福島原発から”40キロ圏内”で働く会社員の友人に話を聞いた
20代後半の友人Mは、福島県いわき市のメディア関連の会社で、広告枠の営業として働いている。福島第一原発から40キロ圏内に家を買ったばかりだ。「毎日、レントゲンと同じぐらいの放射線を浴びてるんだよ」と寂しそうに笑う。いわゆる避難地域である30キロ圏内というわけではないので、補償金も貰えない。奥さんは妊娠中で、安全のために関東にある奥さんの実家に避難していて、今はMが一人でいわき市で働いている。彼は今後どうするつもりなのか、話を聞いた。
Mが住む辺りは、津波は大丈夫だったの?
「いわき市の中でも、海から遠い市街地は、レンガが落ちたとか、そのくらいの軽い被害で済んだんだ。むしろ、海沿いで被害が大きい双葉町や大熊町の人たちがいわき市に移住してきていて、賃貸物件の空きがなくなりつつあるらしい。車で一時間ぐらいだから、いわき市から、原発に通って仕事をしている人もいる。自分の従兄弟は、福島第一原発の四号機に行って仕事をしてるんだ。(僕→大丈夫なのか?)よくわからないけど、大丈夫みたい。二号機からの漏れ出る汚染水が、どのルートで海に出ているか調査するために、汚染水に色つける作業をしたんだよ」
そっちは、営業活動とか、できる状態なの?
「地震後は、うちのメディアはCMをストップしてる状態が続いてる、でもそれじゃあ会社が成り立たないから、CMの代わりに、『地元向けの応援メッセージを流しませんか』という広告枠を作って、売ってる。いわきに本社がある企業なんかは、そんなに多くはないけど、ぼちぼち営業を再開してきているところもあるから、そういうところに売りに行くんだよ。個人の飲食店とか、駅前の喫茶店とかで、買ってくれるところもある」
3.11の地震当日は、どうしてたんだ?会社にいたの?
「職場の打ち合わせスペースで、新番組の会議をしてたんだ。携帯電話の緊急地震速報が鳴って、直後に揺れが来た。尋常じゃない揺れ方だった。避難するためにドア開けながら、外を見てたけど、車はゆれる、電信柱はゆれる、看板も、揺れる。外を歩いていた女の人が立てずにしゃがみ込んでいて、自分もドアを抑えながら立ってられなくなった。後で知ったんだが、震度は6弱で、震度4以上の状態が190秒続いてたんだそうだ」
Mは、「カップラーメンを作れる時間だ」と言って笑った。
地震後は、何日から出社したの?
「何日からというか、当日からだよ。地震の直後から、うちの会社は災害用の緊急対応ということになって、営業活動を止めて、自分は地震の状況を調べることになった。地震直後、すぐに携帯が使えなくなって、家にいた嫁にも、連絡がつかなくなった。ネットは、その日の夜に駄目になった。繋がってるうちにと思って、ツイッターとか使いまくって、色んな情報を集めたよ。いわきの小名浜は、なぜか津波情報が入ってこなくて、絶対に津波は来てるはずなのに、って思ってたら、どうも一回目の津波で測定器が壊れてたらしい。
↓参考
http://www.youtube.com/watch?v=DxhoB3iApyM
朝方まで働いて、家に戻ったら、ライフラインが止まってて、給水所に水を汲みに行った。結局、11日に地震があって、12日,13日,14日と働いて、15日の夜に一度いわきを出て嫁の実家に避難するまでは、1日の休憩時間が4時間とか、それ以外はずっと働いてたんだよ。寝れても、1時間、2時間ぐらいだった。
地震の翌日か、翌々日だったかな、また揺れた。すごい音がして、また余震かと思ったら、会社近くの家が爆発したんだ。黒煙が上がってた。一般の戸建てが、爆発したんだよ。ガス漏れで。後で聞いた話だと、ガス屋が、ガス漏れチェックして、大丈夫だと言ってガスの元栓を開けた瞬間に、爆発したらしいんだ」
幸い、友人Mの顧客や、親しい知り合いで亡くなった方はいなかったらしい。
1度、いわきを出たんだよな、どうして戻ったんだ?僕だったら、絶対に戻らないぞ。偉いよ。
「偉い?偉いというよりも、ひとつは、食べてく為だよ。東京に行っても、結局、仕事なんて無いし。次にどうするにせよ、避難してきました、っていうだけだと、許されないと思った。お客さんも、会社の人も、苦しいはずなのに、なんか、自分だけ逃げました、っていうのも違う気がしたし。
14の日に、嫁は(嫁の実家に)先に逃がしたんだよ。原発の二号機がおかしくなって、その日の朝に、なにかあったら逃げれる準備をしてくれと伝えた。三号機がやばいとなって、嫁に、逃げるように言った。嫁は『あなたが会社から戻るまでここにいる』と言ったけど、でも行ったほうが良いよ、と言って行かせた。余震はまだ起きていたし、原発の問題はある、ガソリンも、食料も、水も、ガスも、何も無かった。極限だった。さすがに、今生の別れになるかもしれない、と思ったよ。
その時に逃げられた人は、わずかだったんだよ。なぜなら、ガソリンがほとんど無かったからね。自分も結局、15日に逃げた。会社にいた人たちは、逃げたいけど、逃げれなかったんだと思う」
一度いわき市から、奥さんの実家に避難したMは、再度いわき市に戻って働いている。妊娠中の奥さんは、関東に残った。
「嫁の実家にいた時も、戻らなきゃ、いつ戻るのかな、戻れるのかな、とか、すごく迷ってたよ。(僕→仕事への使命感からか?)うーん、そうかもしれないし、なんとなく戻らなきゃと思ってたんだよ。落ち着いたら、戻ろうと。結局、全然落ち着いてないし、いつ落ち着くか分からない。今、戻って来たことも、正しいのか分からないけど、次、どうするにしても、いずれにせよ色々なことにけりをつけなきゃいけない、って思ったんだ」
今後はどうするんだ?関東に出てくるつもりはあるの?
「悩んでる。子供が生まれるんだよ。(僕→奥さん妊娠中だもんねえ)子供を、外で遊ばせてあげたいんだよ。放射能の影響の、不安を抱えて生きていくよりは、関東に出たほうがいいのかも知れないけど、分からない。今はたまたま、風向きで飯舘村の放射能が高くなってるけど、風向きだからね。最悪、いわき市の放射能がさらに高くなる可能性もあるわけだし。
先が見えてない、という状況が一番キツイな。正直、うちの会社のメディアは緊急放送を続けてて、CMもいれてないから、当然経営的にもヤバい。どうしようもできないから、ひとまず働いてるって、感じ。東京に出て行くとしても、いわきに残るとしても、目安として考えてるのは子供が生まれた後かな。会社も、そもそも続くのか、わからないし。今辞めてもすぐには失業保険も、出ない。家のローンもあるし。最低限、ローンは払っていかなきゃいけない。なんとしても、払うよ」
人にとって、働くって何なんだろうか。皆さんはどうですか?
※この記事はウェブライターの「増田不三雄」さんが執筆しました。
サラリーマンとして働きながら、職場のトレンドや問題を追いかけています。
増田さん著書『社内失業 企業に捨てられた正社員』(双葉新書)もご興味ある方はどうぞ
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