上村愛子はなぜ勝てなかったのか?

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勝負の世界は厳しいですね。だれもがよい結果を出すために練習をしてきているのでしょうが、勝負の土壇場では他人に勝つということへの強い執念なのかもしれません。今回は岩崎夏海さんのブログ『ハックルベリーに会いに行く』からご寄稿いただきました。

上村愛子はなぜ勝てなかったのか?
モーグル競技の上村愛子選手が、4度目の挑戦となった今回のバンクーバーオリンピックでもメダルを取れず、4位に終わってしまった。このことは、彼女にとっては非常に悔しく、また忸怩(じくじ)たる思いのできごとであったらしく、彼女自身のブログでこんなふうに自問している。

———以下、引用

どうして、こんなにも沢山の人が
私を支えてくれるのに

なんで、結果は
残せないんだろう。

メダルはいつも
ちょっとのところで
届かない。

いま、こうやって、文字にしながらも
考えてしまいます。

———引用、ここまで
* 『上村愛子オフィシャルブログ』より引用
http://blog.excite.co.jp/aikouemura/10772280/

そこでぼくは、考えてみた。
「なぜ上村愛子はメダルを取れなかったのか?」
なぜ彼女は結果を残せなかったのだろう?
なぜオリンピックで勝つことができなかったのか?

そこで出てきた答は、比較的シンプルなものだった。
それは、結局彼女は「勝つことの意味を勘違いしていたのではないか」ということだ。

「自分に勝つ」という嘘(うそ)
上村愛子選手は、結局勝つことの意味—-とりわけ「オリンピックでメダルを取ることの意味」を、最後まで取り違えていたのではないかと思う。

特に彼女は、「オリンピックに勝つということは、『自分に勝つこと』に他ならない」というふうに勘違いして、そのための努力を、この4年、あるいはそれ以前の10 数年前から積んできたのではないだろうか。それが、結局はブログで述べたような目標(オリンピックでメダルを取ること)を遠ざけることとなり、今回の結果につながった—-そう思うのだ。

「オリンピックでメダルを取る」ということは、決して巷間(こうかん)言われるような「自分に勝つ」ということの結果ではない。たとえ自分に勝つことができなくても、他の選手に勝つことができれば、オリンピックでメダルは獲得できるのだ。

その最も象徴的な例が、ソルトレイクシティオリンピックのショートトラック競技に出場したスティーブン・ブラッドバリー選手だろう。この大会、実力では他の選手に比べて大きく劣っていたブラッドバリー選手は、しかし劣っていたがために有力選手の後ろを走ることとなり、それが奏功してトップ選手同士の接触事故に巻き込まれず、漁夫の利的に金メダルを獲得することに成功した。

・ ブラッドバリー選手の金メダル獲得シーン
http://www.youtube.com/watch?v=lfQMJtilOGg

このブラッドバリー選手の金メダル獲得こそが、まさにオリンピックで勝つこと(あるいはメダルを取るということ)の本質である。金メダルとは、けっして「自分に勝つ」ことではないのだ。他人に勝つ—-つまり競争において他者より先んじることであり、それ以外のなにものでもないのである。

この考え方—-つまり「勝負に勝つというのは、自分に勝つことではなく他人に勝つこと」というのは、数多くの勝利をものにしてきたいわゆる「勝負師」たちのあいだでは、ある種の自明の理としてとらえられてもいる。その実例は枚挙にいとまがないが、最も代表的なものとして、将棋の大山康晴とボクシングの輪島功一を挙げることができるだろう。

大山康晴は如何にして他人に勝ってきたか?
大山康晴は、その棋力もさることながら、並はずれていたのは「勝つことへの執念」だった。有名なエピソードとしては、彼の「大きな棋戦での並はずれた健啖(けんたん)家ぶり」がよく知られている。

将棋の大きな棋戦というのは、たいてい地方のホテルで二日がかりで行われる。その間、対局前の前夜祭なども含め、対局者同士が一緒の席で食事をする機会は少なくない。そういう席で大山は、いつも大きなステーキをペロリと平らげてみせたのだという。そうして、周囲を驚かせたというのだ。

その健啖(けんたん)家ぶりは、齢を重ね、棋力に衰えを見せるようになってから、ますます旺盛(おうせい)になったのだという。彼は、そうやって若い対局者(大山は長い間第一線で活躍していたため、対局者はたいてい彼よりずっと年若だった)を牽制(けんせい)していたのだ。彼らを驚かせ、自分の食欲と余裕の大きさを見せつけることで、対局に先立ち相手を制しようとしたのである。

棋士というのは神経質な人間が多く、またそれでなくとも重要な棋戦ともなると当然のように神経を高ぶらせるものだから、たいていの人間はどうしても食欲を減退させる。特に若い棋士は、大きな棋戦に慣れてないということも手伝って、食はどうしたって細くなってしまう。

それに対して大山は、まるで見せつけるかのように大きなステーキをペロリと平らげてみせるのだ。すると若い対局者は、すっかり気圧されてしまい、「この人には敵わない」という先入観を植えつけられる。それで、肝心の将棋においても実力を発揮できず、敗退を余儀なくされてしまうのだ。

ここで肝心なのは、大山はそれを「わざと」やっていたということだ。すなわち、相手を心理的に追い詰めるため、健啖(けんたん)家を演じていたのだ。大きな棋戦の前日になると、彼は朝から何も食べず、お腹を空かせた状態で前夜祭に臨んだ。そうして、お腹いっぱい食べられる状態をわざわざ作っていたのである。そうやって健啖(けんたん)家を演じることで、相手を欺き、心理的に圧倒しようとしていたのである。

これが「希代の勝負師」といわれた大山康晴の真の姿である。彼は、棋戦に勝つということが結局は「対局者に勝つ」ことだというのをよく知っていた。だから、ルール違反にならなければどんなことでもやったのである。そうやって、勝利にとことんこだわったのだ。

・晩年の大山と若き羽生善治のテレビ対局
http://www.youtube.com/watch?v=6Yzk-Hg10Fw

輪島功一は如何に他人に勝ってきたか?
もう一人、どうしても紹介したいのが輪島功一の事例だ。

彼は、世界チャンピオンから陥落した後のリターンマッチの際、対戦相手の柳済斗を油断させるために、「自分は風邪を引いている」ということを信じ込ませるための画策をした。試合前の記者会見の折、わざとらしくマスクをしたり咳(せ)き込んだりして、体調不良をアピールしたのである。

ここで重要なのは、それによって柳が輪島のことを本当に侮り、試合に手を抜いたということではない。というのも、柳自身は、輪島がそういう小細工をしてくる侮れない人間だというのはそれ以前から重々分かっていたので、記者会見でいきなり下手くそな演技で咳(せ)き込まれても、易々とは信じ込まなかったからである。だから、輪島のその演技は、柳を油断させることにはつながらなかった。

しかし逆に、輪島のそうした執念—-下手くそな演技を臆面(おくめん)もなくしてまで自分を油断させようとするその勝利への飽くなきこだわりに、恐れを抱かされたのである。そこで柳は、ステーキをペロリと平らげる大山を見た若き対局者のように、輪島に対して「こいつには敵わない」という気圧された気持ちを抱かされた。

結局この試合、輪島は柳をノックアウトで葬り去るのだけれど、最後に彼を勝利に導いたのは、そうした「相手を負かすことにかける執念」に他ならなかった。そしてその執念は、輪島が「勝負に勝つというのは単に自分に打ち勝つことではなく、柳済斗という対戦相手を打ち負かすことだ」というのを十全に理解していたからこそ、初めて正しい方向に作用させることができたのである。

・輪島が柳をノックアウトで負かせるシーン
http://www.youtube.com/watch?v=9xS-cx1InHk

上村愛子に足りなかったもの
これらの例から翻って、上村愛子選手が今回のオリンピックでなぜ勝てなかったのかを考えた時、やっぱり彼女にそれだけの工夫や執念がなかったということが—-いやそれ以前にそもそもそういう「概念」のなかったことが、一番の要因として浮かび上がってくる。

彼女には、金メダルを取ったハナ・カーニーや、銀メダルを獲得したジェニファー・ハイルに、あえて自分の健啖(けんたん)家ぶりを見せつけるとか、風邪を引いた振りをして油断させるといった工夫や執念がなかった。もしそれがあれば、今回の結果はまた違ったものになっていたかも知れない。

上村愛子選手に伝えたいこと
しかしこういうことを言うと、すぐ「そこまでしてメダルを取る必要はない」とか、「他者に勝とうとせず自分に勝とうとした上村選手の努力を否定することはできない」などと言う人がいるのだけれど、ぼくとしては、もちろんそういう意見を否定するつもりは毛頭ない。むしろ、それらの意見に実は賛成であり、ぼく自身も、そうまでしてメダルを取る必要はないと思っている。また、自分に勝とうとする努力はとても立派なものなので、それを否定することはだれにもできない、とも考えている。

ではなぜ今回大山や輪島の例を引いてこういうことを書いたかといえば、それはひとえに上村選手が、メダルを取れなかったことを悔やんでおり、またその理由を自問するような文言をブログにアップしていたからである。ぼくとしては、それついての答を持っていたので、こうしてブログで回答を申し上げたまでである。

ぼくとしては、上村愛子さんにもこのエントリーを読んでほしいと思っている。そして読まれた上で、それでももし彼女がメダルをほしいというのであれば、ぜひ上記の大山や輪島の行動や考え方を見習ってほしい。

そうすれば、彼女が渇望するメダルというものの獲得は、きっとそう難しいことではなくなるはずだ。なぜなら、大山や輪島がやった「他者に先んじるための努力」というのは、「自分に勝とうとする努力」をなし遂げられた人間にとっては、そう難しいことではないからである。

執筆: この記事は岩崎夏海さんのブログ『ハックルベリーに会いに行く』より寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信

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