週末は田舎暮らし。二地域居住で見つけた暮らし・地域との関わり

週末は田舎暮らし。二地域居住で見つけた暮らし・地域との関わり

通勤電車に揺られ、時間に追われる毎日は、自分を見失いがち。子育て環境としても、都会ではいろんな制約ばかりで、子どもも窮屈そう。たまの休みに、田舎に行って、山や川の自然に触れてみると、忘れていたヒトとしての感覚が呼び覚まされる。暮らしのなかに、都会と田舎と両方を取り込むことができないだろうか。その答えは、都会と田舎の二カ所に家を持つことにあり。二地域居住を実践する馬場未織さんにお話しを聞いた。「早朝にこの夏はじめてのヒグラシが鳴くのを聴きました。もう9回目の夏を迎えますが、ここでの暮らしに飽きることはありません」。そう微笑んで語るのは、東京に住まいと仕事を持ちながら、週末は千葉の民家で家族と過ごす馬場未織さんだ。

取材を申し込んだわれわれが、南房総市の里山の一角にある馬場さん一家の「週末の家」を訪れたのは、梅雨明け前の暑くて湿度も高い曇り空の午後。高台に位置する民家の広間には、涼しい風が吹き抜けていく。縁側の外に新しく設けられた木製デッキの向こうには、眼下には田畑、正面には豊かな緑をたたえた山々が広がっている。

「週末の家」までは、東京湾アクアラインと館山自動車道を介してクルマで1時間半。金曜の夜に家族とペットのネコ2匹をクルマに乗せて訪れ、日曜日の夜に東京に舞い戻るのが常だという。房総では、日中は野良仕事に精を出し、夜は広間で家族みんなで雑魚寝する。

【画像1】全ての週末に南房総に来れるわけではない。家族・友人などとのどうしても外せない用事は月に一度程度の東京での週末にまとめてしまう(撮影:片山貴博)

【画像1】全ての週末に南房総に来れるわけではない。家族・友人などとのどうしても外せない用事は月に一度程度の東京での週末にまとめてしまう(撮影:片山貴博)3年かけて探したあてた南房総の民家

馬場さん一家は、会社員の夫と、建築ライターの未織さん、中学生の長男を筆頭に小学生のお嬢さん2人の5人家族だ。

ご夫婦ともに、東京生まれの東京育ち。それぞれの両親も都会育ちで盆暮れに訪れるような田舎もなく、都会暮らしが板に付いていたお二人だ。大学で建築を学び、その後、設計事務所勤めだった未織さんは田舎への憧憬もなかった。ただ、植物好き・アウトドア好きの夫に影響され、自然や田舎に惹かれるようになったという。

現在の東京の住まいは、夫の母上と同居の三世代居住。田舎暮らしを具体的に意識したのは、当時まだ幼かった長男のニイニ君が、昆虫や自然が大好きで、都会暮らしが子育てにも窮屈に感じるようになったからだ。
ただし、田舎への完全移住という選択肢は、夫や自分自身の仕事、親族の面倒を見るようになる直近の未来などを考えると、それらを制してまでという選択肢はない。週末だけの田舎暮らしの実現を模索するようになった。

田舎暮らしの拠点となる房総の里山のなかの家にたどり着くまでに約3年を要したという。二地域居住をはじめるまでの苦労について伺った。

「実際に探してみるまでは、田舎には空き家も空いた土地もいっぱいありそうに見えたんですが、そんなことありませんでした」と打ち明ける。
「思い通りの空き家や、土地は意外にないんです。みなさん、南向きや眺望がよいところを望むだろうし、斜面じゃなくて平らがいい、家のまわりにもゆったりとした敷地がよいとかありますよね。そういう誰もが希望するような条件の家や土地はすでに利用されているという現実があります」という。

それから「家族のなかでも、田舎暮らしについて認識やプライオリティが違うものです。私はちょっと畑がやれて、小屋程度の小さな家があればいいやと考えていたんですが、夫は広大な土地が理想で、もっと自然とガッツリと関わりたいと思っていたり。実際に、田舎の不動産を一緒に見ていくなかで、その価値観が違うことが分かりました」と解説する。

「最近は、定年退職後に田舎暮らしを実践するご夫婦がいます。ご主人がやる気で田舎の家を購入し暮らしはじめるが、奥さんはそんな暮らしを望んでないと出て行ってしまう笑えないケースがよくあるんです」と、家族同士の話し合いの大切さを強調する。

さらに、「田舎の不動産とはいえ、小さくない金額がかかるので、双方の両親を含めて親族の心配も大きかった。『後で売るにも売れない不動産を買ってどうするんだ?』という訳です」。少し上の世代では、こうした田舎暮らしの価値観自体が分からない・共感できないということも実際にはあるようだ。「2年3年、東京と房総の行き来を続け、子どもたちが伸び伸び遊ぶここでの暮らしを見て、徐々に合点がいったみたい」と笑う。

「当然、二地域居住は、もう一つの住宅、往復の交通費や光熱費など追加の費用がかかります。これについては、私たち家族の『贅沢』だと考えています。東京に暮らす普通の家族は、たまにリゾートに旅行に行ったり、いい服を買ったり、子どもを合宿や塾に通わせたりします。私たち家族にとっては、その代わりがこの房総の家なのです」という割り切りがある。

【画像2】友人の大工・建築家らがプレゼントしてくれた天に浮かぶような木製デッキ。食事をしたり寝転がったり外のリビングだ(撮影:片山貴博)

【画像2】友人の大工・建築家らがプレゼントしてくれた天に浮かぶような木製デッキ。食事をしたり寝転がったり外のリビングだ(撮影:片山貴博)予定通りにはいかない。子どもは劇的に変わっていく

あらためて、9年目を迎える東京と房総での暮らしを振り返ると、馬場さんはどう感じているのだろうか?

「何事も、予定通りにはいかないことですね(笑)」と切り出した。「この家を探していたころは、まだ子ども2人だったんですが、この家を手に入れたとたん妊娠が分かりました。この民家自体は、大きな手を入れることなく、自分たちのやれる範囲で使うことに決めていましたから、家や土地を含めて片付けや掃除などやらなければいけないことは多かった。仕事で忙しい夫は実際は頼りにならないし、自分がやるしかないけれど、3人目の出産もあり手が回らなくなった」という。

その解決は?
「思い通りにならないことは常にあるので、いちいち気にしないことじゃないかな(笑)。ここでの暮らしを自然体で楽しむことだと思います。春夏秋冬、夏は房総の海に遊びに行って、秋は木々が色づくのを眺め、冬は家のなかでも寒さに震えて、だけど春先にはふきのとうが芽吹いてくる。季節の変化を心身全体で受け止め、自然に寄り添う日々は、何年経っても新鮮だし楽しいと感じます。むしろ、これらが味わえない暮らしは、今じゃちょっと想像できない(笑)」。

9年も経つと子どもたちの変化も劇的だ。長男のニイニ君は虫捕りに走り回った当初から、中学生になった今では、房総での楽しみはロードバイクとサーフィンへと変化した。部活にも忙しく、房総の家に来る回数もいくらか減った。長女のポチンちゃんは都会派で、年ごろになり自然遊びに積極的ではなくなってきている。ただ、苦手な生きものがいない、食べられる野草を見分けられる、山登り沢登りが得意という基本的なタフさがある。将来、どんな志向性の子になるかは未知数だという。取材に訪れたこの日は、とりわけ自然好きの末娘のマメちゃんだけが馬場さんと訪れていた。

「子どもが小学校に上がる前は、小学校に通う生活が分からなかったし、中学校もそうです。数年先の暮らしも想像できませんでした。子どもも成長して学校の友達との付き合いの方を優先するようになる。子育ての時間は有限だと気付いた。だから、家族で一緒にいる時間を大切にしなくてはと思うようになりました」と語る。

【画像3】房総の里山では、虫捕りや川遊びなど遊びの宝庫だ。こうした家族の時間が貴重に感じるという(撮影:片山貴博)

【画像3】房総の里山では、虫捕りや川遊びなど遊びの宝庫だ。こうした家族の時間が貴重に感じるという(撮影:片山貴博)過疎地域の里山の課題にも取り組みはじめる

二地域居住を試みて、はじめて分かったこともあるという。それは、過疎地域である農山村コミュニティの衰退についてだ。
馬場さんの家がある集落では、住民の過半が60歳代以上だという。当初は、週末だけの別荘感覚だった。「私たち家族のとても個人的な理由で、二地域居住をはじめたので、地域の問題に関わるようになるとは思っていませんでした」という。

ただ「しばらくして、地域の集会に子どもたちを連れて行ったり、知り合いが増えてくるくると、自分たちがその土地を楽しむためだけに利用するというだけでは済まない気持ちになりました」と打ち明ける。
近隣の人々と話しをしたり、道普請や草刈りなどの共同作業をしたり、祭りに参加したりすることで、地域を維持する労力を知り、抱えている問題を感じるようになった。そうした課題が「他人事」ではなくなったのだという。

馬場さんは、友人・知人を、実際に房総の里山に呼んで、その暮らしや自然を感じてもらう機会をつくっていった。こうした友人たちの共感や後押しもあり、2011年に同志とともに里山保全・里山活用のNPO「南房総リパブリック」を立ち上げ、翌2012年にはNPO法人化した。

NPOの取り組む事業としては、里山の生きものを見て、触って、楽しんでもらうための「里山学校」。空き家調査や空き家活用を図る「二地域居住」を推進する事業。また、2011年から2013年迄の3年間は、南房総と都内の二地域交流の拠点として目黒区に「洗足カフェ」を運営してきた。(現在は、洗足カフェ時代の日替わりオーナーの一人が踏襲し、’シノワ・レッセフェール・サクシード・アズ・洗足カフェ’を営業。)

里山学校は、ウェブサイトやSNSによる一般公募で、毎回、7~8家族、20~40人くらいの参加があるという。概ね半分がリピーター、もう半分が新規の参加者だ。食事は、地元の農家の方に野菜など食材を提供・調理してもらい、毎回、大人にも子どもたちにも好評だという。

こうした活動も、馬場さんは、あまり力まずに取り組んでいるという。「私がこの地域の活性化を担って活動します、ということではなくて、できるところから地道に取り組んでいきたい。都市の人たちには里山や南房総の魅力を少しずつ知ってもらうことで、交流や地域の変化に結びつけていければ、巡り巡ってこの土地に恩返しできるかもしれない」と思いを語る。

【画像4】馬場さんが買った民家には、8700坪の里山を含む広大な土地がついていた。里山学校もこの広い土地があってのこと。「私有地である里山を'ひらく'」という使い方が広まれば、と(撮影:片山貴博)

【画像4】馬場さんが買った民家には、8700坪の里山を含む広大な土地がついていた。里山学校もこの広い土地があってのこと。「私有地である里山を’ひらく’」という使い方が広まれば、と(撮影:片山貴博)

最後に、馬場さんに二地域居住の展望について聞いてみた。
「私たちが探していた10年前とは違って、売買だけでなく、古い民家を貸してもいいよという人が出てきています。買うのではなく、空き家を借りることができると、二地域居住のハードルも下がるでしょう。それから、私たちのような二地域居住の実践者、その暮らしぶりを実際に見てもらうことは、背中を押すきっかけにもなるようです。実際に、私のむかしからの友人2人(2家族)が、千葉で二地域居住を始めました」

馬場未織さんは、2014年に『週末は田舎暮らし―ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記』(ダイヤモンド社)という本を出版している。房総に民家を見つけて移り住むまでと、東京と房総の二つの暮らしについては、より詳しく書かれているので、こちらも併せて読んで頂きたい。●参考
・『週末は田舎暮らし―ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記』(ダイヤモンド社)
NPO法人南房総リパブリック(里山学校などイベント開催について)
元記事URL http://suumo.jp/journal/2015/08/07/95360/

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