音楽評論家・相倉久人さんが遺した、音楽を巡る深すぎる思考とは
7月8日、音楽評論家の相倉久人さんが、胃がんのため死去されました。
相倉さんは生前、新宿ピットインをはじめとしたジャズのライブハウスでの司会業では、錚々たる顔ぶれのミュージシャンたちと交流。ジャズのみに留まらず、ロック、ポップス、歌謡曲に現代音楽にと、ジャンルを超え幅広く活動されていました。
いわば音楽そのものを追求した相倉さん。他界する前日に発売された自選集『されどスウィング』のなかで、自らの音楽への向き合い方の核には、ジャズのライブハウスでの司会の経験を通しての確信—-音楽とはステージで演奏している者だけのものではなく、客席でそれを聴く人との共振関係の「場」によって成り立つのだという確信があったと綴っています。
「ジャズの現場で司会をしていると、送り手と受け手の目を交互に持つことができる。司会に立っている瞬間は明らかにミュージシャンとおなじステージ上の人間で、ステージから客席を見る目線になっている。そして演奏が始まるとそれが入れ替わって、客席からステージを見ることになります。それを交互にくりかえすことで、音楽がステージの上じゃなく、ステージと客席のあいだにつくられる関係そのものであることが、頭ではなく皮膚感覚としてインプリントされる」(本書より)
司会者として、批評家として、ステージで演奏している人と、客席で聴いている人とのあいだをつないできた相倉さん。本書には、過去半世紀に渡る原稿のなかから自選した、音楽論そしてさまざまなアーティストたちの人物論に加え、書き下ろし原稿1本が収録されています。
相倉さんによる音楽論。たとえば、音楽の質を決めるのは、メロディやハーモニーといった音楽的要素よりも、表現者の身体性とのつながりが深い音色(声質)とリズムなのだといい、演奏を聴く際のリズムのとらえ方に関しては、次のような興味深い言葉を残しています。
「演奏中のメンバーの動きをしっかり視野にとらえながら、右手をドラムのスティックの動きに合わせ、左足をピアノのリズムで踏み、あごでサックスのうねりを追う……といった調子で身体の各部位をそれぞれ別個にシンクロさせる。(中略)両手両足さらにはアゴまで動員して複合リズムを奏でていれば、いやでも身体全体の動きを支える腰の動きが大きな意味をもっていることに気がつく。いささかオーバーな言い方をすればその動きは、それぞれの意味体系にそってあるときは睦みあい反発しあって競合するそれぞれのリズムが、自己を主張しあうことで内在的にじつはひとつにつながれているという、そのベーシックなリズムに対応しているからなのだ」(本書より)
相倉さんが歩み、そして考えてきた、音楽を巡る人生と思考の軌跡。本書にてその一端を辿ってみてはいかがでしょうか。
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