SF界の巨匠 小松左京氏 宇宙へ旅立つ

今年7月に死去したSF界の巨星、小松左京氏を追悼する『小松左京を宇宙へ送り出す会』が、11月29日、ホテルニューオータニの鳳凰の間で行われた。

7月の葬儀は近親者のみで行われたため、追悼会には出版、映像、芸能、文化学術など多方面から小松氏と親交のあった500人近くの人々が集まった。笑顔で送り出そうという呼びかけ人の言葉通り、にぎやかで笑いに満ちたなごやかな会となった。

宇宙へ送り出す会のメインイベントは、映画『日本沈没』の樋口監督の短編映像。
スクリーンに、小松氏の顔を描いたロケットが映ると、会場内から笑いと大きな拍手が起きた。毛利衛さんのカウントダウンで、小松左京ロケットが宇宙に飛び出す。拍手と笑顔に見送られ、やがてロケットは宇宙の深淵へ。銀河系を飛び出し、宇宙定数が浮かぶ空間を越え、果てしなき流れの果てへ飛んでいく。

次の瞬間、場内一杯に星がきらめいた。

世界屈指の性能を誇るプラネタリウム投影機『メガスター』で、会場内に満天の星空が映し出されたのだ。オーロラのように美しい星雲が揺らめくなか、松尾貴史氏が、小松作品の中のセリフを読みあげる。
「俺は“死ぬ”んじゃない!」
この時を予期したかのようなセリフに、ぐっとこみあげてくる。
小松氏は、宇宙へ逝ったのだ。
その後、献杯が行われ、参加者はそれぞれに小松氏を偲(しの)んでにぎやかに歓談の時を過ごした。
酒好きでヘビースモーカーだった小松氏に、献杯だけでなく献煙もということで、あちこちで紫煙が上がっていた。

印象的だったのは、会が終わってからのこと。すべてのプログラムが終わり、終了となっても、誰も帰ろうとしない。通常のパーテイは、終わる前から波が引くように人が去っていく。この追悼の会は、皆、その場に立ったまま、なおその場を去りがたい何かを感じていた。
「寂しがりだった小松も、喜んでいることと思います」
という事務局 乙部氏の言葉に、にこやかに笑う小松氏が見えるような気がした。

人は亡くなっても、無くならない。小松左京氏が存在した形が、多くの人の心の中に、作品の中に、宇宙空間に、……そして今ここにも、残っている。
巨星は、最後にこんな言葉を残して、宇宙へ旅立っていった。
「僕は日本人と、日本人の未来を信じている」

※この記事はガジェ通ウェブライターの「キリヤ」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?
福島県生まれ。高校中退後、上京。
アルバイト生活中にタロット占いと西洋占星術を独学で習得。のちにヘイズ中村氏に師事し、20世紀最大の魔術師クロウリーの秘儀を学ぶ。
雑誌やウエブの占いライターをしながら小説を書き、
1998年児童文学作品でデビュー。
2000年、SF小説で小松左京賞努力賞受賞。
現在も占い師とライターの兼業。

日本児童文学者協会会員。日本臨床心理学会会員。

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