『千日の瑠璃』21日目——私はボートだ。(丸山健二小説連載)

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私はボートだ。

水のほかに大量の虚無を満々と湛えるうたかた湖の面を、波のまにまに漂って、独り感傷に浸るボートだ。こうしてすでに四半世紀ものあいださすらっているというのに、私のことを知っている者はほとんどいない。半世紀にも亘って貸しボート屋を営んでいる男ですら気づいていないのだ。それもそのはずで、私は日中と月のある晩は水鳥しか寄りつけない葦の深い茂みに潜んで光をやり過し、闇夜に限って徘徊していたのだから。

今夜私は、久しぶりに岸を離れた。私は沖へ出て、暖かい液体と冷たい気体のはざまに身を置き、無に通じる漆黒の空間を享受しながら、ひたすら物思いに耽った。私の寿命はあと僅かだった。いつ浸水してもおかしくないほど底の板が腐っていた。夜が白むまでには湖底に横たわるかもしれなかった。そうなる前にぜひともやっておかなくてはならないことがひとつあった。

桟橋に佇んで、私にじっと眼をとめてくれる少年。誰にわからなくても、世一の狂おしいまでの気持ちは、私には理解できた。あれは間違いなく救いを求める眼ざしだった。何とかしてやりたかった。私にしてやれるのは、世一と共に水中へ没し、あちこちから安らぎの清水が湧く砂地にそって横たわって、水よりも冷たい骸と化すことだった。ところが今夜の世一は、私が差し出す死の優待券には眼もくれないで、元気いっぱいに通り過ぎた。
(10・21・金)

丸山健二×ガジェット通信

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