人を信じなくて良い社会
今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
人を信じなくて良い社会
ムラ社会が終わった日本では、見知らぬ他者をまず信頼する力ってすごく必要になってきていると思う。/知能レベルが高い人ほど人を信じやすく、低い人はあまり人を信じない傾向にあることが判明(英オックスフォード研究)
知能レベルが高い人ほど人を信じやすく、低い人はあまり人を信じない傾向にあることが判明(英オックスフォード研究) 2014年03月19日 『カラパイア』
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52156809.html佐々木俊尚@sasakitoshinao 2014年3月19日 『Twitter』
http://twitter.com/sasakitoshinao/status/446422883431374849
これからは人を信頼することがますます重要になってくる…美しい話ではあるけれど、幸か不幸かそうはならないと思うんだよね。ますます人を信頼しなくていい社会になる。
国民は何か問題が起きるたびに行政に責任を被せて「なんとかしろ」と要求する。人を騙さない人、間違っていない情報、それだけの社会にしようとする。ようするに個々の国民は何も考えなくていい世界。テレビを見ても本を読んでもネットも、すべて正しい情報だけが書いてある。
うさんくさい情報は国民の目に触れない段階できちんと取り締まってくれる。だから国民は目にした情報をそのまま信じていればいい。もし正しくない情報が社会に流通してしまい、それを鵜呑みにした国民がなにか損害を受けたら、それは国や社会の責任。個人の責任ではない。
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警察もむかしは民事不介入とか言ってたのに、なんかDVとか疑わしいケースはどんどん逮捕するとか言っている。むかしは「倫理」の領域のことが「犯罪」の領域になってしまった。未成年に酒や煙草を与えただけで逮捕されるなんて、むかしは考えられなかった。
ようするに個人が判断する必要をなくして、国が一律に何が正しいかを判断して取り締まりましょうということだよね。個人は何も考えなくていいし、何も責任を持たなくていい。ダマされないように注意する必要はない。
そんな社会ってみんな頭を使わず馬鹿になっちゃうと思うんだけどね…。そうするとだんだん文化や文明も衰退していくと思うのだが。やっぱ創造的思考をするにはトレーニングが必要で、そのためにはさまざまな試練を経験する必要がある。
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1970年代ってユートピア、と言うかデストピアを描いたマンガが結構あったと思うんだよね。石ノ森章太郎とかも。コンピュータですべて管理され、人間は何不自由なく暮らしているけど、みんな判で押したような人間で生気がない。
何かの拍子にそういう世界に迷い込んだ血気盛んな主人公が「おまえたち、こんなんでいいのか」と盛んに煽るけど、大半の人間は暖簾に腕押し。そんななかやっぱそういう社会にもはみ出し者がいて、そいつと意気投合して外の世界に旅立っていく…だいたいこんなストーリーが典型。
俺が子供の頃は、大人も子供も「こういうコンピュータに管理された社会にしちゃいけません。人間は人間らしく生きるべきです」と言ってたと思うのだけど、みんないつのまに管理される社会が好きになったんですかねぇ。もしかして俺も漫画の主人公みたいに、いつの間にかパラレルワールドに来ちゃったんですかね。
国への依存度を高めていけば、いくら自由意志で国に依存することを選択しているのだといったところで、結局は国に管理されているのと同じだと分からないのか…。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年04月02日時点のものです。
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