ベルギーの幻想アンソロジー、戦慄の怪奇譚から幽暗な超現実まで
世界中それぞれの場所なりの幻想の地脈があるのだろう。ただ、それらがひとしく知られているわけではない。東雅夫さんが本書に寄せた序文でふれているように「幻想と怪奇のベルギー」はこれまで断続的に紹介されていたものの、一冊のアンソロジーとして日本の読者へ届けられるのははじめてだ。巻末に「作家・作品紹介」が付され、同国の現代幻想文学事情が概観できる。素晴らしい企画だ。
収録されている小説は9篇。並びのとおりに順番に読むのもよいが、ジャンル小説の読者にとって取っつきやすいのはトーマス・オーウェン「不起訴」あたりだろう。道を歩いていて何者かに後をつけられている気配を感じるが、振りむいても誰もいない。ストーリーは怪奇小説から異常心理小説へと転調するのだが、生々しい強度があって、実体的な怪奇現象が起こっている感覚が拭えない。「ツゲの香りがする霧」や「それは呼吸をしている」といった表現が大きな効果をあげている。
オーウェンは本書に収録された作家のうちでも、幻想小説ファンにとってなじみ深い名前だろう。『黒い玉』と『青い蛇』という2冊の短篇集が邦訳されている。オーウェンと同じく、あるいは彼以上に知られているのがジャン・レー(レイという表記もある)だ。とくに長篇『マルペルチュイ』は土着的で血なまぐさい神話世界が立ちあがるダークファンタジイの傑作だ。
本書に収録された「夜の主」も、グロテスクな迫力に満ちている。中核にあるのは地獄の力を呼びだす秘術だが、視点の取りかたや構成が非常に凝っており、読み進むにつれて遠近感が歪んでいく。これは小手先の技巧ではなく、主人公の記憶と深く関わっているゆえだ。初老の独身男性テオデュール・ノット氏は、毎晩のように自宅を訪ねてくる友人イポリット氏とチェッカーをするだけの寂しい暮らしをしている。ノット氏の両親は上の階をスダン船長に転貸ししていたが、船長が死んだのちもその部屋は一切合切の家具もそのままに残された。両親も亡くなったいま、日曜日になるとノット氏はスダン船長の部屋で記憶に耽る。歳上のマリー嬢に恋していた少年時代……。あるとき、部屋で見つけた一冊の赤い本がノット氏を半世紀前の時間へと引き戻す。
「失われた時を求めて」みたいな展開だが、たんに過去を辿り直しているのではない。少年時代、学校からの帰り道を同級生のイポリットと歩いているのだが、ありふれた日常のなかにちょくちょく幻視が紛れこむのだ。イポリットが言う「君は次元を超えたせいで、感覚が狂っているんだな」。ノット氏(いまはテオデュール少年だが)は懐かしいマリー嬢に再会するのだが、やがて大病にかかって記憶に混乱をきたす。どこまでが夢で、どこからが実際に起こったことか判然としない。ただひとつ確かなのは、この少年時代に彼はあの赤い本と出会っていたことだ。
いっぽう、現在(ノット氏が初老でいる世界)では、猟奇的な殺人事件が連続して発生していた。ノット氏はいったい赤い本から何を解き放ってしまったのだろうか? クライマックスでノット氏は、自分が見すごしてきた過去の秘密と向きあわうことになる。彼に真実を告げるマリー嬢の姿が感動的だ。
マルセル・ティリー「劇中劇」も、ある意味、過去を呼び戻す物語だ。死んだ青年ピエールが、恋人のナタリーにむかって語りかける。しかし、彼は霊的な存在ではない。ナタリーがピエールが生きていた一瞬一瞬を懸命に思い起こし、寄せ集めて完全な身体をつくったのだ。テクノロジーによるものではないが、こうした方法での人格再構成は現代SFの発想と通じるものがある。
ジョルジュ・ローデンバック「時計」は、時計コレクターのヴァン・ユルストの物語だ。彼は正確な時間にこだわりつづけるが、もちろん、すべての時計が寸分違わずに同期できるはずがない。ヴァン・ユルストが唯一、時計以外に愛着を示したのは可憐な娘ゴドリエーヴだ。彼の情熱に時計たちが呼応して……。SFの設定で現代風に書き直せば、梶尾真治ばりのロマンチック作品になりそうだ。
ミシェル・ド・ゲルドロード「魔術」では、逃避行をつづけている語り手がたどりついた港町で奇妙な体験をする。余計な説明なしに、夢想のような情景がつぎつぎにあらわれていき、まるでポール・デルヴォーのシュルレアリスム絵画のなかにいるようだ。
岩本和子さんの解説「ベルギー研究会と本書の成立経緯について」によれば、今後もベルギーの幻想小説の翻訳紹介を継続されるとのこと。大いに期待したい。
(牧眞司)
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