午年生まれは日本で一番人口の少ない干支なのだ。
総務省統計局の発表では、来年の干支である午歳の生まれは、958万人。
これは人口比率で7.5%。最も少ない干支になるそうだ。
男性は465万人、女性は493万人。
やはり、昭和41年の丙午(ひのえうま)が、午歳生まれの人数が少ない主たる原因のようだ。
丙午の迷信については、僕の個人ブログの「八百屋お七」( http://social-days.com/wp/?p=2165 )も参考にしていただくとして。
その総務省統計局の資料を見ると、一番多いのは、
丑(うし)年。1,133万人。
二番目が、子(ね)年。1,115万人。
三番目が、巳(み)年。1,114万人と続く。
残念なことに、1,000万人台に届かないのは、酉年と午年だけである。
午歳の中でも人数がさらに少ない丙午は、その人数の少なさは群を抜いていた。
人数の少なさを体感で感じるのは、まずは小学校のクラス編成。
僕の小学校の場合は、1学年4クラスだった。クラス替えの時期が来ても、前に同じクラスだった友人も多く、そんなに新鮮さを感じていなかったかもしれない。さすがに、中学校はいくつかの小学校から集まってくるので、1学年6クラスくらいあったと思う。
それから、受験。
僕らの頃は、多分今よりも楽だったのではないかと思う。
もちろん、当時はそんなことを感じずに、それなりに受験には苦しんだ。だが、今振り返ると、大学受験なども過去最少の現役受験者数だし(と言うことは、その時の浪人生にも有利だった)、過酷な受験戦争ということはなかったと思う。当時は、駿台、代ゼミ、河合塾という3つの大きな予備校が主流で、それなりに”楽しい”予備校生活もあった。(この、当時の予備校の話も、別稿で語ろう。)
そして就職。
完全にバブルが弾ける前で、僕ら新卒は青田買いの対象だった。
高望みしなければ、ほとんど受ける会社から内定をもらい、そして恐ろしいことに企業による半ば拉致と思われる縛りもあった。律儀に内定をもらったところに断りに行った学生が、コーヒーをぶっかけられたり、内定を受領するまで会社から出してもらえない、など、ヤクザまがいの出来事も起きたりしていた。
そんな時代で、それなりの今では考えられない苦労もたくさんあったのだけど、それはジュリアナ東京で踊って忘れるくらい、はるかはるか昔の出来事となってしまった。
2014年は午歳。午年の視点で、物事を見てみよう。
この日本を、どう盛り上げていくか。
今を生きている日本人の我々が、過去の失敗や反省を基に、新たな日本に変えて行く。そんな年が今年だ。今年こそ、変革の元年だ。政治は昨年のアベノミクスで少し息を吹き返させた。今度は、末端から変わって行く。変えて行く。その一助になればいい。
そんな2014年。あなたは、今年をどう生きる?
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