少女探偵エミリー・ディキンソン参上!『誰でもない彼の秘密』
エミリー・ディキンソン。アメリカで最も愛されている詩人のひとり。19世紀アメリカ・マサチューセッツ州に生まれ、人生の大半を実家に引きこもるように過ごした。生前は無名であったが、彼女が残した数多くの作品は現在世界中で高い評価を受けている。こう聞いてもピンとこない方は多いだろう。私も大学の「英米文学概論」という授業で習った以上のことは知らない(詩を楽しむ風流さに欠けるもので…。私が読んだことのある詩といったら小中高の教科書に載っていた谷川俊太郎と三好達治くらいだ)。そんな彼女が、現代に生きる我々の前に”探偵”として現れた。
”少女(もしくは少年)”と”探偵”の親和性の高さは今さら私が述べるまでもないだろう。現実に子どもが殺人事件の聞き込み調査などを行ったら危険極まりないが、相手の警戒心を解いたり懐にぐっと入り込んだりするにはうってつけだからだ。本書の主人公・エミリーが直面したのは謎の美青年の死の謎。ある夏の日、エミリーが野の花に囲まれて寝転んでいたときに出会ったのが名前も知らないその青年、ミスター・ノーバディだった。その美形さもさることながら、”鼻の頭にハチをとまらせてみたい”という突拍子もない願いに理解を示してくれた彼に対して、淡い恋心を抱くエミリー。だが、再び会うことを約束した彼は、彼女の家の敷地内にある池で死体となって発見された。彼の残した数少ない手がかりから少しずつ真相に近づくエミリーの前に、ミスター・ノーバディに似た青年・ヘンリーが現れ…。
夢見がちな少女であるエミリーも、こまごました家事や「結婚して子どもを持つことが女の幸せ」と信じて疑わない親からのプレッシャーを逃れることはできない。実際のところ、すべて手作りされるおいしそうな料理やハンドメイドの手芸品の描写は昔の少女小説の読みどころのひとつであるが、彼女のように文学的な野心を持っていたり、あるいはもっと単純に手先が不器用だったりした女性たちはどうしていたのだろうかと思う。逆に女性の職業の選択肢が広がった現代では、家の中のことだけやっていたいという女子の希望はなかなか通りにくくなっているところもある。いつの世も自分らしく生きたいという願いには困難がつきものだ。そんな中、エミリー・ディキンソンが生涯家庭を持つこともなく詩作と向き合い続けたことを知っている我々後年の読者の目には、本書に書かれた若き日の彼女の高潔な孤高さや内に秘めた激しさがまぶしく映るに違いない。
エミリー・ディキンソンが探偵的な働きをしたという史実はないようだし、ディキンソンファンの中には大胆な脚色を好まないファンもいるだろう。だが一方で、この作品によって新たにエミリー・ディキンソンという詩人に興味を持ったり実際に詩を読んでみようと思ったりする読者が増えるかもしれない(私も読んでみる、ぜひ)。好意的な読み手にとってはうれしいことに、著者のマイケラ・マッコール氏によって「有名な文学者が少女時代、探偵となって事件を解決するシリーズ」は書き続けられているそう。2作目ではブロンテ姉妹が、そして最新作では『若草物語』のルイーザ・メイ・オルコットが探偵として登場するとのこと。ディキンソン同様に隠遁者のイメージのあるブロンテ姉妹や、『若草物語』のマーチ四姉妹の要である次女ジョーのキャラクターそのままであるらしいオルコットが事件を解決するなんて、本好きの女子には見逃せない! また『誰でもない彼の秘密』でミステリー的な部分もしっかりしていることは証明されたので、男子のみなさんも(ガーリーな表紙に怯むことなく)ぜひ手に取っていただきたい。ちなみにオルコット関連では、同じく東京創元社から文庫にて20代初めの彼女が探偵役を務める「名探偵オルコット」シリーズも刊行されている(著者はアンナ・マクリーン)。
(松井ゆかり)
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