“お腹を痛めて産んだからかわいい”は思い込み!? あの文豪も100年前に経験した「無痛分娩」
本日12月7日は、与謝野晶子の誕生日。晶子と言えば、歌集『みだれ髪』や『君死にたまふことなかれ』で知られる歌人ですが、日本で初めて「無痛分娩」を経験したのが彼女であることをご存知でしょうか?
順天堂大学医学部附属順天堂医院の麻酔科医・産科医らが執筆した書籍『順天堂式無痛分娩Q&A50』によれば、1916年に晶子が順天堂にて無痛分娩で産んだ記録が残されており、これが日本初の無痛分娩の記録と伝えられています。
夫の与謝野鉄幹との間に、6男6女・計12人も出産している晶子ですが、双胎だった4女の出産時には非常な難産だったために、双子のうちの1人を死産した経験がありました。その後に5男・健を妊娠した時は38歳と高齢出産の部類に入っていたため、この出産に大きな不安を感じていたと言います。
そこで晶子が選択したのが、順天堂医院の近江湖雄三医師がドイツから持ち帰った最新式の分娩法、無痛分娩(※当時は「無痛安産」と表現)でした。近江医師の施術により、麻酔を使用して出産した経緯を、晶子は以下のように語っています。
「私は人間の力で人間の苦痛を除き得る確信を得たことが近代人の誇るべき自覚の一つだと思つて居る。従って私は平生から、避け得らるべき肉体の苦痛を避けずに居るのは無益な辛抱だと考へて居る。私は近江さんのご厚意に由って私の理想を私の今度の産に実現し得えたのが嬉しい」(1917年刊行『我等何を求むるか』収録、<無痛安産を経験して>より)
さらに、今までの出産よりも痛みが各段に軽減されたことを「苦痛はこれまでの産の五分の一」と述べ、「苦痛が少かつたので疲労も少く、私は十日目にもう筆を執ることが出来た」(同書より)と、産後の回復も早かったことを絶賛しています。
晶子の無痛分娩からちょうど100年後の現在。本書によれば、アメリカやフランスでは、硬膜外麻酔(こうまくがいますい)を用いた無痛分娩が一般的になっており、妊婦の80%以上が無痛分娩を選択します。しかし、日本では麻酔科医が不足していることもあり、無痛分娩が可能な病院は少ないのが現状。
本書では、普及が進まない背景には、日本には”お腹を痛めて産んだ子”という表現が象徴するように「分娩時の痛みを乗り越えて赤ちゃんを産むことを美徳とする風潮やそのことがより良好な母児関係を築くという思い込みがあること」(本書より)も指摘しています。
もちろん、無痛分娩にはメリットばかりではなく、陣痛が弱まるために吸引分娩や鉗子分娩が増加するなどのデメリットも存在しますが、本書ではそういったリスクについても、医師が解説。妊婦自身が主体的に、満足できる出産を選ぶための最適のガイド本となっています。
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