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体罰逆手に挑発する生徒続出、どう対応すべき?

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大阪の市立学校の約4割の先生が、生徒からの挑発を体験

絡みかかってくる手を払いのけるだけで、「やれるものならやってみろよ」「体罰で訴えるぞ」というような言葉を、子どもから投げかけられる学校現場の状況が問題になっています。大阪の市立学校の約4割の先生が、「そういう挑発を受けた経験がある」と答えたそうです。

私も長く教員をしてきたので、先生たちの苦悩や困難を思わずにはいられません。しかし、私の知る多くの熱心な先生たちは、一人一人に関わり、信頼に基づいた粘り強い取り組みをして成果をあげています。現状は、一部の力による指導に対する、しっぺ返しとしての「炎上」状態なのかもしれません。

それにしても、なぜ子どもたちはそのような発言をするのでしょうか?改めて「やれるものならやってみろ、体罰で訴えるぞ」という子どもたちの発言の意味を考えたとき、指導への反抗という印象の裏に「先生たちは力で指導する方法しか持っていないのか?力を封じられたら何ができるのだ?」という問いを含んでいるように感じます。

彼らは、力に頼る指導の背景に「それしかできない教師(大人)の無力さ」を感じ取っており、「挑発」はそれに対する痛烈なメッセージなのではないでしょうか。教師は今こそ、その痛烈な問いかけに「人間教育のプロ」として答え返すことが求められているように思います。

「挑発」の背景に理解が必要

では、彼らの「挑発」にどう対応すれば良いのでしょうか。最初に考えるべきことは、「挑発」の意図です。その行動にどのような背景や理由があるにせよ、「挑発」である限り直接的な意図は、「こちらを刺激すること」でしょう。その「挑発」に乗せられ感情的になることなく、冷静な対応が必要です。

次に、「彼らがなぜそのような挑発をすることになったのか」という背景への理解が必要です。例えば、学校や先生の指導に対する不満なのか、大人一般への反抗なのか、あるいはクラスや友人関係などのストレスの発散なのか、それとも、ただ雰囲気に同調しただけなのかもしれません。 十人いればそれぞれ背景は違うでしょう。「挑発する子ども」でひとくくりにすることなく、表面の行動の裏にあるそれぞれの心理的背景を見据えた「人間理解」と、それに基づいた個別な対応が求められています。

職員が意志統一し、集団としての規範を保つ努力が求められる

同時に集団としての規範を保つ努力が求められます。これには学校をあげて、職員集団が意志統一して対応することが大切です。具体的には、学校として「何をどう指導するか」という客観的なガイドラインを作ることと、それを指導する「教師の安心・安全」を守る体制が必要です。対応の基準や方法が主観的・情緒的なものであったり、対応に当たる教師が孤立し不安でバラバラな状態では、とても子どもたちの秩序を産み出すことはできません。そのためにも明確なガイドラインと、教師が孤立しないよう、さらには学校が孤立しないよう、保護者・地域・外部機関を巻き込んだ教師・学校を支援・応援する仕組みが必要となるでしょう。

これらの基盤の上に、「十分な理解と信頼に基づいた日々の人間関係」を積み重ねることが大切だと思われます。「理解と信頼に基づいた人間関係」は子どもたちの感情の暴発に一定のブレーキとなるはずです。事態をたちどころに解決する「魔法の特効薬」とは成り得ないかもしれませんが、スクールカウンセラーなどの専門家と連携を取り、理解と安定に基づいた、信頼のおける人間関係や教育的対応の積み重ねこそ、荒れた心に秩序を取り戻す一番の近道であるような気がします。

カテゴリー : 政治・経済・社会 タグ :
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