中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ

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小さいころから厳しい世界で生きている、中学受験を目指す子供たち、そしてそのお父さん、お母さんたちに読んでほしい。今回は藤沢数希さんのブログ『金融日記』からご寄稿いただきました。

中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ
アゴラの松本徹三さんが日本の中学受験を批判するエントリーを書いておられた。
———以下、引用
今日、日本に住んで長くなるイタリア人の友人と食事をしましたが、彼は、中学を受験しているご子息のことで深刻に悩んでいました。この人はお父さんの代から学者だった教養人で、イタリアで知りあった日本人の奥さんは日本の某超一流大学の準教授です。そういうご夫婦ですから、息子さんを「中高一貫教育をしてくれる良い中学校」に入れたかったのですが、うまくいっていません。

  中略

私の考えは、目の前にいる私の友人の子供である、日伊混血の可哀想な少年のことから、日本人の若者全体の将来のことに広がりました。何も知らずに、「塾システム」に象徴されるような「日本の奇妙な教育システム」の中にどっぷり漬かっていく日本の若者達の方が、実はもっと可哀想なのだと思えてきたのです。
———引用ここまで
『アゴラ』 2010年02月08日 「教育の改革は火急の問題 – 松本徹三」より引用
http://agora-web.jp/archives/915751.html

結論からいうとこれはとんでもない思い違いという他ない。そして自分たちがエリートだか上流階級だか知らないが、息子が行きたい中学に入れないことを、日本の教育システムの問題にすり替えて非難するそのような傲慢(ごうまん)な態度では、一流の中高一貫校に入学することなど夢のまた夢である。なぜならば、中学受験こそ日本の競争力の源泉であり、日本のエリート教育の心臓部だからである。

僕は大学生のとき、難関中学受験のための教育機関で講師をしていた。そこで日本の中学受験というシステムが世界的に見ていかに優れたものであり、そこを勝ち抜いていく子供たちがいかに優れた能力を有しているかということをまざまざと見てきた。そう、中学受験には人生の全てがあるのだ。喜び、悲しみ、孤独、友情、努力、才能、そして、家族の愛。

アメリカで15歳で大学を卒業したとかいう天才児の話題がたまにテレビなどで報じられるが、日本の中学受験の最前線の実態を知る者から見れば、そのような子供なら日本にいくらでもいることがわかるだろう。日本では飛び級が認められていないだけなのである。たとえば『SAPIX』や『日能研』や『四谷大塚』の最上位クラスの子供たちに3ヶ月ぐらい大学受験の勉強を教えてやれば、ほとんどの子供たちが『早稲田』や『慶応』の簡単な学部ぐらい何の苦労もなく合格するだろう。3ヵ月で十分だ。現代文や日本史のように中学受験とあまり変わらない科目なら、そのままセンター試験を受けても偏差値60ぐらいはいくだろう。このクラスの子供たちになると方程式などはすらすら解けるので、数学も1ヵ月も準備期間があれば十分だ。

逆にいえば、世界の一流大学の学生が、彼ら小学生と同じフィールドに立ち同じ中学入試の問題で戦えば、パフォーマンスにまるで大人と子供ほどの違いがでるだろう。むろん、子供が大学生より圧倒的に高いスコアをたたき出すという意味である。

当然のことながら彼らエリート中学受験生は、小学校の先生よりはるかに頭がよく、はるかに多くのことを知っている。特に理科や算数のような科目ではできる子供は際限なくできるので、小学校の教員の無能さには耐えられなくなる時が来る。当時ひとりの生徒が「うちの学校の先生はぜんぜんわかってなくて、よく間違ったことを教えるんだ。あんな授業受けたくないよ」と僕に打ち明けてきた。その時、僕は「バカな人にバカといって自尊心を傷つけてしまうととんだ災難に巻き込まれてしまうことがある。そういうときは先生がバカなことに気付かないふりをした方がいい。理不尽と思うかもしれないが、君が大人になったらきっと今日僕がいったことがわかるようになる時がくる」と答えた。

そしてこういった難関中学受験のための塾では、毎月、全員が参加するテストがあり、その点数によって成績順にクラス分けが行われる。下のクラスの子供たちは両親と一緒にひとつでも上のクラスにはい上がれるように切磋琢磨(せっさたくま)する。最上位クラスの子供たちは、もはやクラスが下がるしかない。彼らはすさまじいプレッシャーと戦いながら、王者の椅子(いす)を守り切ろうとする。最近、成果主義だの実力主義だの日本の大企業は騒々しいが、客観的な数字が悪ければ毎月降格人事があるような徹底した成果主義を取っているのは日本の学習塾ぐらいだろう。

この生徒と親の階級を決定づけるクラス分けは塾内でも、もっとも厳格でもっとも神聖なイベントだった。同じ小学生でも、上のクラスの人間と下のクラスの人間では、格が違うとみなされていた。下位クラスを、高い授業料を納めてもなんの成果もないお布施クラスと揶揄(やゆ)する者までいた。当然、下のクラスのご子息を持つ親は肩身の狭い思いをすることになる。こういった塾では、クラスの名前はA、B、Cのようにアルファベットになっていたのだが、Aが一番ダメなクラスで、なぜか後ろに行くほどいいクラスになっていた。これは厳格なヒエラルキーを持つ塾内部で、辱めを受けなければいけない下等クラスの両親が、外部からはそこが一番成績の悪いクラスとは悟られないようにするための塾側の思いやりなのだ。

成績が振るわなくて、下のクラスに落ちてしまった子供たちは、家に帰れば両親、特に母親に厳しく叱責(しっせき)される。中にはぶたれる生徒もいた。中学受験とは、ある一面では母親同士の代理戦争なのだ。

以前、代官山あたりのおしゃれなケーキ屋さんで、中学受験を控える子供を持つ母親達のグループが楽しそうにお茶をしていた場面に出くわしたことがある。そして、彼女達が塾のクラスの話や、志望校の話になったとき、ものすごいライバル心をむき出しにして平静を装いながらながらすさまじい戦いを繰り広げていたのを覚えている。

「○○ちゃんはこんどKコースに上がったんですって? この調子だったら武蔵中学もねらえるかもしれないわねー」
「あーら、△△さん、やだわー、うちの子なんてこの前のマンスリーテストはたまたま運がよかっただけですよ。オホホホ」
「ところで、□■さんのとこの子、開成中学を受けるらしいわよ」

実に数十メートルも離れていた所に座っていた僕のテーブルの上の紅茶の波面が乱れ始めた。お母さん方の殺気がここまで伝わってきたのだ。もし、僕のとなりにクリリンが座っていたら「悟空、あいつらの気がどんどん大きくなっていくぞ」といっていたと思う。ドラゴンボールのスカウターがあったらお母さん方の戦闘力がどんどん上がってく様子がわかっただろう。母親たちもまた、自らのプライドをかけたすさまじい戦いを演じているのだ。

子供達が背負っているのは母親の期待だけではない。中学受験とは、大手学習塾の代理戦争でもあるからだ。『SAPIX』や『日能研』や『四谷大塚』のような私塾は、男子だったら『麻布』、『開成』、『武蔵』、女子だったら『桜蔭』、『女子学院』、『雙葉』という超難関校に何人合格させられるかで全て評価されてしまう。こういった塾の経営者の報酬も、そこの生徒がどれだけ難関校に合格するかで決まる。よって、麻布中学や開成中学に合格確実なスーパー・エリート小学生は、必然的に各私塾の激しい争奪戦になる。授業料を免除したり、塾長自らが両親を口説きにおもむき、自らの経営する塾に来てもらおうと説得する。また、超難関中学にどんどん合格させるようなやり手の講師は激しい引き抜き合戦になる。子供や両親に信頼されている講師がたとえばSAPIXから日能研に移籍すると、その先生について生徒もいっしょに塾を変えてしまうことになる。場合によっては訴訟沙汰(しょそうざた)になることもあった。

12歳の子供たちは小さい体であまりにも大きなものを背負っているのだ。サッカーをやっていたから受験勉強できませんでしたなんて寝事をいっているようなそのへんの甘いクソガキとは何もかも次元が違うのだ。

僕は生き馬の目を抜くような国際金融の世界で仕事をしてきたが、日本の中学受験の世界はそれ以上だといっても過言ではない。だからこそはっきりいえるのだが、日本のエリート選抜は、少なくとも東京では中学入学の段階ですべてが決する。

考えてみてくれ。

日本で一番いい大学といわれている東大にいったい毎年何人入学すると思う?

3500人だ。
大学院も合わせたら全部で2万人もいるマンモス大学だ。

早稲田や慶応の学生にいたっては1学年だけで何万人もいて、それこそひとつの都市と同じぐらいの人数がいる。そんなたくさんいる人達に何らかの希少性が生まれると思うか?

答えはもちろんノー。

その点、超難関中学はせいぜい100人や200人の超エリート小学生しか入学できない。

日本でアルファ・ブロガーといわれている人たちは何人いる?
せいぜい100人だ。
日本で一流の作家が何人いる?
50人もいない。
一流の投資家は? 50人以下。
一流の起業家は? 50人以下。

そうやって考えれば毎年毎年3500人も生産される東大生に何の価値もないことは明白だろう。実際に日本で一流大学を卒業しても、得することはひとつしかない。それは新卒のときに大企業に応募すると、とりあえず面接までたどり着けるということだけだ。そして日本の大企業に入ったところで、破綻(はたん)することが目に見えている巨大なネズミ講組織の最下部に組み込まれ、安月給で長時間労働させられるだけなのだ。

そもそも日本の教育で一番ダメなところが大学と大学院である。日本の大学はレジャーランドといわれているけど、それは学生のレジャーランドじゃない。

教授のレジャーランドなんだ。

彼ら教授に、税金を使っているんだからもっと実際に社会に役に立つ研究をして経済に貢献しろというと「そういう金もうけに役立つことを研究するのが大学の仕事じゃない」と反論する。それじゃ社会に役に立つ人材をもっと育ててくれというと「そんなすぐに役立つ知識は、すぐに陳腐化してしまう」と反論する。もうわかったからちゃんと研究して論文をたくんさ書いてくれというと「簡単に論文を書けるようなテーマでは、ノーベル賞級の大きな研究はできない」という。結局、税金を食い物にしながら、終身雇用という既得権に安住し、何も社会に貢献しない教授ばかりいるのが日本の大学なのである。

そういった外野が日本でもっとも成功している私塾による中学受験というシステムを非難するなど、ちゃんちゃらおかしいというものだ。全力で中学受験に挑んでいる小学生に失礼な話だ。彼らは将来、母親や塾の期待だけでなく、日本そのものを背負っていかなければいけない人材なのだから。

僕は受験前の子供たちを毎年こういって送り出していた。

「みんなは他の子供がサッカーをしたり野球をしたりして遊んでいる間にずっと勉強していたね。でも、これから先生がいうことは決して忘れないでほしい。サッカーボールを泥んこになりながら追いかけるのも素晴らしいことだけど、一枚の答案用紙のために一生懸命に勉強した君たちも同じぐらい、いや、もっともっと素晴らしいことだということを。だからみんなそのことを誇りに思って、最後のテストを受けてほしい」

執筆: この記事は藤沢数希さんのブログ『金融日記』より寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信

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