餓死とギロチン ~水木しげる先生の亡くなった日~

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漫画家の水木しげる先生が亡くなられた本日11月30日、折しも私は京極夏彦先生が行う一夜限りの「ヒトでなし入門講座」に参加することになっていた。“『ヒトでなし』刊行記念 京極夏彦「ヒトでなしのススメ」”というイベントだ。学生時代から20年来のファンである京極先生のサインが頂ける貴重な機会と感じてチケットを予約したのだが、この日がそんな大変なことになろうとは思ってもみなかった。
何か言及があるのかなと考えつつそんな事を予測するのも差し出がましく思いながら神楽坂に向かった。
神楽坂ラカグは新潮社が出版や作品に関するイベントをしばしば行う建物で、ドナルド・キーン先生のイベントから続いて二回目の来訪だった。

いざ会が始まってみると京極先生は「こんにちは」から始まるご挨拶ののちに、「ご存知の方もいることでしょうが非常に悲しい大変なことが起きまして、でも皆さんは予約された時点ではこんなことは予測していなかったわけですからその話はなかったことにしましょう」と前置きされた。
けれど会がすすむうちに「ヒトでなし」というタイトルの話になり京極先生は「ヒトでなし」をこう定義づけた。よくけだものだとか畜生というがけものというものは悪いことはしない、と。悪いことをするのは人間なので「ヒトでなし」というのは実は天の道をいく存在だというようなお話をされた。それから水木先生のことに話が及び、(ここで話しても)もういいんです、あの人も「ヒトでなし」だったんだからとおっしゃられた。
これはもちろんけなしているのではないのです。京極先生独特の敬愛の表現です。天をゆくという意味の「ヒトでなし」という京極先生の水木しげる先生への餞の言葉に私は胸打たれました。
永井一郎さんの葬儀で水木先生が献杯の音頭をとられた折に『「何で集められたのかわからないが何だかみんなへんな顔をしているな。乾杯!」…って言ったんですからね、あのヒト』と続けられた。会場は笑いに沸いたのだが、何だかとても水木先生らしいエピソードだなあと感じた。確かに葬儀で乾杯! と言っちゃうなんてヒトでなしだ。
けれど、これっていい意味での「ヒトでなし」ではないだろうか?
「何で集められたのかわからないが」というのは死んだくらいで大騒ぎするな、いずれヒトはみんな死ぬのだからとう考えが底にあるのではないだろうか。けれどもお葬式で「乾杯」だなんて確かに水木先生でなければ許されないようなふるまいだ。けれども、それをできるくらい、水木先生はさまざまな生き死にを存じていてご自身もその瀬戸際に立ったことがあったのだ。だから「ヒトでなし」であることができる。
そしてその逸話を披露して笑いにしてしまえる京極先生のふるまいもよく考えたらものすごいことなのだけれども、それ自体が水木先生への「ヒトでなし」の弟子としての礼儀としか思えないようなことだ。先生はさみしげにこんな大変な日によりによって「ヒトでなし」なんてタイトルの会を開いてしまっていることについて、これも因果応報かななんて仰られていた。そうだろうか。この師匠にしてこの弟子ありといった感じで私は非常に感動したし水木先生も笑ってくださるに相違ない。

その後は来場者やさまざまな大御所の作家からの質問に軽妙に回答していた京極先生だったが、後半で筆者がアンケートで行った質問、作家になりたくて投稿しているけれどもなかなか実らないと言う半ば不躾なアドバイスを求める問いかけに応じてくださった。先生は「作家になりたくてなったわけではないのです」(京極先生は賞への応募ではなく持込で作家になった方です)と最初は話をされていたが、書き方について、京極先生はデビュー前に水木先生を知り書き方は水木先生から学んだとおっしゃった。水木先生はすぐ他人になまけものになりなさいとおっしゃっていたそうだ。それは休めと言うのではなくてそうすれば自分が楽ができるから、というこれもいかにも「ヒトでなし」らしいお話。
自分が好きなことに対して水木先生が働き者であったことを語られ、好きなことには必死にならないと餓死ですよ、ギロチンですよと、水木先生はすぐ好んで「餓死」「ギロチン」という言葉を用いたことをお話になっていた。本当にこんな日に人前にあらわれてお話ができる京極先生も存分な「ヒトでなし」なのだが、そしてこれを今記事にしている自分こそどうなのかとも思うが本日参加のイベントも「ヒトでなしのススメ」という題だったのでお許しくださることを願う。
京極先生は最後の質問「この十年で一番驚いたことはなんでしたか」という問いに(実はこれは大沢在昌先生の質問だったのですが)「ないですね」と即答され、予想外のことを予測しておくのが危機管理ですと前置きされた。その上で今日のことも驚きはしなかった、どこかでやはりいつかこういう日がくるという覚悟はしていたからと続けられた。何と言うかもう逆に愛しか感じられないお言葉でした。
最後にサインをいただいた折に、筆者の不躾で瑣末な問いかけへの返答に御礼申し上げたところ、「(まじめに回答しないで)すみません」とおっしゃられて恐縮してしまったのですが、先生はすぐに「どうでしたか、自分で小説を書いてみて面白かったですか」と問いかけてくださった。私はかなり慌ててしまい作品そのもののできばえのことかと取り違えて「自分では(作品は)面白いと思ったんですが」などととんちんかんな回答をしてしまった。今考えればあれは「書いたことが面白かったですか」という問いかけだったのだ。
京極先生、大変失礼いたしました。小説は何度落選しても書いていて面白いです。もちろん先生の作品を読むのも大好きですが自分で書いていくのも面白いです。今日先生の話を伺い、また書きたくなりました。いや、今この場を借りて訂正させていただいたところで、この記事が先生の目にふれることがあるのかわかりませんが…

水木しげる先生の好んだ「餓死」と「ギロチン」は切実に恐ろしくてだからこそ生きることを実感させるひしひしと響く言葉だ。そんな切実さを水木先生は乗りこえて長生きされたことを思うと、悲しみよりも確かに敬愛の念を覚える。京極先生のおっしゃった「ヒトでなし」というのは一種の聖人という意味でもあった。妖怪を愛した「ヒトでなし」の亡くなった日に「ヒトでなし」の一番弟子の先生のお話が伺えて、瀬戸際のユーモアというものを知っていた水木先生のことやその作品を改めて振り返りたく感じました。
この場を借りて哀悼の意を表します。

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