雑誌の編集とはなんだろう(メカAG)

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雑誌の編集とはなんだろう(メカAG)

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

雑誌の編集とはなんだろう(メカAG)

出版関係はまったく暗いのだが、学生の頃パソコン関係の雑誌でアルバイトをしてたことがある。まあプログラムのテストをしたり評価をしたり、あとちょっとだけ記事を書いたり。ただ当時も(いまもだが)あまり出版関係には興味がなかったので、せいぜい毎号発売時期になると、編集部の人たちはあれこれ走り回って大変だなという程度の認識でしかなかった。

当時を一生懸命思い出してみると、毎号特集記事でこの原稿を誰それに依頼しよう、特集のテーマにそって○○のところに取材に行こう、この部分の記事は書き手がいないから編集部で書こう、○○から資料をもらおう、とあれこれ慌ただしくしていたように思う。まあ、俺はそんな中どこ吹く風で、ひたすらパソコンをいじってたわけだが(苦笑)。

なんかたまに有名人の取材とかあると、ミーハー(死語?)なバイトが、「俺も取材に連れてってくださいよ~」とか言ってたような。実際に連れてってもらえたのかはしらないが(とにかくそういうことには俺はまったく興味がなかったので)。

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ということで毎号ではないにしろ時々力の入った特集記事を作ってて、雑誌の編集者のやりがいというのはそういう部分にあるのかな、といまにして思う。外部のライター(学生のバイトが多い)が書く定期連載の記事とかは、締め切りだけ管理していればルーチンワークっぽいような。何度も言うけどあくまで俺の想像なので、違ったらごめんなさいw。

あと投稿プログラムが来るので、掲載するものを選んだり、掲載が決まると、物珍しさに編集部に遊びに来たいという人がすくなくなく、そこから原稿が書けそうな人間やバイトしたそうな人間を、編集部に引っ張りこんだり。俺もそれで釣り上げられたクチ(苦笑)。当時はインターネットがなかったから、自分のプログラムを世に出すというとパソコン雑誌の投稿が登竜門だったんだよね。

また優れたプログラムを投稿してくる人間は、ときどき半端ない専門知識を持ってる人がいて、それをきっかけに本格的に原稿を依頼して、特集もそれを中心に、さらに編集部で関連技術とかを取材して膨らませて…とか。

ただ俺は結局原稿とか書くよりひたすらプログラムを書くのがやっぱ好きで、そっちの方でバイトするようになってからは、雑誌の方のバイトはやめてしまった。編集部にくるいろんな人の話を(傍らで)聞けるのは面白かったけどね。当時だとまだ遠い世界だったシリコンバレーでは「いまこんなことが~」とか。

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さて本題。ネットでは「キュレーション」とか「編集力」とか出てくる。この編集力というのが俺は最初ピンとこなかった。その時は上述のような俺の数少ない編集部体験をすっかり忘れてて、雑誌の編集?投稿されてくる記事を選んで掲載するだけじゃないの?編集力ってなに?文章を校正する力?みたいな、我ながら結構マヌケな(苦笑)。

なぜそう思い込んだのかを自分で分析してみると、ネットのニュースサイトって基本的にそんな感じだと思ってるからなんだよね。新聞社や通信社から配信されてくるニュースを取捨選択して掲載し、あとは評論家(?)とかから送られてくる記事を、これまた取捨選択して掲載。

だからサイトの特徴を出す方法なんてせいぜい、取捨選択の基準や、優秀なライターの囲い込みぐらいだろう、と。逆に言えばネットのメディアの編集部というのは、上述のような紙の雑誌のように、自力で特集企画を立ち上げて取材したり、その分野の専門家に原稿を依頼したりするというのはない(と、少なくとも俺は頭から思っていた)。

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で、どうなんですかね。ネットメディアもこれまでの受動的な役割から脱皮して、能動的、自らテーマを設定して取材し特集記事をクリエイトする…という方向を目指すんですかね。

「東洋経済オンライン佐々木編集長、ニューズピックスへ」 2014年05月21日 『朝日新聞デジタル』
http://www.asahi.com/articles/ASG5P4SXPG5PUEHF00F.html

この記事を読んではてさてそっちの方向への模索が始まるのだろうか?それとも掛け声倒れで、せいぜい記事の選別(フィルタリング)の質がよくなるだけなのか?

キュレーションって俺は長らくフィルタリングとほぼ同義と考えていたのだよね。玉石混交の情報の海から有益な情報だけを選別し、それを集めて読者に提供するのがキュレーションなのだ、と。つまりひたすら受動的な作業。はたしてネットメディアで能動的な取材や企画ができるものなのか。

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紙のメディアが主流だった頃は、情報というのは座して待っているだけでは手に入らず、足でかき集めなければならなかったのだと思うのだよね。上述のように世の中にはひっそりと、すごいことをやってる人がいる。そういう人間を投稿をきっかけにしたり人づての情報網で探し出し、取材をするなり原稿を依頼するなりして、掘り起こす。それが紙の雑誌の役割だった。

しかしインターネット時代になって、情報も人材も、もはや埋もれてない。個人が自分で発表できるから、勝手に(マイナーかもしれないが)サイトを作って発表している。

なのでかつての重要な役割であった「埋もれた情報や人材を掘り起こす」というのは、現在ではゼロではないにしろ、かなり薄れたように思う。でもそれを「はいそうですか」と認めてしまうと、メディアの編集部の存在意義というのはなくなるんだよね。フィルタリングだってページビューで機械的にできたりする。人気のある記事=良い記事、と。

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逆に言えば編集部の役割がまだ残っているとすれば、ページビューでは表されない記事の価値によるフィルタリングだろうか。まあ、これは編集者や編集長に良い人材を集めれば可能だろう。なんだか人力でサイトを分類していたかつてのYahoo!を思い出すけど。

初期のYahoo!は、大量の人間を雇って、価値あるサイトを評価・分類して登録してたんだよね。まだGoogleとかない頃だから、ユーザーはYahoo!の情報をたよりに、こういう分野に詳しいサイトはここ、と探していた。インターネット上のサイトがそれほど多くなかったからできたことで、やがてこの方法はGoogleに駆逐されてしまったが。

同じように人力(編集者による)記事の選別は、現段階では結構価値があるだろう。記事の質を判断するのに検索エンジンにおけるGoogleほどは、まだ機械による判断は成功していない。将来的にどうなるかはわからないが(というか将来的には機械で置き換えられるだろう)。

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でも、そういう記事の選別にとどまらず、紙の雑誌の編集部が行っていたような特集記事の企画など、情報を自ら生み出す方向にもチャレンジするのだろうか。意気込みとしてはそうなんだろうけど、問題はそれが実現できるかだよね…。前述のようにいまや情報を掘り起こす必要性は、むかしほどではなくなっている。

配下の編集者やライターを動員し、外部への取材、外部への専門家へのテーマに沿った原稿依頼、そして特集記事を生み出す…これはもはや作品の製作。個人ライターが一人の力で作品を生み出す(ブログの記事とか)のに対して、組織として作品を生み出すわけだ。プログラムだって個人で作る人もいれば、大勢のプログラマを動員して組織で作ることもある。マンガやアニメだって。

個人でやってきたことを集団でやるとなると、その組織の構造が重要になる。ソフト開発だって長年の試行錯誤で開発形態が形作られてきた。いまだ試行錯誤の途上だが。アニメはそもそも1人で作るのが難しいから、スタートが集団だったが、逆に技術の発達で個人で作れるようにもなってきた。マンガも少人数で描いている人が中心のようだけど、分業しているところもあるようだ。

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「NowThis News編集長、CNNへ移籍 人材流動性のある海外メディア」 2014年05月15日 『メディアの輪郭』
http://media-outlines.hateblo.jp/entry/2014/05/15/030308

この記事では「ABCニュース」→「NowThis News」→「CNN」と渡り歩いた編集長の話が載っている。これって見方を変えれば、やっぱネットメディアに物足りなさを感じて、既存のメディアに戻ったということではなかろうか。

上記のように能動的に記事を作っている人たちからすれば、既存の記事を取捨選別するだけのネットメディアは物足りないと思うのだよね。あ、この辺の話も全然本当のことは知らないので、単に俺が「もしかしたらこうなのかも」と想像しただけなのであしからず。

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いっその事、ソフトウェアのオープンソース開発のように、そういったプロセス(記事を生み出す仕組み)もオープンの場でやったら面白いのではなかろうか。まあ速度は遅くなるだろうけどね。長い時間かけて完成度を上げていくような記事。メディアにおいてそういうものが存在可能なのか・・・。これまではあまりそういうのはなかったよね。せいぜい映画とかのリメイクやディレクターズカットのような限られたものしかなかった。

ニュース記事というとやっぱリアルタイム性が重要になるから、コンテンツそのものをオープンソース的に大勢の人間が試行錯誤で作っていくのは向かないのかもしれない(でもこの方向も捨てきれないと思うけどね)。

でもコンテンツを生み出す「システム」をオープンソース化することは可能ではないだろうか。この手のジャンルの記事は、このグループがまず情報収集して、このグループが背景とかを調査し、このグループの専門家集団がコメントし、読者からの質問はこのグループがまず担当して、その後専門家集団に振り分けて・・・とか。

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紙の雑誌の場合、特集記事の作成過程がブラックボックス化されていた気がする。むろんそれがその編集長や編集部の資産であり、ノウハウを簡単に公開できないのかもしれないけれど、そういう部分こそネット時代に見直し、オープン化されるべきではなかろうか。

上記のような分業は、潜在的にはtwitterとかブログで行われてると思うんだよね。最初に話題を検知するセンサー的な役割の人、その発言にとりあえず簡単な説明を加える人、背景を調べる人、突っ込む人、ツッコミに反論する人。不足している視点を補う人。わかりやすくまとめる人。

まあ最後の「わかりやすくまとめる人」というのが狭義のキュレーションなんだろうけど、実際はこうした一連の役割分担が情報を処理するシステムとして機能しているわけだ。

いまのまま自然発生的な半秩序・半無秩序という状態も、それはそれで良いとは思う。ただ「メディア」としてなんらかの統合された機能を考えるなら、そういう部分の組織化(システム化)という方向になるだろう(俺はそういう流れが良いといってるのではないので、念のため)。

というか前振りが長すぎた。我ながら記事が長すぎ。

執筆:この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年05月26日時点のものです。

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