有名作家が会社を辞めたワケ

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有名作家が会社を辞めたワケ
 著書『クビでも年収1億円』(角川フォレスタ/刊)がベストセラーとなり、最新刊『3年で7億稼いだ僕がメールを返信しない理由』(幻冬舎/刊)も話題を呼んでいる小玉歩さんが、ゲストと「働き方」をテーマにトークを繰り広げる対談特集。第一回のゲストは中谷彰宏さんです。
 作家・俳優と幅広く活躍している中谷さんですが、かつては会社勤めをしていたことも。
 そんな中谷さんと小玉さんの間で「働き方」についてどのような意見が交わされたのでしょうか。
 今回は前編をお送りします。

■しんどい時、つらい時が成長のタイミング
中谷「本を読みました。面白かった。小玉さんが本で書いていたけど、僕も異業種交流会とかパーティ事は嫌いなのよ。だって、行ってもおもしろい話はないよね。ああいう場に行けばチャンスをつかめるんじゃないかっていうのがそもそも幻想で、みんなまずはその幻想から抜け出さないといけない」

小玉「ありがとうございます。結局、何も持っていない人が、何か持っている人を探しに来ているという図式ですからね」

中谷「合コンの理屈と一緒だよね。合コンにいい人が来ることはまれで、旅行に行ったり習い事をする方が、出会いはあるよね」

小玉「まあ、パーティも一回行ってみるという意味では、こういうものだと勉強になるかもしれません。中谷さんの本の中にも“一次会で帰るのも人間力”というのがあったと思うんですけど、僕もそういうことを本の中で言っているので、間違っていなかったなと思いました」

中谷「最後までいれば、何も考えなくてすむ。
ところが、早く帰るとなると、嫌われないためにも後のフォローを学んでおかないといけない。その方が難易度が高い」

小玉「今日は、“働き方”というテーマでお話させていただこうと思います」

中谷「この間、起業家になりたい人たちが集まる研修に行ったんです。それで僕がリーダーシップについて話したんだけど、一人の人が質問をして“混乱しています”と。僕は“じゃあ混乱しよう”と言った。混乱しなきゃダメなんです。
混乱したら考えなくちゃならない。混乱があるから、考えられるチャンスがある」

小玉「その起業したい若い方は何に混乱していたんですか?」

中谷「同じやり方でやってもやっぱりダメで、逆をやらないとうまくいかない。
ペットボトルの蓋が開かないって言っているのは、回す向きが逆なんだね。それ以上力を入れても、バキッと割れるだけだから、逆に回さないといけない。これがわからないのが混乱しているということで、過去の自分にしがみついているから起こる現象なんだね。みんなと同じところで答えを探しても見つからない」

小玉「今までと違う概念に出会った時に混乱したり、理解が出来ない。でも中谷さんの本にも書かれていますけど、しんどいとか辛いとか思った時が成長のタイミングですよね」

中谷「今までの発想で解決できなかったり、今までの仕組みでうまくいかなくなった時は、進化する瞬間です。起業ができる人たちというのは、高い理想を掲げて今の自分とその理想との距離をどんどん広げることによって、そこに到達する力を引き出せるんです。今の自分とのギャップを楽しめるというのが本来の起業家なんだね。だから新しい考えや概念に出会っても拒絶せずに受け入れないといけない」

小玉「中谷さんも、以前は会社に勤められて、それから独立されたじゃないですか。その時にどういう心の動きがあったのか、非常に興味があります」

中谷「僕は入社したての頃から、早く辞めたい、辞めたいと言っていました。もう組織には向かないから、辞めたい、辞めたいって」

小玉「でも、入社する時にはやりたいことがあって入社されたわけですよね」

中谷「僕はもともと映画監督になりたいと思っていたんですよ。ただ、当時はチャンスがなくて、日活ロマンポルノでバイトをしていた。その時に、専務が、『俺が東京で助監督として採用するから』と言ってくれたの。
当時は助監督で入ると最初は映画館の支配人をやらされる。ポルノ映画館の支配人だよ。直営映画館は全国にあるから、地方に行ってしまうと地元の名士の娘なんかと仲良くなっちゃって、戻ってくる気持ちがなくなってしまう。特別に東京で働かせてくれることになった。
でも、僕はバイトしていたから、ポルノ映画館の状況はわかっていた」

小玉「僕は、行ったことがないです。どういう状況なんですか?」

中谷「当時は、おっちゃんが平気で一人でしているからね、映画見ながら。トイレじゃなく席でやってるの。もちろん掃除をするのは従業員。そんな場所だったんだけど、それを我慢して、映画会社で助監督から監督になった人が出た。でも42歳ですよ。42歳まで待つのかと思ってね。大学生からしたら、42歳ってものすごく遠い。
当時、スピルバーグが出てきた時代だったんだけど、彼やジョージ・ルーカスは20代で監督になっている。それを目指そうと思っていたから、とてもじゃないけど42歳まで待てなかった。
じゃあ他の道はないかということで見ると、当時一番活性化していたのは広告業界で、コマーシャルをたくさん流している。そういうコマーシャルの撮影で演出をやりながら、いずれは監督になると。これだなと思ってそういう撮影ができる会社ということで広告代理店に入ったわけなんだけど、実際にやっている仕事はとてつもなく泥臭い仕事だった。そこで20代を過ごしたんだけど、刑務所だったね。でも、今思うと最高の刑務所だと思っていて、そこで生きていくためのサバイバル術が身についた」
(後編に続く)



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