理科は将来役に立つ!理科を高校時代に学ぶ重要性について
理科に対する興味は年齢が上がるにつれ低下しがち
うちの塾では年長さんから大学受験生まで在籍していますが、理科ほど学年による好き嫌いの差がでる教科はありません。
小学の中ごろまでの生徒達は、ほぼ例外なく理科が大好き。
特に「実験」の時の子供たちの反応と言ったらもう「ヒャッハー!」状態です。
ある実験の終了時など、年長の女の子が感極まってしまい、「先生、本当に面白かったです!これからもぜひ実験を見せて下さい!」とちょっと頬を紅潮させながら、深々と頭を下げて帰って行きました。これは私の方が感極まってしまった出来事でした。
しかし・・・・残念なことに、この理科に対する彼らの気持ちは年齢が上になるにつれて急激に薄れ、高校生くらいになると、理科に興味を持たない生徒やはっきり「嫌い」になる生徒が増えていきます。
当塾では屋上に天文台が設置してあり、天気の良い夜などは「今日は月のクレーターが良く見えるぞ」「土星の環がくっきり見える!」と生徒に声掛けをしたりするのですが、高校生で屋上まで上がってくる生徒はほぼ皆無な状態です。
「テレビで見たことある。」の一言で終了です。
さて、こんな状況を打破すべく、今回は「理科は将来役に立つ!理科を高校時代に学ぶ重要性について」書いて行きましょう。
理科の実学としての重要性
まず、「理科」の「実学」としての重要性です。
たとえば、体の不調を感じた時、医学の元となる「生物」の知識なしでは、自分の体を推し量ることは不可能です。
また、いきなり大地震や突風などの気象変化、いわゆる「天災」に見舞われた時、「地学」の知識があるかどうかが、生死を大きく分けることはままあります。
地震から起こる津波や、気温の急激な変化からの突風、集中豪雨など、学校で学ぶ地学の知識である程度予測可能なのです。
また、例えば、日常の「料理」などは、実は、複雑な化合物、化学変化の集大成とも言えます。
たとえば、塩一つとっても「塩化ナトリウム」という無機化合物です。これが、うまみ成分の有機化合物であるグルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸等とのハーモニーを奏で、料理の味の根幹になるのです。
「料理は化学」というのもうなずける話で、バックに化学系の知識があるのとないのとでは、料理の上達にも差が出てきてしまうでしょう。
思考訓練の場としての理科の重要性
さて、次に「思考訓練の場」としての「理科」の重要性についてお話ししましょう。
「科学」の本質の一つは、自然界に存在する「モノ」「事象」から、観察・実験を通じて「分析」を行い、そこから「関連性」や「規則性」を見つけ、ひいては一般化して「法則」を導き出す事だと思っています。(もちろん、その全過程において、客観性、論理性を貫くのは当然の事です。)
「理科」は、その「科学的手法」を身に着ける「ゆりかご」のような役割をはたしています。
ところで皆さん、「PDCAサイクル」というのを聞いた事があるでしょうか?
「Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)」の一連のサイクルのことで、社会で永続的に事業を存続させて行くためには必要不可欠な行動様式の事です。
まず、(計画)を立て、その計画どおり(実行)をし、結果を(評価)して、これから(改善点)を見つけ、また(再計画)を立てる。
このサイクルを行うことで、その事業は常に発展を続けていくことが出来ます。
社会で成功するための必勝パターンと言って良いでしょう。
しかし、この「PDCAサイクル」何かと似ていませんか?
そう、実は、上記の「科学的手法」そのものなのです。
科学的手法も、まず研究目的から(計画)を立て、観察・実験(実行)して、分析(評価)をし、法則を見出す。
この法則を見出すのが(改善)に近い。
そう、社会に出てからの必勝パターンである「PDCAサイクル」を若いうちから身に着けるには、理科という教科が最適なのです。
人間教育の場としての理科の重要性
そして最後に・・・・「人間教育の場」としての「理科」についてお話します。
文科系教科の国語も社会も英語も、その対象は、みんな人の社会から生まれて来たものです。
言語も歴史も政治も、人が居てこそ成り立つのです。
しかし、理科は違う。
物理も生物も化学も地学も、自然の営みによってできたものが対象です。
人類が存在するずっと以前から物質も宇宙も地球も生命も存在していましたし、人類がいなくなった後もずっと存続していくでしょう。
文科系が人間中心の「相対軸」の教科なら理科系は自然中心の「絶対軸」の教科とも言えるでしょう。
これはもちろんどちらが大事、という事ではありません。
どちらも欠かす事のできない重要なものだと思います。
一昨日、冬山で一晩星を見ておりました。
凍てつく夜でしたが降るような満天の星空を堪能できました。
そこでふと考えたのです。
「こんなに寒いのに、誰も来ないこの山奥で、なぜ僕は一人で星を見ているのだろう。」
たぶん、それは圧倒的で神秘的な宇宙に魅かれて、そう「畏敬の念」を抱きに来たのだろうと思いました。
宇宙も生物も、万物をつかさどる物理法則も何もかも、人にとってはまだまだ未知で圧倒的な存在です。
そういうものを対象にした理科というのは、本来おごり高ぶりがちな人間を謙虚にしてくれるような気がするのです。
理科に対する興味が薄れがちになってきた高校生のみなさん、どうぞ、今度天体望遠鏡や顕微鏡をのぞいた時、不思議な化学変化を目の当たりにした時、難解な物理法則に取り組んだ時、その深淵なる向こう側をちょっとだけ想像してみてください。
きっと、心が広くなり、少し謙虚になれるかもしれませんよ。
(北川 実/理数専科塾塾長)
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