年上の人間に敬意を表する意味

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年上の人間に敬意を表する意味

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

年上の人間に敬意を表する意味

ういう常識的な話は俺自身こっ恥ずかしくてあまり書きたくないのだが、わざわざ書かないと最近はわからない人もいるようなので書く。

年上の人間には経緯を払いなさいと幼稚園児の頃から教育されると思う。ただ確かに理由はあまり説明されない。礼儀だとかマナーだとか言われることもある。まあ礼儀は礼儀かもしれないが、礼儀というものは、人類の過去の多くの経験の積み重ねで、それなりに理由があるからそうなっているのであって、「礼儀だから」では説明になってない。

たとえばカースト制度、我々日本人の感覚からは現代的とはいえない社会の仕組みだが、それがその社会を支えている以上は、おいそれと廃止はできないだろう。社会の進化というのは生物の進化と似ている。生き残るためにそれぞれの生物がそれぞれの戦略をとっている。わりと汎用的な戦略をとっている生物もいれば、よくこんな方向に特化したものだと呆れるような生物もいる。

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宗教だって同じ。世界的に広がっているキリスト教だって、もしかしたらローカルなカルト宗教で終わっていたかもしれない。コンピュータのCPUもそのむかしビッグエンディアンとリトルエンディアンの闘いがあった。モトローラ系(初代Macintoshが使っていたCPU)はビッグエンディアンだった。インテル系はリトリエンディアン。現在はインテルのCPUの方が商業的に成功したから、リトルエンディアン派が勝利を収めた。でもそれは別にリトルエンディアンがその本質的な理由で勝利したわけではない。単にインテルの方が商売が上手かったというだけ。

まあ個人的にはリトルエンディアンの方が合理的だとも思うけどね。リトルエンディアンでは数値を下の桁から書く。人間が使っている表記にたとえると、1万2千3百円という数値をリトルエンディアンでは00321とかく。ビングエンディアンでは12300だ。人間の感覚としてはビッグエンディアンの方が馴染みやすい。俺もむかしはビッグエンディアン派だった。でもいろいろ考えていくと、やっぱリトルエンディアンの方が合理的かなと思うようになった。1980年代のマイコン雑誌(パソコン雑誌)とかでも、それぞれ自分がもっているマイコンのCPUを擁護したくて、ちょくちょく代理戦争が行われてたものだ(苦笑)。

多くの計算(足し算とか)は下の方の桁から計算していくから、リトルエンディアンの方がCPUは処理しやすい事が多い。ただそのメリットはほんのわずかなもので、誤差の範囲とも言える。結局は合理性では決着がつかない宗教戦争なのだ。そもそもリトルエンディアン、ビッグエンディアンというネーミングからして、ガリバー旅行記の不毛な宗教論争(玉子をどっち側からわるべきか)から取られている。

この戦いは現在も続いており、たとえばインターネットのパケット上でのIPアドレスの表記方法はビッグエンディアンになっている。プロトコルの処理部分とかのプログラムでは、結構この部分の処理が鬱陶しかったりする。たとえばポート番号とかもパケット上ではビッグエンディアンなので、x86などリトルエンディアンのCPUでは、パケットに書くとき入れ替えてやらなければならない。人間にとってはビッグエンディアンの方がいい。コンピュータにとってはリトルエンディアン。プロトコルのフォーマットはどちらを優先すべきか…。

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話を元に戻すと、年上の人間に敬意を表するというのは、結局は未来の自分に敬意を表するということ。人間は成長するに連れて考え方も変わる。幼稚園児の価値観と中高生の価値観は違うし、子供を盛った大人、孫を持った大人の価値観もそれぞれ違うだろう。

現在の自分の価値観が絶対的なものではなく、今後変わるであろうことを認めることが、年上の人間に敬意を表するという意味。いまの自分には理解できないことでも、将来は理解できるかも知れないから、そのポテンシャルを考慮して、価値の評価に一定の上げ底をしておく。

年下の人間の考えは理解しやすい。中学生が小学生の言い分を「俺も小学生の頃はそう考えていた」と振り返ることができる。しかし中学生が高校生の考えを理解することは難しい。その「難しさ」の保留分が、敬意なわけだ。

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言い伝えや風習にも理屈は十分に解明されていなくても経験的に正しいものはある。それを理屈が科学的でないからと安易に否定すると、せっかくの経験の積み重ねをドブに捨てることになる。

むろん経験値の中には逆効果だったり間違いのものもあるだろう。ただそれは「間違いだ」と積極的に証明されて初めて有効になるものだ。非対称なのだ。

むかしからの風習に従う場合は特に論証が不要で、それを否定する場合にはきちんとした反証が必要。一見非合理に見える。いや一見どころが完全に非合理。「間違いだというなら、反証しろ」「反証できないなら正しいと認めろ」まるで疑似科学だよね(苦笑)。でもそういうものなのだ。

それが長年積み重なった経験知への敬意。言い方を変えれば人間は完全な合理的な判断が永遠にできないという事実を認めるということ。常に人間の知識や判断力は不完全であり、成長途上なのだ。だから今の時点で合理的な説明がつかなくても、経験的にただしそうだとされていることは、合理性が論証されているものと同等に扱うということ。その方が「経験的に」得なことが多い、と。

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中学生から見れば小学生の判断能力は稚拙だ。まあ小学生なりに一生懸命知識を総動員してるのはわかるが、いかんせんそのレベルがあまりにも低い。高校生からみれば中学生の判断力もそう見えるだろう。人類が長年積み上げた英知も神の視点からみれば同じだろう。100年後の人間からみれば現代の我々の判断力も稚拙に見えるかもしれない。

年上の人間の判断力の評価にバイアスをかけるというのは、一見過去の古臭いものを尊重するように見えるが、実は逆で未来を尊重しているといえる。現在の自分の判断力では正しく判断できないものも、未来の自分なら判断できるようになっているかもしれない、と。その分の上乗せ(バイアス)なのだ。

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現在の自分の判断力が絶対的に正しいというのは、自分の未来の成長を否定すること。むろん過去の経験知が必ずしもベストではないだろう。身分制度や奴隷制度など、文明がまだ現代ほど発達していなかった時代には有効だった制度も、時代の移り変わりによって必ずしもベストなものではなくなっていくものは多い。

しかし歴史を振り返ればそういう変化はゆっくりとしたものだし、新たな価値観の確立は容易な道のりではなかった。だから過去の「悪しき習慣」を否定しようというなら、それなりの覚悟と準備が必要なことを肝に銘じるべきだろう。そうしなければ変えられない。安易な軽口程度の言動をいくら繰り返しても、なんの意味もない。本当の変革というのは、屁理屈や言葉遊びではなく、ひたむきな論証や実績に積み重ねの結果もたらされるものだ。そういう方向の努力なら、否定しないし、むしろ応援するけどねぇ…。

「過去のものは何でも正しい」と思考停止しろというのではない。その背景に深く思慮をめぐらし、より深く考察した上でそれを包含した未来を作れということ。

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なぜ習慣や風習が一見非合理的なほど優遇されるか?それは古くからあるものは欠点も利点もよくわかっているから。欠点もあらかじめわかっていれば対処法がある。実際の社会でも対処されているはず。

一方、そういうものを安直に否定してしまうと、まだ欠点も利点もわからない未知の領域の漕ぎだすことになる。むろんそれは人類の進歩の原動力であり、肯定されるべきものではあるが、欠点とその対処法が研究されるまで少なからず混乱期を経ることになる。

メリットに対してこのコストをわかっていないか低く見積もり過ぎの人が多い。もちろん何が何でも混乱を避けようとすると進歩が止まってしまうわけだが、歩いていど社会が安定していればこそ新たな挑戦もできる面もあるから難しい。たとえば安定(停滞?)した先進国よりも、未開の国の方が新たなことを始めやすいだろうが、そういう国は国力も低いから、できることも限られている。

先進国が現在のような国力を持っているのは社会の安定によって国力(富や文化)を蓄積してきたからであって、それを安直に今の世代が「新たなことへのチャレンジ」という錦の御旗の下に使いきってしまっていいものなのか。我々が使いきってしまったら次の世代はどうするのか。それはあたかもフィクションに出てくるような世間知らずの2代目社長が、先代の社長が半生をかけて築いた会社を、当たり前のように自分のものだと錯覚し、あっという間に倒産させてしまうようなものではないか。自分が増やした分の富を使うならまだしも。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年02月04日時点のものです。

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