「マイナー」部門こそチャンスの宝庫 あきらめずに成功をつかめ!
皆さんはじめまして、Noriと申します。現在外資系のソフトウェア企業で管理部門を率いています。この記事では、「マイナー」部門にこそキャリア構築のチャンスがあることを、私の経験に触れながらお話ししたいと思います。
若い人からキャリア相談をよく受けるのですが、多くの人が「経営に関わる仕事がしたいです」とか「戦略に関わる仕事がしたいです」と夢を語ります。この気持ちはよくわかります。誰もが本音では、人からカッコよく思われる、目立つ仕事がしたいものですし、私も若い頃はそう思っていました。つまり、誰もが憧れる「花形」になりたいと考えていたわけです。
ただ、実際の私のキャリアは、そのほとんどが「マイナー」な部署や役割でした。でも、そのおかげでとても貴重な経験ができましたし、その経験をもとに多くのチャンスをつかむことができました。
では、「マイナー」の何がそんなに良いのでしょうか?
マイナーにはチャンスがある
最初のポイントは「マイナー」にはチャンスがたくさんあるということです。
私は新卒で日系のメーカーに入社し、配属は新規事業部門の海外営業部でした。「新規事業の海外営業部」というとカッコよく聞こえるかもしれませんが、実際は、海外の仕事を一度もしたことがない素人が中心の「マイナー」部門。「花形」の部門でなかなか活躍できていなかったり、爪はじきにされていたりした人が4人寄せ集められていました。
でも、だからこそ新卒の私にはチャンスが多くありました。アメリカの大学へ交換留学に行っていた、というだけで「すごい!」となりましたし、入社早々担当地域も持たされました。その担当地域は「マイナー」な中東、東南アジア。これも、私が大学時代にバックパッカーとして中東や東南アジアをふらふらと旅行していたと話したら「それはいい、ちょうど担当がいなかったんだよ」といって決まったというユルさでした。
けれど、そのユルさのおかげで新卒1年目の終わりには、アラブ首長国連邦のドバイで開かれた中東代理店会議で、合計50名近くの代理店幹部やマネージャーの前でプレゼンをする機会を得られましたし、百戦錬磨の中東代理店の幹部たちに対し担当営業として商談をする経験もできました。
これは「花形」部門ではとても得られない機会でした。「花形」部門に所属していた同期は、2年目になっても先輩社員の補助役に過ぎず、議事録やデータの整理などの仕事が主で、一人で海外出張に行くという機会は当分なさそうでした。「花形」事業は既に仕組みがきちんとできあがっており、それを担う管理職や中堅メンバーもその仕組みに習熟しています。つまり、新人がそこに割って入る余地は限られているわけです。
ここがポイントです。「花形」部門にはスターも多く、新人や後から加わった人が活躍するチャンスはどうしても限られます。一方で「マイナー」部門は必ずしもスターばかりでないことが多く、裏返して言えば自分が主体的に活躍できるチャンスがそこかしこにあります。このチャンスを活かせば「主体的に、責任者として仕事をする」という経験を積むことができるのです。
日本企業では、過去に子会社に飛ばされた経験がある人や、生産管理などの「マイナー」な部門でキャリアを積んできた人が社長になることが実は多いです。これは、まさに上に述べた理由からです。問題の多い事業を抱えた子会社の経営者や部門長として様々な難題の矢面に立ったり、製造業における生産管理部門のように、一見地味だけれど実際は経営の根幹を担う部門で深い経験を積んだりすることで、経営者に必要な主体性や胆力、知識を得ることができるわけです。
自分だけの動機をきちんと持つ
どうでしょうか。「マイナー」も悪くないなと思ってもらえたでしょうか。一方で、ただ「マイナー」な場所にいればいいわけではない、というのも大切なポイントです。そこでの経験を意味あるものにするには、自分の中に強い「動機」を持てているか、が大切です。
例えば、事業が不振で、生産性を上げるための仕組みもなく、やる気のない人ばかりの「マイナー」部門にあなたがいるとします。そこにいて、ただそこのやり方を疑問もなく受け入れて毎日仕事をしているとしたら、成長の機会や新たなチャンスをつかむことができるでしょうか? 当然できません。大切なのは、自分がどういった環境にいても、少しでも前に進もうと努力したり、現状に疑問を抱いたり、それを打破しようとする主体性や強さを持つことです。そのためには、あなたの中に「自分だけの動機」をきちんと持てることが重要になってきます。
この点について、また私の経験を話したいと思います。
私は新卒で入ったメーカーから外資系IT企業のコンサルティング部門に転職しました。メーカーの海外営業からコンサルタントへ。全く畑の違う領域のスキルが求められ、はっきりと言えば私は使えないコンサルタントでした。毎日顧客やプロジェクトマネージャーから怒鳴られたり、厳しい指摘を受けたりする日々が続きました。そして、そのままコンサルタントとしてはうまくやることができず、私は社内の「マイナー」な間接部門に飛ばされたのです。
飛ばされた間接部門は、コンサルタントやエンジニアの稼働率やアサインメントを管理する部門で、管理を嫌う現場からは疎んじられていました。実際にそこにいた人は、私のように現場で仕事ができなかった人や、病気などを理由に激しい仕事ができない人が大半でした。
でも、結果から言うと、そこの部門に所属したことが今の私のキャリアを作ってくれました。苦しいことも多かったですが、2つの強い「動機」が私を支えてくれたのです。
1つ目は「怒り」です。その部門にいるというだけであからさまにこちらを見下したり、無理難題を押しつけてきたりする現場の人への怒り、そして同じくらい大きかったのは、全然仕事ができない自分への怒り、でした。この2つの「怒り」が、どんなに苦しい場面に追いつめられても、人から何を言われようとも、私を前に進めてくれました。
2つ目は「知的好奇心」です。所属した部門は、煎じ詰めれば、顧客から受注したプロジェクトに、最適なスキルを持ったコンサルタントやエンジニアを繋ぐ仕事でした。この「繋ぐ」部分がうまくいかなければ、せっかく仕事を受注しても、もしくは、スキルを持った人がいても、売上や利益は思ったように上がりません。つまり、この部門は経営の根幹の部分を支える機能を持っていたのです。
私はこのことに気づいて興奮しました。コンサルタントへ転職した理由の1つは、経営をもっと深く学べるのでは、という知的好奇心からでした。昔から経営学や経済学の本が好きでしたし、経営をもっと理解したい、というのは私が仕事する1つの大きなモチベーションでした。コンサルタントとしては失敗したけれど、思いも掛けず、飛ばされたはずの間接部門で経営の奥深さを学ぶことができるのです。これは、私がこの仕事にのめり込んでいく大きな「動機」になりました。
この2つの動機が私を支えてくれたお陰で、徐々に成果を出せるようになり、結果として上海駐在のチャンスを与えられましたし、マネージャーとして経営陣の意思決定を支える仕事に深く入り込むこともできました。
* *
今の私は、昔からやりたかった経営を動かす仕事ができています。
キャリアは長期戦です。そして、常に「自分のため」にあります。私もまだそのキャリア構築の途中ですし、これからも「マイナー」になることを恐れず、そして自分の核となる「動機」を持って、歩んでいければといつも考えています。
著者:Nori (id:nori76)
日系メーカー、外資系コンサル、外資系ソフトウェア企業を渡り歩いてきました。現在は、事業戦略構築から計数管理、中途採用まで幅広く「経営」の仕事をしています。はてなブログ「グローバル経営の極北」では、経営をテーマに、グローバル企業や日本企業の経営について多面的に扱っています。Twitter(@nori76)でもハイテク産業の動向や経営について発信しています。関連記事リンク(外部サイト)
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