全ての人に公平な教育(電子教科書)の真のねらい

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建国物語

今回は斎藤隆博さんのブログ『建国物語』からご寄稿いただきました。

全ての人に公平な教育(電子教科書)の真のねらい
広島県と島根県の県境に位置する僕の母校、今は廃校となってしまった小学校は、在籍当時、全校生徒が最も多い年度でさえ26人という規模であった。その為、複式学級が採用されていた。複式学級とは、“1・2年” “3・4年”“5・6年”の様に、複数の学年を1クラスと置くものだ。

小規模の学校では意見の多様化が生まれないというデメリットもあるかもしれないが、僕はあれはなかなか良い環境だったと感じている。

1.生徒一人当たりに費やせる時間が増える
これは昨今議論されている事であるが、1クラス40人はどう考えても多過ぎる。40人全てに行き届いた教育を提供するのはほぼ不可能だろう。不可能かどうかは先生方個人の力量に依る所もあるので一概には申し上げられないが、多人数クラスの方が生徒一人一人の理解度が下がってしまう事は容易に想像できる。

例えば40人と10人のクラスに同じ質問を投げ掛けたとしよう。通常どちらのクラスがその質問から解答にたどりつけない子の人数が多いか。もちろん40人のクラスだ。そして不思議な事に、質問者が多い40人クラスの1時間目の算数の時間は、10人クラスと同時刻に終了のチャイムが鳴る。

確かに1人目の質問で、解答に至るプロセスは理解出来たかもしれない。だが人数が増えれば“どうわからなかったか”という道筋も同時に増えるため、答えはわかるが納得の行かない子供がまた一人産み出される。

2.発表することへ慣れる、自ら考える
1の様な状況が続けば、生徒は次第に“1つの問題には2人までしか質問できない”という暗黙の了解を作り出してしまうかもしれない。もしかすると“似たような質問はしないでね”という空気を、先生自らが知らず知らずのうちに発してしまうということも起こりうる。
そうして”街”らしい「ハイッ」の声が少ない授業が形作られていく。

一方“田舎”では、相変わらず自分のための質問時間は、1クラス10人として、最低5問に一度は訪れる。また解答に至った者に関しても、「ハイッ」と言って発表しなければいつまでも次の問題に移れない可能性があるため、なかば強制的に発表の機会を享受することとなる。クラスに40人もいないので、「お前が発表しろよ」と、そもそもなすりつける相手も少ないのである。

もう1点、これは主に複式学級からの僕の経験であるが、問題を黒板に書き記すと、通常先生は隣の学年の方へとあっさり背を向けてしまう。つまり別の学年の問題を先生が黒板へ書いている間が、僕たちに与えられた解答タイムであった。それは分かる子にはある程度余裕のある時間であって、またその子が他の同級生と一緒に問題を解くのにも十分な時間であった。余程の問題でない限り、分かる子にとってはもちろん、普段一人で解答へたどりつけない子にとっても先生は不要となるのである。

1によって2が起こり、それは社会に出た後も必要となるであろう学習の姿勢へとつながっていく。彼等の学習スピードは、総じて一般の子供達より早い。事実中学に進んだ際、僕の小学校時代の同級生は平均して“頭が良かった”。また中学からクラスの人数は増えたが、生徒同士による議論の場の形成に慣れていたため、彼らがリーダーとなり、クラス全体に行き届いた教育を提供する手助けになったことは、恐らく事実であろう。

さて、前置きはこのあたりにして、これがどう電子教科書と結びつくかについて述べたい。皆さんには今年5月28日、日本でも『iPad』の販売が開始されたことは記憶に新しいかと思う。電子教科書とは、つまり教科書の内容があの卓球のラケットケースのような端末に全て収まるということである。また電子端末のため、音声・動画再生が可能となり、日本人が苦手とする英会話学習もその場で行える。

中学のとき僕が感じたのは、“そもそも習っていることが違う”ということだ。人間知らないものは答えられない。答えを覚えるだけの教育は僕も嫌いだが、現在の試験というものがある限り、やはり答えを導き出す手順に触れておくことは重要である。

通常僕らの地域では高校から受験が始まるため、受験勉強に触れるのは中学3年からである。僕も例に漏れず、難関高校の模擬試験を購入し取り組んだ。しかしその中のいくつかの問題に、当時僕が初めて目にしたものがあり、ある問題では検証を重ねた末解答にたどり着いたが、すでに1時間が経過していた。たとえ答えを導き出せても、時間制限のために落第するのである。

電子教科書、またそのプラットフォームが普及すれば、この“習った時期の違い”という問題を軽減できる。というのも、もし彼の手元に全ての問題集があり、かつ彼に難解な問題への関心があれば、間違いなく一度はそれを開くだろう。

これは僕の育った環境から田舎擁護となってしまうが、田舎には圧倒的に情報が少ない。現在やっとADSLによるインターネットへの接続サービスを利用できるようになったので、その状況は徐々に変わっていくのかもしれないが、僕にはあの田舎のおじさんたちが子供にパソコンを扱わせる日は、まだまだ遠いと思えて仕方ない。

そもそも教科書は同じという方もいらっしゃる。確かに街に住んでいようが、田舎に住んでいようが、公立の学校なら同レベルの学習が可能なのかもしれない。だが東大の入試問題は、その学習範囲内からは通常出てこないだろう。つまり比較的レベルの高い学校の入試問題とは、始めから公立学校で習う範囲外の+αを想定して作成されているということである。

更に、「でも通信教育があるじゃないか」というお声をいただいた。それはごもっともなのだが、何故(なにゆえ)電子教科書端末が1つあればその全てを詰め込めるかもしれないのに、わざわざ紙を媒体としてその体積/重量を増やさなければならないのか。

それによって、本来ダイレクトにエンドユーザーに届けられるはずの教材に多数の仲介業者が割り込み、結果彼らの商売を助けている。農業補助金に関しては「農家へのバラマキだ」「非効率だ」と叫んでいる方が、どうして教科書が手元に届くまでのプロセスに目が向いていないのか、はなはだ不思議で仕方ない。

総務省が主導となり原口一博大臣が提唱し、ソフトバンクの孫正義氏などが実現のために具体的な提言をしている『光の道』 * は、この電子教育プラットフォームとすこぶる相性が良い。“第二の孫正義”を立てようとしていることからも、僕は孫氏がこの叩き台を示した真のねらいは、田舎の考える力を持った子供たちに向けられているのでは、と感じた。

*:2015年ころを目途にすべての世帯でブロードバンドサービスを利用する社会の実現を目指す施策。
「光の道」構想実現に向けて-基本的方向性(案)- 『総務省』 参照
http://www.soumu.go.jp/main_content/000065889.pdf

他方、池田信夫氏が『アゴラ』内で言及されたように、田舎に存在しないサービスを受けたいなら都会に来れば良いという考えは実に正論だ。

ブロードバンドは全世帯に必要か
http://agora-web.jp/archives/1008867.html

たしかに電子教科書がなくても、自ら進んで学習しその道を切り拓く者はいるし、僕の場合も「早く参考書を買っとけ」ですんだ問題である。だが我々は、そろそろその投資にどれほどのリターンが返ってくるかを検証しなければならないのではないか?

光の道は平等ではない。
僕もそう感じるが、その平等ではないという対価を払って返ってくる 利益-優秀な人材 は、今日本が最も欲しているものなのだから。

※こちらは『アゴラ』様へ掲載いただいたエントリーへ、加筆・修正されたものです。
全ての人に公平な教育(電子教科書)の真の狙い-斎藤隆博 『アゴラ』
http://agora-web.jp/archives/1063627.html

執筆: この記事は今回は斎藤隆博さんのブログ『建国物語』からご寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信

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