ロボットの教養小説、SFを対象化するSF(みたいな小説)
ロデリックはミネトンカ大学のコンピュータ・サイエンス科で開発されたロボットだ。日本暮らしのぼくらは『鉄腕アトム』『鉄人28号』『ドラえもん』、あるいは「ボッコちゃん」などロボットの名前がそのまま題名になる作品になじんでいるけど、英米ではおそらくそれほど一般的ではない。アイザック・アシモフ&ロバート・シルヴァーバーグの『アンドリューNDR114』も、原題はThe Bicentennial Man(二百周年を迎えた男)だ。アシモフの名作短篇「ロビー」は現在流布している版ではRobbieだが、初出時は”Strange Playfellow”(奇妙な遊び仲間)だった。
スラデックが『ロデリック』という題名をつけたのは、おそらくロボットSFの流れではなく、ディケンズの『オリヴァー・トゥイスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』あたりの教養小説を意識してだろう。なにしろ副題が「または若き機械の教育」だ。
ロデリックは最初からできあがった存在としてあらわれるのではなく、人間の赤ん坊と同じように他人の言葉をまねてカタコトをしゃべる段階からはじまり、環境から情報を取りこんでだんだんと自我を形成していく。ロデリックの本体はロボットのボディではなく、自律的に学習するプログラムだ。
しかし、スラデックは身体性をないがしろにしているわけではない。ロデリックが他人とかかわっていくなかで避けられない問題が、ひとと違う身体である。ロデリックは人間のように劣等感や不遇感をかかえたりしないが、ほかの子どもと自分との差異を意識して素朴な疑問を抱く。また、養い親のパー・ウッドはロデリックにわざわざ触感に相当する機能を付加する。これによってロデリックは「内側から」自分の身体を意識せざるを得なくなる。「ぼくはこの痛いっていうのあんまり好きじゃないよ」と不満を漏らしても、「じきに馴れるよ、ロディー[ロデリックの愛称]。みんなそうなんだから。いや馴れないかもしれないが、ともかくはっきりしているのは、おまえに喧嘩をやめさせなきゃならないってことだ」とたしなめられてしまう。じつのところロデリックは喧嘩をしているのではなく、悪童どもからほぼ一方的に酷い目にあっているのだが。それまでは殴られても痛みを感じないから、とくに抵抗もしなかったのだ。
ちなみにロデリックは人間型ではなくひとめで機械とわかる外見だが、学校の教師たちはうたがいもせずに何かの障害でそうなっていると思いこむ。いっぽう、同じクラスの子どもたちはヘンな身体をしているヤツだからイジメてやれと考える。オトナもガキも他人の話なんてろくに聞いちゃいない。ロデリックが「ぼくには心臓がないんだ」と言っても、たちの悪いジョークくらいに受けとっている。
本当のところ、たちの悪いジョークを言っているのはロデリックではなく、むしろ人間なのだ。
そもそもロデリックが開発された経緯が笑える。ミネトンカ大学は名門校でもなんでもないが、降って湧いたようにNASAからのロボット開発の依頼が舞いこんだのだ。資金もたっぷり提供される。先方の担当者ストーンクラフトは「宇宙活動ロボットなので外見にはいっさいこだわりはない。だがホンモノの人間の脳味噌を持っていなきゃならない。それから絶対に機密だ」と強調する。ミネトンカ大学側のフォン博士は勢いこんでプロジェクトチームを発足させるが、難度の高いテーマに挑んだメンバーは次々に心身を病んで使いものにならなくなっていく。最後まで頼りになったのはダン・ゾンネンシャイン。彼がほぼ独力でロデリックの基本構造をつくりあげる。ダンは言う。「ロデリックは生きている。たしかに今は何もない。ボディもない。たんにコンテンツアドレス指定可能なメモリーがあるだけ。その気になれば一瞬で消してしまえる—-でも彼は生きているんだ。ぼくと同じくらいリアルなんだ」
しかし、この段階でバカげた事実が発覚する。NASAからの依頼なんて大嘘。すべてがストーンクラフトが政府資金を自分のポケットに入れるための口実だったのだ(その横領した金で戦闘機コレクションをまかなっていた!)。ミネトンカ大学に白羽の矢を立てたのは、コンピュータ会計システムが旧式で帳簿操作が容易だったからだ。なんという皮肉。旧式のシステムだったから、先鋭的なロボット開発を任されるとは!
開発依頼がフェイクだったとはいえ、まさに瓢箪から駒で、前代未聞のロボットが完成してしまう。しかし、政府筋が公金横領がおこなわれたことを隠蔽したため、ロデリック計画は宙に浮いてしまう。現時点ではまだ赤ん坊の状態のロデリックだが、もう大学で育てることもできない。まにあわせのボディに搭載され、冷たい世間へ放りだされる。
生まれたばかりの子をなんて酷い! ロデリック可哀想!
—-と反射的に思ってしまうけど、ふと立ちどまって考えるとそれは勝手な感情移入かもしれない。ぼくたちはロボットを人格と見なすことに慣れているせいで、人間の子どもと同じようにとらえてしまう。天馬博士の息子トビオの身代わりとしてつくられたアトムとは違い、ロデリックには人間的な感情などないのに。
スラデックはかなりドライにロデリックの個性を造型している。自律的に学習するシステムなのでしだいに人間的なふるまいやコミュニケーションを身につけていくものの、合理的に思考しすぎるがゆえに情緒的な機微までは内化できない。そして、冷静沈着なロデリックがいるために、人間の愚かさや感情任せの行動が対照的に浮きぼりになってしまう。
その滑稽さといったら! 物語のそこかしこにスラデックのひねくれた皮肉がちりばめられている。たとえばミネトンカ大学には「入門占星術」なんてアヤしげな講義がある。担当のフレッド・マクガフィー博士はホロスコープは手書きにかぎるとの信念の持ち主だが、学生たちは言うことを聞かずコンピュータで課題をこなす。マクガフィー先生はすっかりおかんむりだ。
大学を追いだされたロデリックの最初の引き受け手になったハンクもピントはずれの人物だ。彼はフリー・ジャーナリストで、頭のなかには自分を売りこむことしかない。ワイドショーに出演して「ロデリックは本物の子どもみたいでメッツのファンです」とか言えば、視聴者に大受けだろうなどと考えている。ハンクの妻のインディカも粗野な性格で、階段から落ちたロデリックの頭部損傷をセロテープで処置している。
その後、ロデリックは温かい養い親パーとマーのウッド夫妻を得るのだが、ここでもひと悶着ふた悶着。何かの機械と間違えられて持ちにげ(誘拐?)されたり、インチキ占いの道具にされたり……。パーとマーが走りまわってくれたおかげでロデリックは彼らの元へ戻ることができたのだが、養子の申請は法的に認められない。ロデリックが学校へ行けば、教師もクラスメイトもとんちんかんな扱いをする。まあ、おかげで人間の子どもと見なされ、いちおうはクラスの最底辺に居場所が得られるのだが。
ロデリックがあまり突飛なことを口にするので(彼は事実を話しているのだが、まわりはそうは受けとらない)、おまえはSF小説の読みすぎと言われる。ロデリックが「それはなんなのかもわかりません」と答えると、これを貸してやろうと一冊の本が渡された。アシモフの『われはロボット』だ。ロデリックはその本を読みながら、いつになったら「われ」が出てくるんだろうといぶかしく思う。しかし、この小説の世界に「われ」がいるとしたら、おぞましいロボット工学の三原則に縛られて生きるなんてさぞかし……。
もちろん、ロデリックには三原則など実装されていない。それどころか、ロデリックは三原則が現実的に機能しないことを喝破してしまうのだ。『ロデリック』という作品は外形的にSFだけれど、同時にアシモフ以降のロボットSFの系譜、さらにはSFというジャンルそのものを対象化する作品でもある。
物語の終盤、ロデリックは自分の開発の中心人物(「生みの親」といっても過言ではない)ダン・ゾンネンシャインの出自を知る。彼もロデリックと同様、養子として育てられた。そして子どものころのダンが大きな影響を受けたのは、養い親が屋根裏にしまっていたパルプ雑誌だった。その表紙に描かれていたのは、高いガラスの塔、そのまわりをとりまくサナダムシのような道路、そこを走る不思議なかたちをした高性能自動車。上空にはヘリコプターや銀色のロケット。どんな人間もみんなビニールの服を着て、食べるのはビタミン剤と特別な合成食品。その夢想がめぐりめぐってロデリックが生みだされたわけだ。しかし、パルプ雑誌に描かれた未来なんてどこにもない。まあ、どんな時代になろうと、人間がこれじゃしょうがない。
さて、ロデリックの修行時代も本書ではまだなかば。このあと、いよいよ社会の荒波が待っており、それは続篇Roderick at Randomで語られるそうだ。訳者の柳下さんによれば「可能ならば紹介したい」とのこと。期して待ちたい。
(牧眞司)
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