月をメドに警戒区域が解除するとしているが、男性は「除染が進まないことには家に帰れない」としてそれほど楽観視はしていない。

「少なくともあと2、3年はここで暮らすことになる」

と男性。「この仮設住宅は新しい分、窓ガラスが二重になっていて防寒対策が十分。普通のアパートと同じように暮らせる」と、故郷に戻れる日を気長に待つ構えだ。

(土井大輔)

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